デジタルの時代に、紙の存在意義を考える
「毎日を主体的に過ごす手帳・ノート術」をテーマに発信しています。元・教員のsatomiです。
毎日ポストを見ると、結構な確率でチラシが入っています。
何日間か放置してしまうと結構溜まってしまったりするので「令和の時代なんだから、紙じゃなくてデジタルにすればいいのに」と思ったりもします。
でも先日ふと、学生時代の思い出が頭をよぎりました。
私は高校の頃吹奏楽部に所属していて、年に一回演奏会を開催していたんですね。
その時は、部員総出で家族や友達に演奏会のチケットを配りお客さんを呼ぶのですが、そこで部員の一人がこんなことを言ったんです。
「無料で入場できる演奏会なのに、どうしてチケット配るんですか?」
って。
確かに、と思いました。
私たちの演奏会は無料、しかも招待制ではなかったのでチケットがなくても入場できました。
チケットを渡しても、金額的な得や入場の権利をお渡しすることができるわけではないんです。
むしろ当日ふらっと会場に行っても入れてしまうので、紙代とか考えたらチケットなんてなくてもいいのでは??
その時はそう思いました。
でも後に、その疑問の答えに出会うことができたんです。
別の「入場無料」のイベントでチケットを配る時に、主催の方が
「チケットというモノがあると、行こうという気持ちが起こる。お財布を見た時に、チケットが入っているのを見て、そのイベントの存在を思い出す。だから、チケットを配るんだ」
って。
すごく納得しました。
確かになくても問題ないし、デジタルでもいいのかもしれない。
でもそこに存在するということが、役割を果たすんだと感じました。
ポストに入っているチラシも同じなのかもしれません。
毎日大量に来る広告メール、みなさんは一つ一つ開いて見ていますか?
タイトルだけでアーカイブしてしまったり、削除してしまったりすることが多くないでしょうか。
チラシであれば「見よう」とは思わなくても全体の雰囲気やざっくりした文字は目に入ります。
その結果「おっ」となって、ゴミ箱に伸びた手をストップさせたことは数知れず。
「デジタルのこの時代に紙は必要なのか?」という議論は至るところでされています。
もちろん、手帳やノートも。
どちらかに絞る必要はないし、両方に利点があると感じていますが、紙の利点の一つとして”そこに存在すること”も挙げられるのかなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
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