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変容へ 31日目

1ヶ月続いた。
どれくらいぶりだろう。なにかを毎日行う。
コツコツの偉大さ。

今日は、3時起きて、瞑想→3時33分マハトマエネルギー→瞑想して、5時寒さと癖でウジウジはしつつ、早朝散歩へ。
人がいな〜い。車も6時台とはまったく違う。
車の運転、練習再開しようかな。
この時間なら遠慮なくできそう。(違う怖さももちろんあるが…)
コンビニで珈琲とバームクーヘン買って、近所の公園へ。
昨日プラネタリウムで、日の入りをみて、私も朝のパワーを頂こうと行動した。
もう最高でした。
はぁ〜朝のパワー偉大すぎる。
美しくて、精悍な時間を過ごせました。
30分位散歩して、自宅へ。
そのまま、感謝ワークをして終わっても、ベンチに20分位座ってた時にお尻から底冷えしてまったく身体が温まらない。
一旦、布団へ逃げ込み統合ワークする。
そのまま2時間寝てた。
起きても芯の冷えは取れずに、お風呂を決行。
次は、お尻に敷くもの持っていこう。
決めたことを行動移した自分最高!
小さな積み重ねが、信頼と実績を生む。

お風呂で解放していたら、何故私はゼニゲバみたいにお金がなにより大事!お金以外守ってくれるものはいないと思うようになったかの要因ふと出てきた。
どこにでもいる田舎の高校生だった。急に昨日まで元気だった母が脳腫瘍で入院手術、余命2年と告げられた。
それまでの生活と一変、気楽な部活満喫する身分から家族のご飯、家事をしなければならなくなった。
父は逃げた。
中学生の弟と同居していた祖母。
薬を飲むのに早めにご飯済ませたいとなるべくヘルシーなご飯の要望がある祖母(勿論ある程度自分でもご飯は作っていた)と、なるべくガツガツしたものが食べたい育ち盛りの弟。
田舎の八百屋やスーパーの限られた食材でやりくりし、2品以上おかずとみそ汁(大人になって土井さんの一汁一菜の本読むまで本当にご飯作りが嫌いになってた)。
母方の祖母も近くにいたが、小さい頃から自分で作ってプロ並み人のために相談しても一蹴された。
誰にも頼れず、私は苦しかった。
たまに余ったお金をピンハネして、服を買った。
ストレス発散。
着るところなんて、田舎の小さな神社の祭りくらいなのに、agnès b.のボーダーを着た写真が残っていた。
あの頃の言えない不平を、物で満たしていたから、いまも物やお金が私を満たしてくれると握っていた。
そして、嫌いだった父の逃げ癖を私が思いっきり今やらかしてるから、余計自分への苛立ちが強くなったのも理解した。
ゆっくりインナーチャイルドのワークして、あの頃の自分を抱きしめた。
怖かったよね、頑張ったね。

今はそれ以外の豊かさもわかっているし、表現して伝えて、誰にも守られなくても強いから大丈夫。
手放そう。

感情リリースを続けていると、ある日本当にふと降りてくる。
1枚ずつ剥がしていった先に必要なタイミングで解放が訪れる。
今日も粛々と解放しよう。

感謝ワーク 2周目 4日目。
これまで私の人生にきてくれたすべてのお金に感謝。

プラネタリウムが感動しすぎて、年パス買って通おうとしている。
宇宙に還りたいと思う日もあるけど、この身体、地球を味わってやるー。

森羅万象光明波


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