物理の仕事量的なものと通づる話

数年に一度のスパンでやってくる「やってられるかバカバカしい」という波に乗っていた。もしかしたら僕はこのまま流されて何処かへ行ってしまうかも知れない。
と半分本気の冗談を言いつつ、きっと誰しも不可避な外的要因からこの様な状況に直面した経験をお持ちであろうし、せっかくなので日々の日記の如く綴って行きたい。

僕の場合の原因は誠にシンプルで、クライアント子会社の体制に我々外部要員が各領域に1人ずつ入り込んで、相手側のイケてないマネジメントの下、そこの社員と同等の稼働を強いられるという生贄の如く不遇を被りながら日々机を並べて過ごすというもの。
「このヒト達は何年も同じことをしているはずなのに何でこんなコトも出来ないのだろう」という日々の問答の中、改善に向けた一手を打とうものなら勇気のないマネジメントが首を縦に振らない。
そもそも僕達の様な外部要員を招いていながら、何故組織全体がこうも何も変わろうとしないのだろうか。

僕らの参画が始まった当初は我々のマネジメントも各領域に複数人入っては強力な体制が敷かれ、それもクライアントの本意としてその子会社の在り方そのものに疑問を抱いていた故のことであったのだが、トップが入れ替わり体制が変わる中でいつしか我々現場のメンバーだけ囲われるような形態を取り始めた。
立て付けはもちろん我々が新しい風を吹かせて組織全体に新陳代謝を促していこうということではあるものの、実際に現場で多勢に無勢状態では何かを画期的に変えられるかと言われると事実そうもいかない。だから余計に付き合わされる側にしてみたら単なる時間稼ぎの茶番なのだ。
こういう思い切った取り組みにはやはり組織全体でしっかとしたガバナンスが入り統制が効いた状態でないとただの消耗戦にしかならない。

相手の社員が抱えられないタスクが誰の判断か僕の上にどんどん積み上げられていき、その度に「やれること」と「やれないこと」についての意思表示をしっかりとしつつも虚しく「今は一旦この状態で凌ぐしかない」と積み上げられていく一方だ。
腹の中ではなる様にしかならないと思っているので余り大きく受け止めず、僕自身も個人的な努力だけでこれらを熟そうという気が更々ない。マンパワーでやれるコトなんて知れている。
組織の問題を個人に押し付けてどうにかなるとでも思っているのだろうか。「だからずっとそう言ってるだろうが」という予想通りの結果に至った際には本当に誰か責任を取れば良いのにと思っている。

定量的に物事を見れないヒトとやっていると無駄に疲弊するだけだ。まともに相手をしても手応えも薄い。
高校の時に物理で習う「仕事」と似た考え方で、ヒト1人が上げられる成果も定量的な見方をしながら計画を立てなければならない。
本来ディスカッションを重ねては効果的で関係者にとっても有意義な取り組みへと仕向けて行くのだが、納得感が何も得られない状態が続いているので一旦今は思考を停止させた。
僕のストレスとの向き合い方を不定期でシリーズ化させていきたい。

※ただし愚痴が多いと遠目からごちゃごちゃ言う女子垢がいるので程々にしたい。

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