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復興のなかの復興事業

この文章は長い年月のかかる事業に向かう人たちに向けて、書いています。話のきっかけは、先日携わっていた堤防の一部が完成したためです。2018年5月に竣工したので、東日本大震災からは7年と2ヶ月ほど経過しています。

この堤防に関して四つの話題です。

・ まとめ;基本方針は大切にしよう
・ 計画の前提としての堤防方針(基本方針)
・ 新しくつくられた堤防空間(基本計画・実施設計)
・ 土木の時間と建築の時間(雑感)

ー 大切なのは基本方針

今回、出来上がった空間は官民連携という形で、復興事業のなかでよく達成された形として出来上がったと考えています。まだまだ事業は続いていますので結論を述べることもできませんが、今感じていることをまとめておきます。この堤防に関わる事業主体は民間、公共(国・県・市)、複数の利害関係をまとめて、一つのこの地域、場所に合わせた形で結実しています。このなかで、一番大切だったのは震災から1年後に地域のコアパーソン等がまとめて打ち出した、計画の前提となった基本方針だと感じています。

通常、計画を策定する場合、基本計画(方針)、基本設計、実施(詳細)設計、工事という順で進んでいきます。
基本方針は、大切な要素となることを抽象的にまとめあげて、計画に強さを与えるものですが、一方で形や構造を見せづらく、形にするのが苦手な人や実施計画を策定したことがない人(都市計画や地域計画)だけに任せると、抽象的になることがあります。その結果、どこの「地域や場所」に適応しても大丈夫な「同じ文言」が並び計画が打ち出されます。それを元にして解像度をあげて設計を進めていくと、どんなものにもなり得ます。役に立たない基本方針に成り得る可能性は常にどこの地域でも孕んでいます。それに対抗するのは、「1. 地域をよく調べ」、出来得る限り文言として具体的なイメージを想像し、その文言やそこでの掲げた方針に対して「2. 優先順位」をつけていくことだと考えています。すべての方針を大切にすることはできますが、それは何を大切にするかを選べていないとも言えます。つまり選択をしていないということと同義とも言えます。「基本方針とは絶対的に揺るがない優先順位を明らかにすること」だと感じています。

堤防の基本方針

 今回出来上がった堤防は、今まで無堤だった街に堤防をつくる震災復興事業です。無堤とは堤防がないことを指しますが、この街は江戸時代、東北、江戸の米処と呼ばれ、川を介した物流が盛んでした。そのため、川と街が物理的に障害なく行き来できることが重要でした。その名残からか、明治、大正、昭和の時代もその構造は変わることなく、川は市民にとって愛され続けた場所で、川の勢いが弱いところには干潟やかわどと呼ばれる川に向かう階段もちらほら見られました。そんな場所が、東日本大震災により、街に流れ込んできた水と船により甚大な被害を被りました。震災前には約250艇の船が川沿いの岸壁に係留されていたそうです。それらが津波とともに街中に侵入し建物の損壊・浸水が起こりました。
そして、震災事業の計画にあたっては、今までの通り無堤でいくのか、という話があがりましたが、堤防をつくる方向で話が進んだそうです。

 水に親しみがあった街としては、堤防を介した水との付き合いというのは、どのようにできるものなのか。そうしたなかで街のキーパーソンたちが集まる会議で、示されたのがこの方針です(http://www.ishi-machikyou.com/michisihrube.pdf)。

堤防の高さがT.P.4.5mのため、現実の地盤(平均高TP.1.0m)より3.5mほど高くなります。3.5mとはだいたいの建物の1F部分の高さです。街側から堤防へ向かうと、建物があります。堤防の上を歩いていると建物の入り口(2F)がある。都会では、駅前のデッキで見られるような構造です。1Fにも2Fにも地面があって、そこに通じる道からアクセスすることができる。

