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風景を見つめる 365days

一日、一枚をイメージして、その写真の背景にあった行為や考えを書いています。風景の循環(日常の持続性)と美しさ、を考える時に必要なことはどういうことなのか、内省的な記述を通してことば探しをしています。365からカウントダウン方式で進んでいきます。

- 目次 -
362.生きている 〜人の手と自然の強さ〜
363.チューリップ 〜ゆらゆら揺れる〜
364.名前もわからない花 〜季節の色〜
365.紅白梅 〜東北に桜はまだこない〜
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362.生きている #tender
 ふと図上に広がる樹をみていると、手入れで剪定されてしまったと思われる太い枝から、一本の小さい芽が出ていた。その木はよく見ると、そうした太い枝から新芽が出ている枝が多く見られた。幹の中心から上にかけては大きな葉もつけているが、横に広がった枝は数年前に切られていたように思う。自然のものに人が手入れする必要があったとしても、樹形としては貧しさを覚えてしまう。ただ、無残に切られてしまった枝から、生命の強さを感じられた。ギャップから感じているので、なんとも微妙な気持ちである。

363.チューリップ #tulip  
 日比谷公園を歩いていると、眼前の植栽ますの中に色とりどりのチューリップ畑が現れた。チューリップを個人的に不思議な形をした変な花と感じていたが(酷い言いがかり)、綺麗でした。言いがかりの発端となった先日家で飾ってあったチューリップは、一つの大きめの花瓶に何本も入っており、少し満員電車に乗っている人間のように息苦しそうでした。日比谷公園の花たちは、土と一体のためか、花は顔、幹は身体、葉っぱは手足に見えて、みんなそよ風にゆらゆら揺れていて踊っているみたいで楽しそうだった。このチューリップは公園事務所とNHKプロモーションが主催して、地元の子供たちとNPOさんが植えるたりしているみたいです(公園内の看板より)。つくられた自然という感覚もありますが、通る人通る人、みんな写真を撮っていました。みんなは綺麗という感情のつながりの背景に、他にはどういうことを感じているのか気になりました。綺麗なものは綺麗「だけ」なのか。

364.名もわからないお花 #seasonflower
 春の様相を見せていた東京以南の桜の写真群。どんな風になっているのかと思いつつ、新しくできた東京ミッドタウン日比谷へ向かう道すがら、日比谷公園を抜ける。最初に出会ったこの名前がわからない花は綺麗な色で、密度濃く咲いていた。季節によって現れる鮮やかな色は、アイキャッチ画像のような大地・土などの不動の色とは異なり、このひとときに咲く。だからこそ、この一瞬の美しさに惚れ惚れする。日比谷公園の桜はほぼ咲き終わり、新しい新緑が広がっていた。花が落ち、新しい生命が生まれる時に、新年度を迎える。なぜ、年始めと年度始めが違うのかは知らないが、日本人にとって年度始めという時期は、植物が歓迎してくれる良い時期なのかもしれない。

365.紅白梅 #plum
 春の訪れを告げる梅の花。仙台にいると桜の写真と笑顔がSNS上に満開に広がる時期、仙台の桜はまだ開花していない。今年の3月は暖かい日が続いて、春めいた散歩日和が続いている。なんとも気持ち良い。仙台の西公園には臥龍梅という、仙台藩祖伊達政宗が文禄の役(1952年)の際に朝鮮から持ち帰り、仙台城に植え、明治維新後に移植されたと言われている白色一重の梅がある。植物の持つ雄大時間。仙台市博物館の横には紅の梅もある。
一本の木を愛でる環境として、臥龍梅の案内板の位置と、寄り添うようなベンチをデザインを置いてあげたい。

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