勝負事を極めた末に見る光景ー人の嘘と愚かさ

勝負事の終着点

頂で得るものは

人の嘘と愚かさ

どうしようもない

ありとあらゆる愚かさの仕組みだけ


決められた枠内での駆け引きと出し抜き

胴元と客 ルールと違反

結果と評価 本筋と不正

事実と誤解 

的を射た認識と 的を外した認識


負けることに対する解釈 受け入れ方

その後の自分の行動


肉体的、物理的にはっきりしたハンデがない場合、

勝負の結果が示すものは、否応なく本人の愚かさ となり、

結果が出た後の処理の仕方と

その後の本人の変化は、

愚かさへの向き合い方 に他ならない。



一番になった人間 以外

一番になった人間でさえ、

それはそれはたくさん 敗北するわけだけど

その人がまともならば

その途中で感じるのは

すごい なるほど そうか という感動系

しまった 間違った またここで悪い癖が出た

という、自分の癖や欠点への気づき系 しかなくて、


もしくは、もう十分かな という納得して勝負から距離をおき、

たまに見かけたら、「自分にはできなかったけど、凄いよなぁ」と思う

もしくは本当に綺麗さっぱり興味がない

それが人としてのナチュラルでまともな姿勢


なんだけど、それなのにいつの間にか

受験競争
家族間の愛情獲得競争
恋愛性愛の競争
部活動での競争
習い事での競争
就職活動での競争
大人になっての生活水準の競争 etc..

たくさんの競争があるたびに、

誤魔化し誤魔化しが 処理できないほど積みあがって

人としてのナチュラルで当たり前のことができなくなって、

無能で汚い 大人になっていく

そして、自分の心に積みあがった泥、闇

それさえ認められなくなり

同じような仲間や同類と、

都合よく話をすり替えて

自分らは問題ない、受け入れている、できている

誰それは間違っている

大人になれていないのはああいう奴だ

などと傷をなめ合う。

もしくは根拠らしい有名人の発信や、そこにあるコメントをみて、

自分の正しさを確認しようとする。

集団によってはいつしか、よくわからない宗教まがいの道徳・哲学や、

仲間内でしか通用しない暗黙のルールに発展し、

本人らはそれを、社会でも上位の高度な人間性の証であるとか、

高度に自制された分別、人生哲学だ などだと勘違いしている。


それらが普遍性のある真実かどうかは、

唯一、その人が向き合っている何かで成長できているか

昨日の自分より良くなっているか 結果が出ているか?

都合の良い同族からの評判や 人間関係で操作できる風評ではなく、

一定の何かしらの変わらない基準で成果が出ているか

でしか測れない。


勝負事は、これら人のあらゆる嘘や愚かさを分かりやすく教えてくれる。

日常では見えてこない誤魔化しを剥がし

人の底力や意地汚さ

難局の乗り切り方

裏切りや誤魔化し

そういったものが煮詰まって表れる


そういうことがほとんどの人の腑に落ちるまで

まだまだ人間には、そういうものが必要なのだと

忘れた頃に 思い知らされる日々はこれからも続くだろう。



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