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ポプラが債務超過に陥ってしまった3つの原因【コンビニの歴史】【しくじりコンビニ】

2022年5月27日、メディアより衝撃的な内容が告げられた。

東京証券取引所は、スタンダード上場のコンビニエンスストア「ポプラ」を上場廃止に係る猶予期間入り銘柄に指定すると発表しました。これは、同社が2022年2月期決算において4億2900万円の債務超過に陥ったための措置で、猶予期間となる2024年2月29日までに債務超過を解消できない場合は上場廃止となります。

ポプラを債務超過の猶予期間入り銘柄に指定、売上減続く
(不景気.com)

ついにポプラが債務超過に陥ってしまったではないか。
私もいつか経営危機に立つと思っていたがまさかすぐに来るとは思っていなかったので驚きだった。
そもそもポプラが何なのか知らない人もいるだろうから一応説明しておく


ポプラとは

ポプラは株式会社ポプラが展開するコンビニエンスストアチェーンの名称。
ポプラの他にも「生活彩家」「くらしハウス」「スリーエイト」「ローソン・ポプラ」などを出店している。
現在、ポプラは総店舗数405店舗(内、ローソン・ポプラ110店舗、ポプラ・生活彩家252店舗)を展開しており、営業利益は10億9900万円の赤字、経常利益は10億7000万円の赤字、純資産も4億円の債務超過になっている。
かつては店舗数も1000店近くあり、テレビ番組やアニメとのコラボなどもしていた。


そのポプラがなぜ債務超過に陥ってしまったのかその歴史とともに紐解いていこうと思う


ポプラの歴史


ポプラの誕生


ポプラ第一号店 (流川店) 写真:お店や経済ブログ様

ポプラの誕生は1974年末のことである。
創業者の目黒俊治がコンビニエンスストア視察団のメンバーとして渡米、アメリカの最先端のコンビニエンスストアシステムを目の当たりにした。彼は「これは売れる」と確信。独自にコンビニエンスストアについて学び、その経験を基にして第1号店(流川店)を開店した。
当時は広島県にはコンビニエンスストアがあまり進出しておらず夜の時間帯に開店している店舗もあまりなかったため地域のスーパーマーケットの閉店後から翌朝までの夜間営業という業態で「ナイトショップ・ポプラ」という名前で店舗を展開していた。
当然深夜も開店してあるコンビニエンスストアは大繫盛し、勢いにのって開店から約二年後に資本金200万円で法人化することとなった。
しかしFC展開に関してはこのころは慎重的であり法人化から9年後まではFC展開をしなかった

FC展開のスタートと黎明期

こうして売上も安定してきた1983年についに目黒は決断する。
「FC店舗を開店しよう」
と。
こうして10月、広島市南区にFC1号店である「ポプラ 本浦店」を開店した。
またこの年よりポプラの売りである「HOT弁当」の取り扱いを始めるなど着実に業績を伸ばしていった。
この頃のFC展開は主に中国地方を中心としておりかのセブンイレブンを彷彿とさせるドミナント戦略をとっていたとされる。
その甲斐あってか、1987年には50店舗目を、1年後の100店舗目をオープンさせるなど順調に店舗の展開を進めていった。

また、当時のCMを遡ってみると正月に店舗を通常営業させていたりするなど当時の大手VCのKマートやマイショップなどとの差別化を図っている。
1991年には当時としては最新の機器であったPOSシステムの導入に成功(競合他社のニコマートはこれに苦戦し1992年に倒産。)
また同年には中国地方で初の日本電信電話(NTT)との電話料金収納業務契約を締結、全店舗で電話料金収納代行業務を開始。1994年には中国電力と電気料金収納業務契約を締結し、全店舗で電気料金収納代行業務を開始するなど、公共料金支払いにも対応していった。
また多角化戦略にも興味を示し、株式会社ファーストを設立しドラッグストアの店舗を開設させようともしていた。
こうして1993年には第200号店を開店、96年には第400号店を開店、97年には第500号店するなど、バブル崩壊後とは思えない程急速に成長していった。

当時のCMのキャッチフレーズである「やっぱ九州のコンビニはポプラやね。」は印象的な人も多いだろう。しかし当時の九州のコンビニの代表格はローソンであり、次点でRIC、エブリワンであった。

