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ジャガイモの蜂蜜レモンソテーと暗黒舞踏


台風が抜けてから一気に寒くなり、押入れから布団とストーブを引っ張り出した。朝方なぞ、この山奥ではストーブなしではやってられない。しかも風邪っぽい。先手必勝、レモンと生姜、はちみつで温かい紅茶を作ってみた。女の子みたいだが、まあいい。元気が一番である。すりおろしたレモンの皮がだいぶ余ってしまったので、それでもって茹でジャガイモをソテーしてみた。多めのオリーブオイル、バターを温めたところにレモンの皮と生姜をすりおろしたものを入れる。はちみつもポチョンと入れて茹でジャガイモをさっと煽る。仕上げに粗塩とパセリを振る。ジャガイモのホックリ感と、バターのコク、レモンの酸味と苦さ、はちみつの甘みがうまい具合に絡まって美味しい。体にしみる。

特に考えるわけでもなく、こういうレシピがふわりと浮かんでくることがある。きっと音楽やる人は同じように頭の中にメロディーが浮かんでくるんだろうな。羨ましい。料理でも、音楽でも、言葉でも、ふわりと浮かんでくるものはその人の分身というような気がする。この浮かんでくるってのはどういうことなんだろう。

この間読んだ身振り語の本から追っかけってこの本を読んでみた。

『土方巽ー言葉と身体をめぐってー』である。

土方巽、1960年代から70年代にかけて、暗黒舞踏というものを創り上げた人らしい。

今はは”Butoh"と名を変え、世界のあちこちで進化を遂げている。



http://www.youtube.com/watch?v=9ms7MGs2Nh8

http://www.youtube.com/watch?v=vZUbvQc9q3E&feature=related


土方巽の名前は聞いたことはあったが私の故郷の秋田の人だとはしらなかった。高校生の昔、秋田駅前で白塗りの異形のおじさんがクネリクネリと独り踊っていたのは、あれは暗黒舞踏だったのかと今頃になって分かる。


土方巽の創った舞踏は極めて日本的だと言われる。土方は「する身体」ではなく「なる身体」を目指したという。この「する身体」「なる身体」って何だろう?


バレエに代表される西洋の踊りは、芯がしっかりしている。演者は地面に対してしっかりと立って、大きく外に、外に自分を働きかける。「私」というものがしっかりとある。私が世界に対して、しっかりと立って働きかける。能動的な「する身体」である。


それに対して土方の踊りはどこまでも受動的な「なる身体」である。自分もない、他人もない、過去や現在、未来もない。悲しみの記憶も、怒りの予感も、目の前の景色も、全てがひとつの混淆とした世界、身体の奥の奥にあるという「暗黒」の世界に収束される。その暗黒の混淆の中からふわりと立ち上がってくるのが「なる身体」であり、彼の表現だという。



そんな文章を読んでいたら「自由意志」のことを思いついた。


詳細は省くけれども、人間は何かをしようって思った0.5秒前にはすでに脳が活動しているらしい。脳が勝手に活動をしている。そして後追い的にヒトはそれが「自分の意志だ」と勘違いしているらしい。


もしそれが本当なら「自分がある」なんてのは嘘である。脳が勝手に活動しているだけで、そこに自由な意志などない。ヒトが能動的に「何かをする」生き物だというのは幻である。そこにあるのは「何かになる」という受動性だけである。

脳を「暗黒」に読みかえれば、ヒトのやること、なすこと全てが暗黒舞踏である。自由意志なんてない。だから何かを能動的に「する」なんてこともできない。脳は暗黒よろしく勝手に活動をする。「意思」なんてものはない。どこまでいってもヒトは脳の命じるまま、「なる」ことしかできない。寂しいような、ほっとするような不思議な感じである。

それはともかく昼も近い。そばでも茹でよう。こんな考えも幻なのかな。

やっぱり寂しい。


京都造形大学舞台芸術研究センター 企画編集 『土方巽ー言葉と身体をめぐってー』角川学芸出版2011年

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