冬のミコノス島に憧れ続けて。
今僕はエーゲ海の船にいる。
エーゲ海の船旅。
理想的なハネムーンを連想するような甘美な響きのする旅は、実際には曇天の薄暗い早朝に目をこすりながら始まっている。
時より吹く海風が、ギリシャには似合わない冷たさを運んでくる。
今回の旅の目的は、閑散期のギリシャの島に行くこと。
持参した本はもちろん、村上春樹の『遠い太鼓』である。
この本は僕にとって特別な意味を持っている本だ。
村上春樹は海外に暮らしていた頃の自身を「常駐的旅行者」と言い表したが、僕もこの2年間スイスに拠点を置きながら、日常の延長線上としての旅を繰り返した。
仕事があったから彼のように長期的な旅をすることはできなかったけれど、旅は当たり前のように僕の生活に包含されていた。
2年前の僕はとりあえず日本から出たかった。
コロナで閉塞した日々に息苦しさを覚えつつも、大学3年生として少しずつ将来の道を選択していかなければならなかった。
目の前の選択を先延ばしするように、僕はたまたま縁のあったスイスで生活する道を選び、2年間の長い旅を始めたのだった。
そんな長い旅という選択肢を与えてくれたのが、この『遠い太鼓』であった。
そして今、2年間の旅を締めくくるように、僕はその本に出てきた閑散期のミコノス島に向かっている。
このギリシャの旅は始まったばかりなのに、どこか旅が終わるような悲壮感が漂っている。
船が尾に残す白い航路の跡を見つめながら、この2年間僕の歩いた道を振り返りざるを得ない。
濱田英明の写真集『Distant Drums』のページをめくるように、いろんなとるにたらない美しい情景が記憶に蘇ってくる。
僕はこの2年間、自分なりに頑張れたと思う。
2年前の僕は一人暮らしすらしたことのない、社会を知らない未熟なひよっこだった。
今ではスイス社会と日本社会について少しは理解を深め、何から逃げてよくて、何を受け入れるべきなのか多少の判断がつくようになった。
自分の指向する幸せを実現するための手段も、以前よりは解像度が高く見えるようになった。
理想と現実の間を縫って生きていく道筋が、少しは分かってきたような気がする。
島々を横目に、船は絶えず進んでいく。
さっき停まった港で乗ってきた若者たちは、どうやら島のサッカーチームか何かのようだ。
次の島に着いたとき、彼らは勢いよく船を降りて行った。
これから隣の島のチームと試合があるのだろう。
船はまた静寂に包まれた。
アテネを出て5時間半が経ち、ようやく目的地のミコノス島に到着した。
もちろん観光客はほとんどおらず、地元の人ばかりが船を降りる。
港から中心部へと歩いていくのは完全に僕一人である。
誰もいないミコノス島という、数年前からずっと見たかった景色を前にして、つい早足になってしまう。
その日はホテルに向かってから街を散策し、夕食をとって終えた。
カーテンを通して、ギラついた陽光が部屋に差し込んでいる。
朝の光は清々しいけれど、ドアや窓ガラスがカタカタと音を出し続けている。
天気予報によれば、どうやら今日の夜中には雪もあり得るほどの激しく冷たい嵐が訪れるらしい。
午前中は結局ホテルから出る気も起きず、ベッドの上でダラダラと過ごした。
とはいえ人間お腹は空くものである。
のんびりしたい気持ちを抑えながら、空腹に負けて散策を始めた。
閑散期にはほとんどの店が閉まる。
そんなことはもちろんわかっていながら、この季節のミコノス島にやってきた。
でも実際に来てみると驚いた。
本当にどこもシャッターが閉まっているのだ。
インターネットでは3分の1くらいのお店はやっていると書いているウェブサイトもあったけれど、そんなものは全くの嘘である。
おそらくその人は、真冬ではなくシーズン前後の端境期近くに来たのだと思う。
今のミコノス島は9割ほどの店が閉まっている気がする。
おまけにむかつくのが、Googleマップ上で開いている表示になっていても、その大半のお店が実際には閉まっているということだった。
どうやら本当に閑散期に観光客が来ることを想定していないらしい。
どうせ誰も来ないのだから、そもそも情報をアップデートする必要もないということなのだろう。
昼食を探して街を彷徨っていると、しばしば猫に遭遇する。
ギリシャに猫が多いイメージは元からあったけれど、5分に1回遭遇するほどだとは思っていなかった。
どう考えても、今この島にいる観光客よりも断然多い。
猫たちは、僕の存在に気づくと最初は関心を示すものの、何も餌になるものを持っていないと気づくと、怒った表情を見せたり、別のところへ行ったりする。
空腹に導かれて街を歩き回る僕は、別にこの猫たちと変わらないのではないかと我ながら思った。