M&Aの拡大と最盛期

チックタックからの転換店(ポプラ 高波店)※閉店済み

こうした中でポプラは九州・中国・四国地方以外の地方でもコンビニエンスストアを展開したいと考えた。そんな中で思いついたのがM&Aである
M&Aというのは自社が他社ブランドを買収・吸収することである。当時は共石傘下のam/pmが雪印乳業から「ブルマート」を、JR九州から「生活列車」をM&Aするなどして他地方や進出できてない地域へ店舗網を拡大、1000店越えの巨大チェーンとなっていた。
こうしてポプラはまずバブル崩壊やGMSの台頭で売れ行きが悪くなりつつあった大手百貨店の高島屋から、株式会社ハイ・リテイル・システム(生活彩家)を買収(1998年)。同年4月には航空測量大手のパスコ(製パン会社のパスコとは無関係)から、パスコリテール株式会社(ジャストスポット)(ニコマート残党)を買収。さらに2001年、食品商社の三友小網(現:三井食品)から、株式会社ジャイロ(店名:くらしハウス)を買収。2003年、株式会社ヒロマルチェーン、エフジーマイチャミー株式会社、2005年には北陸スパーとアルビスからチックタックを買収していった。
また店舗の便利さにも追求しており、2003年には全店舗でクオカードの取扱い開始。また、同年9月には、広島地区の店舗においてイーネットATM展開開始するなど大手に負けず劣らずの店舗を整えていった。
こうして店舗数は882店、営業収益672億、営業利益31億8400万円、経常利益31億7700万円、東証一部にも上場したりと最盛期となった。
しかしここからポプラは一気に転落していくこととなっていくことを誰も知るよしがなかった

利益が急転直下!大いに焦るポプラに一筋の光

そんな勢いのあるポプラだったがあっさりと経営が傾いてしまった。
2014年のポプラの経常利益は7億8800万円の赤字、純利益に関しては24億6600万円の赤字を叩き出してしまう。
店舗数に関しても2010年時点で800店舗を割っており、2015年には500店舗を割り、2020年には470店と勢い良く減少している。
新業態の店舗が次々と失敗してしまったことや、売上が取りにくい上に輸送コストも高い離島に進出してしまったこと、ポプラ傘下のキリン堂薬局5店舗をザグザグのFC店に切り替えることで費用がよりかかってしまったからだ。(これについては下の項目で解説)
これにより大いにポプラは焦ることとなる。
そんな中でとある大手コンビニから助け舟が下りた。
それが今回のキーパーソンとなる「ローソン」である。
ローソンは元ダイエー系列のコンビニで金のなる木として機能していったが阪神淡路大震災などで経営危機に立たされていたGMS事業を守るために三菱商事に売却されたという過去を持つ。そんなローソンだが今までにも「A&B」「SHOP99」など経営危機に立たされていたコンビニを救ってきた経験がある。
この提携にはポプラの経営危機を立て直してくれるだろうという熱い期待が込められていただろう
そして2015年12月…ついにローソンと資本業務提携契約を締結したのだった。これについて、日本経済新聞などのマスメディアでは、ローソンがポプラの株式の5%を取得する計画であると報じられている。
また翌年、ダブルブランド店「ローソン+ポプラ」の先行店舗となる「ローソン・ポプラ米子西河崎店」と「ローソン・ポプラ鳥取緑ヶ丘店」を開店した。

ローソン・ポプラの店舗、

このローソン・ポプラもなかなかに素晴らしいのである。
ポプラの最大の売りである「ポプ弁」とローソンの特有の青看板の店舗が十分にマッチしているのである。店のレイアウトは完全にローソンであるがポプラの商品も購入できるというのが他チェーンとは違う。
こうしてローソン・ポプラの方が店舗型の店はとことん売れるとわかった2020年にはローソンとの間で共同事業契約を締結し、「ポプラ」「生活彩家」「スリーエイト」ブランドの460店舗のうち140店舗を「ローソン・ポプラ」「ローソン」にリブランドしたのだった。
しかしその1年後、あの地獄のような出来事が起こってしまうのだった…

なぜ債務超過してしまったのか!?

