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私を振り返る①思いつくままに

私の家は、10数代続く本家であった。

小さい頃から村の寄り合いなどで朝から晩まで人の出入りが多かった。
いつの時代だ?と言う位、母は女中のように働き、嫁いびりにあい、大変だったそうだ。
なんだか大変そうだということは物心ついた時には肌で感じていた。

とにかく、私は母と父と幼少期に家族団欒した記憶はほぼない。写真に3人で写っていて私は笑っているものもあるが、母は疲れ切っている顔をしている。

それでも、妹ができる4歳まで我が家には子どもは私しかいなかったので、親戚のおっちゃんなどはよく可愛がってくれたように思う。
美味しいもの、美味しいおやつは、よそでいただくことが多かったので、おっちゃんたちとが外に連れ出してくれるのは楽しみだった。

テレビも茶の間には大人がいつもいたので、チャンネルの決定権など幼い私にはなく、小学生になってからも、同級生が盛り上がっている番組を見ることができず、なんだか寂しかった記憶がある。
一人で布団に入り、本を読んでいた。
でも残念なことに、自分の心の支えになる程、のめり込んで本を読みふけることもなかった(笑)でも図書館に連れて行ってもらって、好きな本を借りて帰るのはとても楽しみだった。

田舎の本家だったので、家はそこそこ大きかったが、裕福なわけではなかった。
母が自由に使えるお金がなかったということも大きい。
私は6歳離れた従兄弟のお姉さんからのお下がりをよく着ていた。
6年は大きい。流行りも変わり、なんだか時代遅れ。おしゃれなお下がりならまだしも、そうでないものが多かった。
母曰く、「もらったからには着せないわけにもいかず・・・買ってやりたかった」と。母にも葛藤があったようだ。
とにかく私は着たくなかったのだ!!でもその思いは胸のうちに秘め、着ていた。
母の苦労を感じていたから、わかっていたから、言えなかったんだろうな。
あの頃の私、偉いよ!
あ〜赤の七分袖のあの服、今でも忘れない・・・笑

続く


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