「令月」と「梅」と「おしろい」

私はあまり文学に詳しくありません。
ただし、パッと読んで
おかしなことを言っている人がいるかいないか、くらいは分かります。

「序文は正月の気分を表したもので初春のさわやかさを伝えている」
との話が一番に引っ掛かります。

「初春」は、さわやか、フレッシュな感じをイメージさせる言い方をするのは

なんか違くない?

私の申し上げることに、はぁ?と思われるのであれば、
出来れば今日のは最後まで読んでください。


年賀状で使う「謹んで初春のお慶びを申し上げます。」の言葉で、
さわやかさを出すために「初春」が使われているイメージはございますか?
この言葉の横に添える挿絵は、さわやかですか?
そして、この言葉を使う側も、
さわやかさを出したい訳でもないと思うのですがいかがでしょう?


あくまでも、私がパッと拝読した時の印象を申し上げますが、
この典拠とされた文の良いところは、
初春についてよく説明しているところにあると思うのです。
(そしてね、多分…、ちょっと正解みたい。)

私は、パッと見たときにまでイチイチ漢字の読み方まで知らなくても良いと思って見ているのですが、(割と適当。)
この典拠部分は、「時に、初春の令月にして、気淑く」と始まります。

「淑」という漢字は、「フレッシュ」や「さわやか」じゃないでしょ?

そして、「淑気(しゅくき)」という熟語が実際にあります。
意味は「春のなごやかな気」とのことです。

「淑」を人の様子を表すのに使うのであれば、
色々のことを知ったり解った上での「落ち着き」や穏やかさなんですね。
(「落ち着き」の言葉は、
「穏やか」の意味を広辞苑で引いて参考にしています。
いつもですが、本当に言葉や文学を知った人間の内容ではないです。)

やっぱりね、季節で感じる「さわやかさ」は初夏。

日本の季節の面白さはそこにもあるんじゃない?
寒さの厳しい冬を越えて満を持して現すお花達を、
私たちが愛でることができるのが春。
そんな春の後に、若々しさを感じる初夏が来る。

人が年を重ねる過程におけるものとは違う順序で
季節の印象が移ろうのを感じるのです。毎年ね。

さて、何故そんな順序なのかしら?

リンク先にあった、中西進氏の現代語訳もよく見た方が良いように思います。

原文
「時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑く(き よく)風和ぎ(かぜ やわらぎ)、梅は鏡前の粉(こ)を披き(ひらき)、蘭は珮後(はいご)の香を薫す(かおらす)」
現代語訳
「時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」

上記を踏まえますと、典拠前半を
「時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに」
とする中西進氏の現代語訳はしっくりきません。

特に引っ掛かるのは、「気淑く(き よく)」を「空気は美しく」としているところです。
内容が少しだけ繰り返しになってしまいますが、
「貞淑」という言葉にあるように、
「淑く」は単なる美しさを表す言葉ではありません。

あともう一つ、万葉集は万葉仮名を使っているので、
「気淑く(き よく)」は「清く」かもしれなくないですか?

これは、「令月」における「令」の意味と併せても
「空気は美しく」では物足りなさそうだな~。ね?

でも、すぐに良い言葉が見つからないので、
私にも何か足りないのはごめんなさい。

じつは、今日の内容を下書き始めた時は、
他の季節に「令月」という表現を使うか使わないか、すら存じ上げませんでした。
「令月」は「陰暦二月の別名。」とのことです。

「よい月」との意味ももちろんありましたが、
「初春」という言葉に続いて使われているのなら、
「陰暦二月」の意味であることをご説明なさる場合に考慮して欲しいなと思いますし、せっかくなら記事にそれを分かるように書いてよ。ってか、

インタビューされた学者様方はお一人もおっしゃらなかったのか。
記者は大事なところを全部の方々のお言葉から端折ったか。
(中西進氏のご著書にはその言及があるかもしれません。)

典拠が万葉集の中で「序文に使われています。」と
ニュースの冒頭に書いているのに、ニュースの題名が
「令和」の典拠 万葉集 梅花の歌 中西進さんはこう訳した
とありましたので、私はしばらくの間、典拠がお歌だと勘違いしていました。


おねがい、しっかりして。


「陰暦二月の別名。」が大事だと私が思う理由は、ハッキリとあります。

「令月」を「よいつき」としか説明しないなら、
他の季節に使えるのか?と多くの人が思うでしょう?

