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そのままをそのままに

画家の熊谷守一氏は、晩年、自宅からほとんど出ることなく、庭の草花や、時折やってくる生きものたちを何時間も見つめて過ごしました。
時には地面に寝転がり、時には草陰からひっそりと、ただそこにある生の営みを一途に見つめ、草花や生きものの飾らぬ姿を多くの作品に描いたことは、ご存じの方も多いと思います。氏は文化勲章を辞退したことでも有名です。

その熊谷氏は、
「わたしは生きていることが好きだから、他の生きものもみんな好きです」
といいました。
この、こころわかき言葉に、偽、悪、醜のいづれも見つけることが出来ません。わざわざ、純粋とか素晴らしいとかいう、真、善、美を語ることさえ憚られる様な一言です。

私たちは、自分が生きているという当たり前のことを忘れ、生や死について(時に頭を抱えて)考えることがあります。が、それは私たちの持つ生や死への不安を、ほんの少しの間、忘れさせるマヤカシに過ぎないのではないかと思います。

熊谷氏が見つめたもの。
風に揺れる花、花の香りに誘われる蝶、昼寝する猫、小さな蟻のむれ、朝の光、、、。
全てが、ただ、生きています。それぞれの生を全うし、一日を終え、一生を終えるのです。そんな生きものたちや自然の姿をただ、ただ、見つめられなければ、あの一言は言えないと思います。そのままを、そのままに見つめることは、知識が増えれば増えるほど難しくなります。そのままの姿が遠く霞んでゆくことは少なくありません。

大都会東京の一角、池袋にあった家の庭で、自然とともに生きた熊谷さんの晩年の絵は、複雑ではなくなり、抽象的なものになりました。その絵の様式に辿り着くまでには、長い年月を経たといいます。目の前の出来事を見つめるほどに、ごく当たり前の真実に近づけるのだと思います。見つめ、溶け込み、一体となったときに心は満たされ、自らの生を実感するのです。
飾らぬ生の営みを一途に見つめた熊谷さんの、絵はさることながら、その生き方に、私は心打たれます。

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