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1985年FUJI HOTEL@香港

1985年香港。
チョンキンマンションからネイザンロードを海側を背にして10分ほど歩き、右側へ曲がって直ぐに古ぼけた中級ホテルがあった。今在る同名のホテルとは違うFUJI HOTELをご存知の方はいるだろうか。
幾たび調べてみても情報は見つからない。私もホテルの写真を一枚も撮っていなかった。
この頃のバックパッカーはラッキーゲストハウスに泊まる人が多かったと思う。
ドミトリー宿でラッキー1から3まであると聞いていた。
たまたま、同行する人が居た為、ドミトリーではなくこのホテルのツインをシェアした。


入口を入るとレセプションがあり、中年の香港人男性スタッフとのやり取りをした。
当時はインターネットは無く、予約は日本の格安航空券の会社から国際FAXで部屋を押さえ、FAXの手数料は2千円だった。

チェックインが終わると左手の古いエレベーターの前にインド人のエレベーターボーイが私達を待っていた。
初めて生で見るインド人。
エレベーターには扉は無く、ジャバラ式の鉄格子で開け閉めされ3階まで運んでくれた。勿論ベルボーイはいない。
部屋は古いものの、ベッドのリネンなどは清潔で冷蔵庫やテレビは無くシンプルで窓無しの部屋だった。
多分1950年代後半から60年代前半に建てられたホテルだと思われる。
日本人オーナーなのか尋ねると答えはNOだった。富士山のロゴが付いていたFUJI HOTEL。日本に思い入れがあったのだろう。


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