つまり、「この場所における堤防の基本方針」は「川とまちとのつながりを良くする」堤防と建物をつくること、でした。

以後、堤防と建物の一帯空間をその名の通り、堤防一帯空間として書いていきます。

 ー 新しくつくられた堤防空間(基本計画・基本設計・実施設計)

基本計画:2012.11-12(前任での初めての仕事)

この方針を受けて、堤防一帯空間は基本計画では、街側の建物の開発手法、堤防と建物の取り合い(堤防の構造と建築の構造の橋渡し)が来るのかなどは検討していない状態で、「理想な形として」前述した川と街の関係を作りながら、建物の用途・機能のつながり、広場の設け方、街の道との関係性のつくりかたを東北大学の先生方と検討を進めました。基本方針に少し形を与える作業をしました。

少し脱線しますが、今回の案件では、基本方針では建物の建て方の大きな方向性、基本計画ではそこに必要な建築用途などの検討、基本設計では実際にどのように計画できるか、実施設計はそれの具体化といった具合でみんなで進めています。

堤防事業の基本設計:2013-2016

堤防用地および、堤防一帯空間をつくるための建物の用地は、当たり前ですが、震災前は個人の方が所有していた土地が細かく存在していました。そのため、土地の地権者との交渉、建物の費用をどう捻出するか検討するための事業手法の検討(再開発事業または区画整理事業など)が行政及び受託した設計コンサルタントで進められていきました。また、敷地南側に位置する民間主導で進めていた再開発の建物の高さは、基本計画を元に極力建物の高さを下げる方向性で検討を進めていきました。事業手法の検討、設計で、3年ほどの年月が経過しています。

広場の基本・実施設計:2016-;前任から現在まで続いている仕事

堤防空間は全長が両岸4kmほどづつあり、堤防一帯空間は全長が200mほどあります。この200mのなかを区分すると、ざっくりいうと北側100mの建物は公共主導により土地の整理が進み、南側100mの建物は民間主導により計画が進んでいます。そのほかの事業主体は、河川堤防は国土交通省、堤防と建物を接続する部分は市、完成の後の岸壁の管理は県港湾が主幹しています。北側の建物は民間主導で建設された商業施設及び、まちなか公共施設(図書館の様なハブ機能)の整備が進めれています。南側の建物は災害公営住宅と分譲住宅が計画・建設されました。そのため、堤防一帯空間広場は、北側は商業的利用を見通した川辺の広場、南側は市民の人が利用する憩いの広場と方針を決めています。広場は、堤防一帯空間としての一体感は出しつつ、北側と南側では用途が違うので空間を分節することはせずに、空間にグラデーションを生み出すことを念頭において進めています。舗装は、北側ではテントなどを配置する際に目印になる様に模様をタイルの濃淡でつくり配置し、南側にかけて模様が消えていく様なデザインとしています。南側の広場は建物にデイケアサービスセンターが入ったりすることや離島航路の切符待合所および切符売場が設けられることから、多くの人がこの場所に同時に佇める様に計画しています。

ー 土木の時間と建築の時間(雑感)

震災から7年かかってもなお、土木の復興事業は完了していません。堤防も完成していない区間の方がまだ長いです。その一方で、建築のプロジェクトはあっという間に流れ去って行く印象です。携わったものだと、3年〜5年かけると大方の建築は出来上がるような印象です。建築が早いというのではなく、土木事業が長いのです。また、土木事業の場合は当たり前ですが、敷地が広いため、土地の買収や整理にも多くの時間を費やします。実行するのにも時間がかかります。

そういう意味で、都市計画・土木事業は数十年かかるプロジェクトもざらに存在しています。

それでも、土木の扱う時間というのはそうした長い年月をかけ、長い価値を生み続ける宿命を担っているでは無いかと考える様になりました。普段利用している道路、鉄道、高速道路、橋、など全ては国策としての土木事業です。これからの時代は、正真正銘の持続的経営を支える持続的な地域計画が必要だと感じています。

CREDIT
写真:Teppei Kobayashi
文章:Teppei Kobayashi


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