円・球・輪・まあるい〇〇(笑)という超「排他的」原理について

よく聞くよね。まあるい地球 とか 

みんなで輪になろう とか

球体は完全 とか

円陣とか


円とか球とか輪とかまあるい〇〇は完全なもので、人もそうなれば平和になるんだっけ?

部分的にそのとおりなんだけど、一つ指摘させてね。


円とか球とかまあるいw〇〇 とかってね。

その「内部」と「外部から」は完全なのよ。 その2つだけね

じゃあさ、 外部との接続は?

接続ってのは関係性とも言い替えれる。

円とか球は どんな図形、どんな形と接続できるのかなー?



・・何とも接続できないよね?

だから、自然界の球体っぽいものってのは必ず、茎とか棒とかアメーバ状みたいなもので接続するしかないの。

円とか球体ってね、全然完全じゃなくて、超排他的なの

円とか球体が完全になるのは、それ以上のものがない場合=なにとも接続する可能性がない場合 だけ。

だからプラトンとかは、世界の一番大きい構造のみに球体を想定した。


だからね、人間ごとき、小さな集団ごときが円と球とかになろうとすると、必ずその外とぶつかることになるんだよ。

いいかな? 私たちは円です輪です球です といいたがる、そういう表現が好きな人ほど、狭い世界で閉じていて排他的であるという法則に気付いてね。

あなたごとき、あなたたちごときが、円・輪・球を体現できることは生涯ないことを知りなさい。あなた方がそれをやろうとするとき、それと自己を同一化するときに、排他的愚かさは生じる。

その上で、謙虚にそれを知ってから、たまにみんなでそれをやって、思い出してエネルギーを補給するの。 それが円・輪・球との、節度ある付き合い方。

三角形とか5角形とか、四面体とかのほうが、繋がれるの。

「いびつ」でいいんだよ。


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