製菓材料にラベルを貼っていなかったため悲惨な結果に

1858年10月25日、ブラッドフォードの菓子職人ジョン・ニールは、当時砂糖の安価な代用品として菓子作りによく使われていたパリ石膏を従業員に買いに行かせた。

19世紀には、コスト削減や見栄えの向上、保存期間の延長のために、食べ物や飲み物に安価な物質が混入されることはよくあることで、消費者は気づかないことが多かった。

しかし、今回は悲惨な結果となった。弟子に倉庫から石膏(砂糖の代用品)を取りに行かせたために、毒と取り間違えた。

ラベルのない樽の取り違えで、弟子は誤って12ポンドのヒ素を代わりにニールに渡してしまったのだ。

ニールはこのヒ素を使ってペパーミント・ドロップを作ったが、通常より色が濃く乾きが遅かったため、市場の商人ウィリアム・ハーデーカーに安く売った。

10月30日、この汚染された菓子が約1000個売れた。 翌日、ハーデーカーを含む何百人もの人々がヒ素中毒の症状で重篤に倒れた。

当局はすぐに出所を突き止め、残りの菓子を押収したが、少なくとも21人(うち数人は子供)の死亡をくい止めらるには至らなかった。