さてここからが本題である。なぜ営業収益が672億もあったポプラが債務超過になってしまったのか。以下の三点が理由であると考えられる。

①M&Aによるコスト増加

一番に考えられる理由はこれだろう。ポプラは今までに多数のブランドを買収していたがその中でも「スリーエイト」「生活彩家」「くらしハウス」に関してはなぜかリブランドしなかった。これによりポプラの知名度を広げられず、売上を拡大させることができなかったのだと私は推測する。現に「くらしハウス」に関してはかつては数十店舗あったのにも関わらず現在は一店舗だけだし「スリーエイト」に関しても八店舗しか生き残っていない。
またチックタック、北陸スパーに関しても採算の取りづらい店舗が多かったり流通コストがかなりかかる北陸地方の店舗だったので費用対効果は見込めないはずであったのになぜか買収してしまっている。これを裏付けるようにポプラは採算の取れない地域(東海・北陸)からは2021年に撤退している。
また当然のことだが起業を買収するということはその企業の不採算事業も背負うということになる。
それがポプラにとって足を引っ張る存在になっていたのかもしれない

②採算の取れない地域への積極進出

先ほども記載した通りポプラはいろいろな地方への展開を積極的に推し進めていた。しかしそれがゆえに多数のリスクを背負うこととなった。
その中でも特に大きかったのが長崎県の離島への進出と北陸地方への進出だ。
特に離島に関しては輸送手段が船くらいしかなくトラック輸送を主にしているこの業界なら尚更背負うリスクが大きい。なのになぜかポプラは競合の「ココストアグループ」、さらにFC元の「ドゥイング」から運営権を取得していたりしていた。当然離島での販売だから値段を高くして利益を取ることもできるが競合がいるこの業界ではそれも当然厳しい。
それもポプラにとって足を引っ張る店舗だったのかもしれない。
また東海地方に関しても2018年に愛知県豊橋市に出店し、進出し、30店舗出店する予定であったのにも関わらず8店舗しか出店できなかったうえに2021年3月31日に撤退しるという無残な最期を遂げている。

③新型コロナウイルス

これは後日記載する「コミュニティストア」もそうだがこの企業もコロナウイルスの影響で大いに売上が下がった企業である。
これは公式も公言しており


2020年初頭に国内でも新型コロナウイルス感染症が拡がったことで、政府や地方行政からは通勤ラッシュの回避や学校の休校、イベントの自粛、不要不急の外出を控える等の要請が相次ぎ、経済活動に深刻な影響をもたらしました。当社グループにおいても、特に都市部を中心に、当社が多く出店する大学やオフィス、ホテル、病院などの施設内立地の店舗において、臨時休業や来店客数の減少に起因する売上の低迷が続きました。最初の緊急事態宣言では最大で当社グループ全店舗の3割強が一時休業または時短営業を余儀なくされる事態となり、その後も緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が繰り返された結果、2021年2月期通期のチェーン全店売上高は34,511百万円(前期比25.5%減)と前年を大きく割り込み、1,318百万円の純損失を計上して純資産を大きく毀損しました。


ポプラ:債務超過の猶予期間入りに関するお知らせ

これを見てわかる通り「ポプラ」「生活彩家」ブランドの店舗が殆ど施設系に集中していたためコロナウイルスの影響を大いに受けてしまったのである
それが故に東証一部からは新型コロナウイルス感染症の影響に起因するものと認められることから、2022年4月4日改正前有価証券上場規程第725条の規定により読み替えて適用する同第601条第1項第5号本文の規定により、上場廃止に係る猶予期間を2年間とします。
と2年間猶予が与えられた。
目黒社長「絶対に債務超過を回避させる」とおっしゃっており、今後の対応が気になるところだ。

まとめ

①始まりは広島県の小さなコンビニ
②順調にFC展開。中国地方の準大手へ
③M&Aにより急成長!店舗数1000店近くにまで行き、北陸、関東へも店舗網を拡大!
④拡大戦略が仇となり経営悪化、しかしローソンとの提携で倒産は避ける!
⑤しかし、新型コロナウイルスの影響で債務超過。どうなる!?ポプラ!?

最後に

最後に個人的な感想なのですがポプラにはまだ一回も行けていないので絶対に生き残っててください!せめてポプラの名前は残してほしいものです。コミュニティストアの二の舞にはなってほしくないですね!僕が生きてる間に絶対ポプ弁は食べたいです!ポプラさんあと2年間猶予が与えられています!ここが踏ん張りどきです!是非頑張ってください!


ここまでご覧いただきありがとうございます。
次回はココストアの生き残り【ヤマザキYショップMG+α】について書いていこうと思います

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