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浅草寺うらおもて をゆく(東京)

江戸っ子は 五月さつきの鯉の吹き流し
口先ばかりで ハラワタはなし

邪魔でぃ 邪魔でぃ 道を開けろってんでぃ
うわあ、なんだこの人出ひとでは。円安の勢いがとどまるところを知らず、浅草では海外からの観光客が昇り龍のように爆増しております。若さを抑えきれなくなった修学旅行生の姿もあちこちに。
みなさまは行かれたことはあるでしょうか。浅草と言えば雷門かみなりもん浅草寺せんそうじそして浅草地下街ですよね。
師走も近い冬の日に、厳かな気分で浅草参拝の旅へご案内いたします。
では参りましょう。はぐれないように、ついてきてくださいね。


やってきました雷門。巡礼の旅はここで早くもクライマックスを迎えます。ものっすごい人の数。小学生だったら数えきれずにパニック起こして7の段を暗唱しだすレベル。大人気撮影スポットにつき、直線移動はまず困難です。流れに身を任せましょう。



雷門を抜けると、そこは仲見世通り。一応言っておきますが、いま、平日の昼間です。インバウンド客が減って閑古鳥と嘆いていたのは、ついこの間だったが。「小売店が悲鳴!」みたいな煽りフレーズがニュースのヘッドラインを賑わせていたのも記憶に新しいけど、それが嘘みたいな混みよう。押すな押すなとはまさにこのことだわ。



威勢のいい掛け声と、個性的なおみやげたち。みたところ、海外旅行客と修学旅行生で全体の8割を占める。きものレンタルがあるので、来日記念に着付けしてもらってお散歩と写真撮影、みたいな人たちが多い。なんだか楽しそう😄 左にあるお店はおもちゃ屋さんかな。「バニー Inaba」か。よほどの日本マニアでもないかぎり、まず通じないと思います😅 



こういう刺激的なTシャツも売っている(と、わざわざ手前に引き出して撮影)



ここに来るといつも見てしまうんだが、このウィッグはどういうニーズなんだろう。東急ハンズのパーティーグッズとはちがい、値札も20万、30万円の本格派だし。でも、最近はレイヤーのクオリティも向上の一途だから、コスプレ業界的にはアリなのか。



あとはやっぱり狐面だな。とくにこの、鼻から上だけの奴がかわいい。コーン!



フェイントをかけながらディフェンダーのマークを振り切って、命からがら仲見世を抜けだすと、見えてきたのは浅草寺。堂々としたたたずまいです。



常香炉から、見よう見まねで煙を浴びる人々の姿がほほえましい。といいつつ、おれも有り難く頂戴いたしました。



お堂の中も大盛況(って言っていいのかな、この場合)。装飾もカラフルなんだけれど、集う人々の服装もまたカラフルで、さながら極楽浄土ここにあれり、という。



天井画がすてき😍



参拝を終え、浅草寺をあとにします。人流がやむことはない。次から次へと押し寄せてきます。



実は浅草寺の隣に、小さな神社があります。浅草神社。あまり知られていない。



お社もこじんまりとしている。ただし歴史がスゴイ。隣の浅草寺は東京大空襲で焼失し1958年に再建されたもの。一方の浅草神社は350年前からずっと今のままらしい。というようなウンチクを小学生を引率しているガイドさんがしゃべっておりました。さりげなく耳を澄ますオレ。右奥には人力車も見えます。ここも観光コースに入っているのかな。渋い選択だね。



そして、手前には阿形



吽形。カコイイ(・∀・)



境内の奥にはおいなりさんも



コーン!



仲見世のわきにある伝法院通にも寄ってみましょう



きもの屋さん。さきほどの仲見世は完全におみやげストリートだけれど、伝法院通はおみやげにまじって、マジな工芸品の店もあるのが面白い。営業時間が不規則で夕方になるとさっさと店じまいするし、日中でも閉まっていることも多いけれど、機会があればぜひ。



そしてきもの屋さんのうえには鼠小僧次郎吉が。外国人観光客おおよろこび! いや、それよりも完全に盗みに入られてるじゃんか。この店、セキュリティ大丈夫か?



と、ここまでが浅草寺のおもての顔。ここからはウラアサ(「裏浅草」の意)観光としゃれこもうか。表があり裏がある。陽があり陰がある。昼があり夜がある。通りに貼り出された北島ファミリー全員のキラキラした瞳に促されつつも、行く先にナイトサファリのような緊張感を感じずにはいられない。道端にぽっかりと空いた地下へと続く階段へ足を踏み入れる。



浅草地下街の入口は複数存在する。いずれもヒジョーに妖しい雰囲気を醸し出している。



階段を下りて地下街へアプローチ。店舗一覧が掲げられています。下段左の「カットセブン」は有名な格安床屋さん。上段中央には「占いの館マーヤ」。うーむ、興味深い。じつは10年以上前にも浅草地下街に写真撮りに来ているんです(まるで成長していないオレ😛)。



<昔の写真①>その時の写真を見つけたんだけれど、マーヤ当時からあったんだ! スゴイ。もうここまできたら浅草の母と名乗ってもいいんじゃないでしょうか。



<昔の写真②>この退廃的な雰囲気がたまらない。銀座の三原橋地下街が消滅したいま、現役でもっとも古いのはこの浅草地下街だといわれています。



<昔の写真③>地下街はそこまで広くないので、ちょっと歩くと行き止まりになります。奥は倉庫かな? 立入禁止。入るなというのは「入れ」の合図だと聞いたけれど、鍵がかかっているか。



<昔の写真④>壁に穴が開いていて、ビン、カン、ペットボトル? 要は分別不要ってことじゃねぇか😠 それを言いたいがために写真を撮っていた当時のオレもどうかしてます。でも、いまでも同じように撮るかも。変わってない😁

――さて、現代――


では、気を取り直して降りていきましょう。ひさしぶりの浅草地下街との再会です。


音量注意!

変わってねェ~😆



あれ、いま令和だよね? こんなことってある?



床の市松模様もあのころのまんま。天井の配管もややメンテされてはいるものの、無機質なダクトの質感がたまらない。



昼間だったので開店前のお店も多かったけれど(以前は夜に来た)、いやあいいね。ポストアポカリプス的な、終末の世界的な、もうゲームの世界でしょ。



ちゃんと管理事務所もある



行き止まりの現在の姿。やはり立入禁止のようだ。右手にはトイレかな。左手にはバーが見える。



右手のトイレ、取っ手に何か書いてある



オートロックらしいけれど、入るときは鍵を開ける必要があるんだよね。一般向けじゃないってこと? 従業員専用? そもそもトイレじゃないのかな。



立入禁止の扉。危険とすら書いてある。確かにある意味で危険そうではあるが。防犯装置作動中? うそつけ!😁



倉庫みたいだけれど、よくわからない。肉眼では暗すぎて見通せませんでした。



左手はコスプレバー。忍者のお兄さんがサーブしてくれる。まだ開店時間前。



店舗の上にはステッカーやらなんやらでカオス!


ということで、さきほどまでの地上での健全な参拝の雰囲気はどこへやら、浅草地下街に全部持っていかれてしまいました。
すべてに始まりがあり、終わりがある。
この浅草地下街は1955年開業、なんと今の浅草寺よりも歴史があるんだ。願わくば、少しでも長くこの姿を眺めていられんことを。

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