そもそも、季節が新しい命を授かる頃であり、
あえて「令月」という言葉を使っているからです。

しかも、典拠後半に出てくる梅は、
桜に先立って花を咲かせる縁起の良いお花です。


私は、子供を産んだばかりの時期に、
春が旬のもの、特に筍は食べないようにと言われたことがあります。
新しい命を授かったばかりの時に、
お食事でさらに新しい命を同じく頂くのをなるべく遠慮するように、
とのことのようです。

調理すると分かるけど、厳密にはその部分食べないみたいだけどね。
それでも、女は筍の先端を食べたらダメだと、何度も言われました。

あとね、「あんたは梅を漬けなくても良い」と言われていたんです。
これも、私が子供を欲しい頃に新しい梅を食べないように、
とのことなんですね。

私が育った家で、
ビックリする程に固くてちょっとマズイ梅干しばかり出来上がっていたのは
その為のようですね。
家で漬けた梅干しを好きにするつもりがなかった。

私が、ご飯に一番合うのはキムチだと信じていることにもつながるんです、これ。本当によくできた教育でビックリするしかない。

そして、今は食べたり漬けたりしていいんだってさ。
晴れて独身だから。バツイチだけど。
梅干しを買うくらいは、すべての時に文句言われません。


お話がちょっと逸れてしまいましたが、
お花が咲く、は新しい命を授かることを意味するんです。

人間ならね、コトを知った女性しか新しいお命を授からないでしょう?
新しい命の季節、お花が咲くこと、どちらもさわやかじゃございませんよ。


また、「風和ぎ(かぜ やわらぎ)」も同様に、
パッと見でしっくりきませんでした。

梅は、桜に先立って花を見せてくれます。
そして、梅の花の季節はまだまだ寒い。
かといって、冬程には寒くはないよね、って時に感じるのが
「風和ぎ(かぜ やわらぎ)」なんですね。

冬の寒い風が弱くなった頃の表現です。

「風はやわらかに」というだけの現代語訳ですと…、
もう気候が穏やかになった春真っただ中のイメージかなって。

もうちょっと頑張ってください!


パッと見ですぐに違うと分かったのはもう一つ。
「梅は鏡前の粉(こ)を披き(ひらき)」を
「梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き」
と訳しているところです。

梅にとって、花が咲いた様子は一番の見せ場です。
寒い冬を越えて、準備していたとっておきのお花を咲かせているのですね。
「ひらき」という言葉が、「ご披露」という言葉にある「披」という漢字。

典拠後半のここを見ても…、「さわやか」というのは
冬を越えたとっておきのご披露には似合いません。

(私はこの漢字の「ひらく」という読み方を存じなかったのですが、)
この言葉の意味にも合うような現代のお言葉をあてて欲しいです。

梅にとって、「鏡前の粉(こ)」は梅自身のお花です。


そしてね、「美女」というのは、
生まれ持った良さが強調されやすい言葉です。
冬を越えた春の花のご説明に何の説明もなく入れるものなの?

しかもねえ、女の一人として文句を言わせていただきますが、
装いに用いる「白粉(おしろい)」は、美女の為のものじゃない。
鏡もね。

美人は、大したご用意が必要ないと皆様ご存知よ?

もう一回言うよ。何度も言うよ。

どこにも「美女」って書いていないのに、

なんでここにこの言葉を入れたよ。

素直にムカつく。

私がムカついている相手は、
万葉集研究第一人者として名高い中西進氏です。

梅にとってのお花は、
梅という木、皆が持つおめかしの方法です。
そして、大人の美しさを見せているのです。

だって、どんな形の木でも、それぞれに美しいでしょ?
時代の基準で変化する「美女」という言葉を
なんの説明も入れずにこの言葉を使って説明するのは足りないんです。

(ご著書にあればごめんなさい。少なくとも記事にはない。)

盆栽や、日本画を見れば、それぞれの梅の木の美しさは一目瞭然。

ただし、私はニュースを見た直後にこれを書きましたから、
典拠を現代語訳して説明する言葉を持ち合わせておりません。
その点は申し訳ないです。語彙もないのよ。

また、中西氏の万葉集の現代語訳を愛読なさっていた方にも謝ります。
ホントごめんなさいね。ただね、梅好きだから言わせていただく。

私がこんなに書いちゃった理由は、
典拠になった部分の「梅は鏡前の粉(こ)を披き(ひらき)」を
素直に気に入ったんです。

おめかしする前の良さも認めてもらっている雰囲気があるから。


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