色んな事をやっちゃった人は『道』っていう概念はどうかな(2023年の自由198)

所謂下界の高次元体が煩わしく、日常生活に支障が出るので退化薬の量を増やして、調整する事となった
要するに、高次元体の声を妄想とするという決断だ
妄想と僕が考えても、高次元体の方は消えないように調整してと言ってあるので、まともなとこの高次元体が消える事はないだろう
「もったいない」という言葉もあったが、三次元の友人も心配しているし、色々な事に一つの区切りが出来たので、この辺が一つの潮だ。どういう調整になるかは、まだ分からないけど、特段の事情があれば上の天界が呼び覚ますだろうし、問題はないと考えている
殆どの高次元体はいい人達だった。なので非常に惜しく、一年近く悩んだが、所謂下界の高次元体の嫌がらせのリスクが上回ると考えた為、こういう決断となった
本当は高次元体と喋れて、尚且つ日常生活に支障がないというのが理想だったが、仕方のない事だと考えてくれればありがたい
下界の高次元体は結局は、三次元で言う悪魔以上にはなれないようだ
勿論、下界の高次元体にもいい人はいるのだが。結局、いい人の方は気遣ってあまり喋らない。悪い方が余計な事ばかりする。で、調整は結局、よくない高次元体の言葉が多くなるという結果となった
結局、地球人が聞こえないように進化したのと同じ理由となってしまうのは、非常に残念だ

そういう運びになり、良い方の高次元体が取り急ぎ次の課題を僕に伝えてきた
次の課題は「道」

剣道、武道、茶道等の意味での「道」だ

最初はある程度迷った。僕にとって『道』とはなんだろうと考えた
何か一芸を極めるという事だろうか?
汎用型の僕には意外と難しい課題だった
結局、僕にとっての『道』とは、僕に関わってくれた人達全てを刻み込んだ僕自身という事にはなった
まあ、だけど、そういう意味だけで言った訳じゃないよねって分る
最近、どれもこれも才に任せて一通りやるって事にカマけてる
これじゃあ、軽薄才子の領域を出ない
だから、一芸を極めるという事もやろうと思っている

「道」としてやろうと考えるなら、いろいろ迷う
結局、いろいろ迷う事も課題なのだろうと思う
だけど、三次元の地球人としてのある種の終着駅も『道』だろうと思える

昨日、友人と『道』という事に対して語り合ったが、漠然と何やるかは見え始めてるが、まだ迷い箸の最中である
友人S氏の言葉の中に色々ヒントはあったが
「最初から『道』と考えてやるのは難しいですね。長い事やって『道』に入るのが普通ですから」
友人S氏のこの言葉が一番印象に残った
確かに。と思う

麻雀と投資に関しては一芸と言える位には鍛え込んだ。まあ、だけど、どうせやるなら、他の事がいいかなと思ってる

趣味の領域や単純に仕事という事に何か飽いてきた人達がいるなら、昔からあるこの『道』という概念を課題にされてはどうかと思います

『道』という物に対してもうちょっと調べてみるかな?

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