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女装の友だちが亡くなった。写真が一枚も無かった


女装の友だちが亡くなりました。病気かなにかで急死だったらしい。年齢は聞いたことないけどたぶんそんなに離れてないと思うので、急に亡くなるような年齢ではなかったはずです。
心からの哀悼と少しの涙を天国の彼女に送ります。

思い出



ワタシが本格的に女装を始めた名古屋のお店(有料ハッテン場)でのセンパイでした。アネゴ肌で、女装の世界のことを色々教えてもらいました。(だいぶあとで聞いたら実は半年前くらいのほんのちょっとのセンパイだったのだけど)
ベテラン女装の風格(アネゴ)があって、いつも、キャッキャウフフしてるワタシたちを見守ってくれてる感じでした。
ワタシが女装を始めた2015年春というのは、女装の歴史(少なくとも名古屋で)において、まさに画期の年でした。
2014年度(2015年3月)ごろまでは、女装というのは、完全にアンダーグラウンド。存在するだけで通報されるレベル。一言で言えば「変態」です。LGBT(Qは付いて無かった)という言葉自体はその頃には存在したものの、カミングアウトする(される)ことはほとんど社会的な死に近い状態でした。
だから、みんなで一緒に撮影なんて、流出したらどうするの!もってのほか!って感じ。ハッテン場の数ブロック先のコンビニに行くことすら肝試し。無事に買い物して帰ってきたら勇者の称号ってくらい。(最近の女装娘はこんなことくらいではスリルを感じないかもだけど)
ところが、2015年春以降にデビューした名古屋女装たちは、世間のインスタ映え(自撮りブーム)にのって、外出したり撮影を楽しむようになったのです。
もっとも、今のようにTwitter(あっ、Xか)に載せるなんてことは、ありえないことでしたが。
最初はモザイクやスタンプで顔を隠して、招待制のクローズドなSNS「T's love」(もうみんな忘れてるだろうけどT'sとはトランスジェンダーのことですね)やゲイや女装の出合い系掲示板(おしおきというのがありましてね)に、100KB未満の画像を上げて、ヒヤヒヤドキドキしていたのです。
ヒヤヒヤドキドキを求めて2015年度の女装たちは、ほかの女装のお店に遠征したりしました。この頃までの女装の社会は、一つのお店に「所属」してるようなところがありました。なんとなく、ほかの女装のお店に行くことは、タブーとまでは言わないものの、なんとなく後ろめたい、はばかれる行為でした。
でも、一旦タガが外れると止まらないのが女装ってもんです。
写真を撮ること、外に出ること、果ては女装イベントを日中に開催するとかになっていきました。365日中の女装タイムが限られているパートタイム女装のワタシはトイに行く機会が減っていきました。彼女と会う機会も。
そんな中で、彼女はいつもフレンドリーではありましたが、写真を一緒に撮ったりすることやお店の外に出ることは、しばらくあまりしていないようでした。もしかしたら、もっと強く誘っていたら、とも思わないでもありませんが、掘られるのは好きでも、深堀りしないのが女装のルール。
だから一緒に撮った写真は少ないだろうなぁと思って、今回、訃報を聞いて、供養(になるのかわからんけど)として似顔絵を描こうかと、久しぶりに女装用の写真フォルダーにログインしたところ、まさかのゼロ。さすがに一緒に撮ったことはあるし、撮った記憶もあるのですが、クラウドの写真フォルダーにはとりあえず無かったのです。
昔描いた絵の方が似てる気がするけど、まぁ、しばらく会ってないから、そうなっちゃうよね。

昔描いた絵
今回描いた絵

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