最終的には空腹に負けて、ホテルの人に教えてもらった価格帯の高い数件の飲食店のうち、海沿いにあるカフェに入ることにした。
猫と違うのは、お金を払えば食べ物にありつけるというところだ。
でもそういう意味では、猫はお金を出さなくても島の人たちが恵んできれる食べ物を得られるのだから、今の僕より幸福な生活を送っているのかもしれない。
昨日ホテルにチェックインした時、担当してくれた女性は親切にミコノス島中心部の説明をしてくれた。
ただ、人の行かないところに行きたがる性の僕は、中心部以外にはどんなところがあるのかと聞いてみた。
するとそも巻き毛の女性は、それ以外のところは車で行くしかないと答えた。
2キロほどいけば今教えてくれた範囲外に行けるというのに、一体どういうことなんだろうと思ったけれど、ただ誰もそんなところに行こうと思わないということなのだろう。
それでも昼ごはん後に時間を持て余した僕は、ただ海岸沿いの道を歩き続けることにした。
風速15メートルはあろうかという風が、時折僕の体に向かってくる。
空は晴れ目も出ているというのに、30分に1回ほど数分の小雨が降ってきたりもする。
道理で他に歩いている人がいないというわけだ。
歩道のない車道を歩いているから、たまに近づく車は僕を避けながらすれ違ったり追い抜いたりしてくる。
結局雨の中も歩き続けなければならない状況に参ってしまって、紅白の煙突を持つ工場に差し掛かった後、元来た道を戻ることにした。
冷え切った体はどうしても温かい飲み物を欲するものだ。
空いているカフェを探す気力は微塵もなかったから、ホテルに近いところにある島で唯一のスターバックスに向かう。
こんな小さな島にスターバックスがあるのはよく分からないが、やはりヨーロッパのセレブが夏を過ごす島であるということが、こんな場所に世界的チェーン店の存在する理由なのだろう。
そんなセレブたちは、一体冬の寂れたこの島の様子を想像することはあるのだろうか。
資本主義社会の典型的なバカンス地で、ただ自分の好きなように消費をしたのちに去っていく。
僕はそんな人たちにはなりたくないと心底思った。
誰もいないスターバックスで僕はホワイトモカを頼んだ。
目の前には小さな離島の景色が広がっているけれど、僕の口の中には東京の味が広がっていった。
ホテルで休んだ後に夕食を食べにまた外へ出ようと思っていたら、その頃には嵐がやってきて、大した雨具も持っていない僕は結局夜ご飯を逃すことになった。
猫たちも同じような夜を過ごしているのかもしれないと思えば、そこまで惨めな思いをしなくて済んだ。
翌日の午後のフェリーで僕はこの島を去る予定だった。
港に着くと、ずっと自分が乗ると思っていた大きな船はどうやら僕の乗る船ではないことが分かった。
僕以外には人一人いない。
小さい港も隈なく探して見つけた電報掲示板には、「delayed」という文字が表示されていた。
ただ船が遅れているだけなのかと思って安堵していたけれど、2時間前に着いているはずの船もまだ着いていない。
嫌な予感がしてウェブサイトをしっかり見てみると、案の定天候不良により明明後日まで船が欠航になると書いてあった。
仕事があるから僕はどうしても明後日までにはスイスに戻らなくてはならない。
必死に情報を集めていると、18時前に空港からアテネ行きの飛行機が飛ぶようだ。
念の為、シャッターが半分だけ開いている港の売店の女性にアドバイスを求める。
「飛行機は飛ぶんじゃないかな、でもなんであなたは誰にも船が欠航になっていると聞かされなかったの?」女性は僕にこう問いかけた。
一体僕はなぜ、誰からも船の欠航について教えられなかったのだろうか。
僕自身が一番問いかけたいくらい、なぜ誰も教えてくれなかったのか理解に苦しむ。
せめて陽気なレストランの店員くらいは、僕にそのことを告げてくれてもよかったのに。
おしゃべりなその女性は、今度はなぜこんな時期のミコノス島に来たのかと問いかけてくる。
やっと村上春樹の『遠い太鼓』で出てきそうな人に出会えて、人生最大レベルに焦っているにもかかわらず、自然と笑みが溢れた。
女性は空港までのタクシーを店の電話で呼んでくれて、帰れるといいわねと僕を送り出してくれた。
結局その日飛行機は飛ばなかったけれど、さらに翌日の午前の飛行機でどうにかアテネに戻ることができた。
冬のミコノス島で過ごした4日間は、決して万人にとって楽しいと言えるものではなかった。
でも、この2年間のヨーロッパ生活を支えてくれた本に登場する場所に行けたということが、自分にとっての何よりも幸せなことだった。
島を出て1週間が経った今でも、仄かに塩の香りが体に染み付いている気がする。
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