171119_南東向き

モニュメント、慰霊碑をどう考えるか

「その眺望は多方向的である。それは奥行きとして知覚される。動く人間がこのなかに入れば、どの場所にたってもそこが中心となる。ここと決められた眺めの場所はなく、どの眺望も全て対等であり、移動し続ければ限りなく変化していく。想像力はこれを無限の大きさに変貌せしめる」イサム・ノグチ,ある彫刻家の世界,p169,1969

Isamu Noguchi「Black Sun」1969, Seattle
これは1904-1988年、日米のハーフとして生まれ戦時から戦後を彫刻家という職能にとらわれず、大地を、空間を彫刻したイサム・ノグチの言葉である。彫刻を彫刻だけの枠組みでつくるのではなく、形とともに空間を考えた人の言葉である。
**
伝承と慰霊空間を考える**
2016年度、宮城県石巻市の震災伝承委員だった。そこで感じたのは、時には語り部間同士の間でも、感情に付随する事実が異なる。情報がこんなに溢れる世のなかでも、震災の事実は何が正しいかを証明することは出来ず、人によって、持っている情報、感情によって解釈が異なる。そのため、様々な事実、感情を受けとり、後世に「考えるきっかけ」を渡すことが震災の伝承になり、慰霊碑等の空間の意義と考えている。

慰霊碑・モニュメントを考える
2017年11月、石巻市雄勝町の慰霊碑・モニュメントの空間は、こうした想いを念頭に置き、自然に身を浸し、慰霊碑に祈るではなく、慰霊碑とともに祈る企画提案とした。裏テーマとして、環境に身を浸すことは現代の人の地域の環境に対する意識の希薄さ、環境と向き合うことの大切さの欠落にも向き合うものであり、そのモニュメントは地場材である雄勝・波板石の特性を把握し、魅力を最大限引き出し、恒久的に数百年単位のことを想像していた。さらに、感覚的には修験道、法印神楽が無形文化財の雄勝らしい、その場所でしか出来ない提案であったと我ながら思う。結果は負けた。

一瞬、他の場所でつくろうかと思ったがイメージが全く合致しなかった。なんで過去の建築家などにUnbuiltの作品を公表しているのだろうと思っていたが、みんなつくりたっかたんだろうな、と勝手に解釈することとした。

本提案は愛建工業・風景屋・IAS共同提案体による。
https://www.facebook.com/fuukeiya/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?