常識が変わってきているのかも知れない

週末。
かつては月に何度も足を運んだ和食の店に久々に訪れた。
夏でも冬でも早い時間から行列を作るこの店は、この日の冷え込みを物ともせずに行列を成している。
全国各地極度の冷え込みから、都心でも積雪も予報され、交通インフラのマヒも必至に思えた。

車を地下の駐車場に停め、先に降車して列に並ぶ妻の元へ合流した時もまだ前に1組のお客がおり、そのお客が店の中へ通され入り口の前に立ってからの方が寒さからか時間も長く感じた。
調度正午を回ったのとも重なり、一旦は全テーブルに食事が出された頃かも知れない。通りに面した店の列に沿うように風が吹き荒ぶようだ。

入り口が開き店の中へと通された。
更に列の先頭に進むと店の中で待たされる格好のため、これもいつも通りなのだが店内に入った瞬間違和感覚えた。
満席の店内の一角に、食事を終えた子連れの母親が、子供が食べ切るのを待つ光景。
子供は飽きてきてか、他のテーブルで食事をする方へ目をやりながら、椅子を立ったり後ろ向きに座ったりを繰り返し鼻から慎重に呼吸をするように咀嚼している。
向かいの母親はそれを物ともせず、古く擦れたドラゴンボールのコミックスに夢中だ。
たまに子供に「早く食べないと帰れないよ? 食べておかないとオヤツの時間まで何もないよ?」とごもっともらしく声を掛けているが、依然ドラゴンボールに夢中だ。

暫くするとカウンターで食事をしているおじさんが店のヒトを呼んだ。僕達の前に並んでいたヒトだ。
「この寒い中外であれだけのヒトが並んでるのに、あんなことさせとくのおかしくないか?」
お店のヒトもその長居に見兼ねていたのか、精算だけ先に済ませるよう、その母子のテーブルに伝票を持ち掛けていった。
母親は「すみません、本当に申し訳ないです…」と言い、子供にも「早く食べなさい、待ってるのよ」と促すが、依然ドラゴンボールに夢中だ。

それはあんまりだろうと思った。
子供のせいにしてないで、食べさせるのを手伝ったりしてやってはどうか、そう思った。
一方、厨房の中から、精算を急かしたことで店のヒトが怒鳴られる声が響いていた。
「別に誰も悪くないでしょう? お子様連れなのだから仕方がないでしょう。誰も間違っていない」
店側は未だ店を出る素ぶりも見せない母子の味方のようだった。
僕達がテーブルに通されると、並びながら前もってオーダーしていた食事が直ぐに出されたことから、店側の回転への工夫や配慮も十分に思えた。確かに何度も足を運んでいるが、それが気になったことは一度もない。
後ろを並ぶ店の中で待たされるお客も、ドラゴンボールに夢中の母親と、食べることに飽きてしまっている子供が一向に席を立つ素振りも見せないのを目の当たりにして「おいおい、マジかよ…」といったウンザリした様子を滲ませた。

店のヒトにクレームを入れたおじさんがレジで精算を済ませながらそのテーブルへ声を掛ける。
「お嬢ちゃん、しっかり食べような。外で『寒い寒い』って皆並んでるからね。お母さんも手伝ってあげて~」
明らかに苛立ちを抑えられずといった様子にも、口振りは穏やかだったその姿を「大人だな」と思った。
母親は「すみません…」としながらも子供に対して、「食べないと帰れないよ?」と言い、依然ドラゴンボールに夢中なので、「コイツは周囲に対してすみませんとも何とも思ってねーな」と思った。
「ってか頭オカシイんじゃないのか? 子供のせいにしてないで食べてるのを手伝ってやったり出来ないのか!」
ザワザワし始めた店内で怒号も鳴る。

母子を庇っていた別の店のヒトが厨房から出て来た。
「誰も間違ったこと言ってないから。それに礼儀のあるヒトじゃない」
精算を急かした店のヒトを敢えて皆に聞こえるような大きな声で指摘しながら、母子に対して「大丈夫ですよ、しっかり食べて帰ってね」と笑顔を向けた。
「すみません…」と言いつつ、この期に及んでも母親はドラゴンボールに夢中だ。
「だから、すみませんじゃねーだろって」
声がする側を牽制するように、精算を急かした店のヒトが繰り返し指摘を受けている。

ドラゴンボールどころじゃないことに漸く気付いたか、母親が逃げ出すように席を立つ。
テーブルに積まれたコミックスを本棚にしまい、子供の身支度を急かしながら最後に「すみません…」と言いながら店を後にした。
申し訳ないが、「急ぐのそこじゃない」と思った。
その後テーブルに通された親子にも、オーダーされていた食事が直ぐに出され、店の回転も元に戻ってからは何事も無かったかのようだった。

一部始終を知るヒトに対しては、精算を急かした店のヒトへ指摘を繰り返していた立場の高い側のヒトが、精算の都度申し訳無さそうに「お待たせしてすみませんでした」と詫びていた。
正直、大きな声で「あのお客さん(母子)は何も悪くない」と店側のスタンスを強調された後にそう言われることにも違和感を感じながら店を出た。
とても寂しいことだけれども、もうこの店には来ないかも知れないと思った。

店を出て駐車場へ向かう途中の公園で親子が並んで座っているのが目に入った。先程の母子だった。
店での出来事に心を痛めて佇んでいるのか、単に暇を持て余して子供を遊ばせながら、スマホに夢中なのかはこの距離からは分からない。
食事を済ませて映画を観ている間、貴重な休日の時間を彼女達はあの後どのように過ごしただろうと暫く考えてしまった。

最近飲食店なんかで、このような考えさせられる出来事に見舞われることが増えている。
少々駐車料金が割高であったりしても、エリアを選ぶことで余計なストレスも軽減されるのだと痛感している。
気持ち良く過ごしたいが皆何処か余裕が無い、皆自分のことで必死だ。
果たして余裕があれば許容を生むのか、そんな葛藤を游ぐ日々がまた続く。

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