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宗教や信仰についての雑記 #81

◯大乗非仏説

仏教の歴史の中に、「大乗非仏説」という言葉があるそうです。
これは「大乗非釈迦仏説」とも呼ばれ、大乗仏教はお釈迦様の説いた教えではなく、「経典捏造による謗法」や「仏教教義からの逸脱」であるという説です。

ご存じの方も多いと思いますが、お釈迦様の入滅後100年頃に仏教教団は二つに分裂しました。これは「根本分裂」と呼ばれるもので、原因は様々なようですが、それにより教団は上座部と大衆部とに分かれました。
(なお現代では、根本分裂は過去の出来事として捉えられており、両部派の間には対立はないとのことです。)

当時大衆部は自らを、多くの人々を乗せる乗り物という意味で「大乗」と名乗り、上座部を自らの悟りのみを望む小さな乗り物として「小乗」と呼びました。これもご存じの方は多いでしょう。
これは、当時のユダヤ教のあり方を批判したイエスや、カトリックを批判したプロテスタントにも似ています。

現在では大乗非仏説は仏教史の一コマとされて、ことさら言及されたり議論されたりはしていませんが、私は個人的には大乗が非仏説であったとしても、それはそれでかまわないと思っています。
宗教に関して、大切なのは教えであって人ではないということがよく言われます。無論、初めに教えを説いた開祖には敬意を払わなければならず、決しておろそかにしていいわけではありません。
しかし、信仰する当人や社会からしてみれば、その教えを誰が説いたかよりも、その教えが救いにつながるかどうかのほうが大事です。

教団からしてみれば開祖や教祖の権威は必要なものなのかもしれません。しかしその姿勢は、見方によっては権威主義に陥る危険性と隣り合わせなもののようにも思えます。

根本分裂には様々な要因があったそうですが、その一つに社会構造の変化があったそうです。社会が豊かになり在家信者が増えて、その発言力が増したことも一つの要因だったとのことです。
権威主義や教条主義に陥れば状況の変化に対応できなくなります。そのようなことについての自分自身への戒めとして、「大乗非仏説」という言葉を心に留めておきたいと思います。

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