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トルコ・ハルフェティ連詩を終えて:三宅勇介 x 四元康祐 往復書簡第三回

四元さん、お返事ありがとうございます。

様々な四元さんの投げかけ、大変興味深い問題が潜んでいるように思えます。

そうだ、まず、「ところで、肝心の連詩のテクストはどうなっているんだい?」と思われる方もいらっしゃると思うんですが、諸事情により、ここでは今のところ、全文を載っけられず、さわりだけしかご紹介できないのが残念なのですが、その場の背景をサイド・ストーリー的に書き出していくうちにぼんやり連詩本体も浮き上がってくるのではないか、とも思うのです。

まず、最初に、トルコの治安の心配の話でしたね(笑)。今回の連詩セッションのお誘いを四元さんから去年受けたとき、まだはっきりとしたスケジュールは分かってませんでしたよね。僕らに分かってたのは、イスタンブールとハルフェティという町で連詩を行うという事だけで、一ヶ月前ぐらいにゴクチェさんから詳細な情報が入り始めた、そんな感じでした。

ハルフェティという町に関しては、「地球の歩き方」などにもあまり情報がなく、ネット検索して、黒薔薇の産地だ、という事が分かったぐらいでして。十数年前にダムに沈んだワイルドな景観に取り囲まれた観光地にしてリゾート地、というイメージは全くありませんでした。往復のトルコ航空の、機内のトルコの観光地のイメージビデオの中にも出てきましたし、日本人も訪れるとニハットさんも仰ってたので、僕が知らなかっただけかもしれません。(ちなみにこの「黒薔薇」を連詩に使ってやろうと思っていたら、四元さんに先を越されてしまいましたね。(笑)薔薇は初夏の季語で、丁度我々が訪れた五月前半には季節的にも合っているかな、なんて思っていたんですが、実際は黒薔薇の季節は秋ということでしたね。ニハットさんからプレゼントされた鉢の苗木をぺリンさんが大事そうに抱えていたのを思い出します。)

(イスタンブールに戻ったペリンの家で花を開いたその鉢植えのバラ)

さて、トルコとシリアが国境地域でクルド人問題で紛争し始めたのが、二月から三月頃でしたっけ?僕は新聞で読んでいたのですが、ハルフェティの町の位置を、単にイスタンブールの郊外だろうぐらいに考えていて、しかもメインはイスタンブールでやるんだろうなんて思っていたので、まあ大丈夫だろう、と思っていたのです。

一ヶ月前くらいになり、ゴクチェさんから詳細な情報に接して、ふーん、メインの会場はハルフェティなのか、イスタンブールからガジアンテイップの空港に飛び、そこからハルフェティにいくのか、ふむふむ、なんて思ってたら、あれ、結構、シリアとの国境に近いのね、大丈夫かしら、なんて思い始めたのです。そしたら、四月にトランプ大統領がシリアを爆撃したので、本当に連詩セッションなくなるか延期になるかも、なんて心配しました。難民がキリスというトルコとシリアの国境検問所の町に押し寄せる、なんて事態はありませんでしたが。

(詩人たちが宿泊したニハットのホテル)

さて、ホスト役のニハットさんの話。この人、はちゃめちゃで、煮ても焼いても食えない奴なんだけど、本当に知れば知るほど興味深く、謎めいた人でしたね。

最初は、僕も四元さんもこの人をよく理解してませんでしたよね。ホテルをおじいさんから引き継いでオーナーになり、湖ではボートを乗り回し、ロックスターばりの自分のプロモーションビデオを作り(イケメンで色男なのです)、日本のアニメの「キャンデイ・キャンディ」の歌を絶叫する、お金持ちの道楽者、という感じでしたよね。でも四元さんのいうようにアレッポの大学で博士号や博物館の学芸員の資格まで取得しているインテリで、小学校の教師(一番似合わない)の経験があり、(僕らも昔にニハットさんが教師をしていた小学校に行き、歓迎されましたよね)、トルコのスローフードの推進者にしてグルメ、おまけに地元の顔役にして尊敬されているから、どこのレストランに行っても無料、人脈も物凄い、となれば、あまりに色々な顔がありすぎてわけわかんなくなります。まあ、一口に言えば凄い人だ、と。つまり、今回の連詩セッションのワイルドでクレージーな側面は間違いなく彼がお膳立てしたもの、と言えるわけなんですね。(エフェさんとゴクチェさんには散々いじられていましたが)詩に関しても、四元さんがすぐに見抜いたという、エロチックな詩の達人とも言える人で、今回の連詩セッションでも異彩を放っていましたよね。

(謎の詩人ニハット)

さて、四元さんが指摘されたように、「特権的瞬間の共有」こそが「うたげ」ではないか、という事、本当にその通りだと思います。つまり、今回のハルフェティ連詩の題が、まさに『手に手をとって湖に飛びこむの巻』で、もし仮にゴクチェさんの発詩から、四元さんの、挙句に相当する挙詩?までの緩やかな世界観というものがあるとするならば(連詩なのでテーマはないのですが)、それは我々がパンツ一丁になってダム湖に飛び込んで浮かび上がってくるまでの、幸せな一瞬に含まれていたのではないか、という。

トルコと日本の詩人のお国柄というか、その辺の話ですが、そこで思い出すのが、イスタンブールで、今回の連詩を、イスタンブールの詩人たちの前で朗読した時のことです。

大通りに面した、ビルの最上階のDAMというイベントホールの部屋の中が、徐々に夕暮れの影の中に沈み込もうとしている情景を今でもまざまざと思いだす事ができるのですが、あの時、連詩の朗読が終わった時に、エフェさんやゴクチェさんも尊敬する、イスタンブール詩壇の重鎮の方が感想を述べましたよね。日本の詩人とトルコの詩人の詩は特徴が違うと。日本人(つまり四元さんと僕)の詩はインテリジェンスでできていると。特に四元さんや僕にその傾向があるのかもしれないんですけど、すごく納得できる指摘でした。もしかしたら、あの重鎮の方は否定的な意味合いで仰ってたのかもしれませんが(笑)。それに対して、僕は思うんですが、トルコ人の詩は、普遍的というか、人間とそれを取り巻く自然の中で作られる感覚的な美しい詩が多いですよね。特にぺリンさんに特徴的だと思ったんですが、ぺリンさんの詩は結構短歌の世界と共通するものがあると思ったんですね。ぺリンさんが詩を作る時、湖に向かって、凛とした姿勢で集中していた姿が目に焼き付いています。

(詩を書き上げて寛ぐペリン)

美しい感傷性といえば、ゴクチェさんの詩が思い浮かぶし、小説的でもある、と四元さんが評した、建築の美学教授である、エフェさんの詩も、ある種客観的で、クールな美しさがありました。

さて、先ほどの「インテリジェンス」という言葉で妙に納得した理由なのですが、つまり、四元さんや僕の詩を違う言い方をするならば、「奇想」や「機智」とも言い換えることができるとも思うんです。四元さんのくしゃみの詩なんてまさにそうですよね。(本来、連詩は一つの詩であって、個々の詩を云々するのはまた違うのですが、まあここはとりあえず)。それは我々の詩の性質がもともとそうである、ということもあるのですが、あえて、連詩だからそのように作ろうとした、という側面もあると思うんです。なぜなら、「うたげ」だから・・。

大岡さんは、『うたげと孤心』の「贈答と機智と奇想」の中で、連歌や連句を考察して、「うたげ」の意味あいを考えた時に、作り手の姿勢として、「奇想天外なイメージ」を持ってこようとする姿勢を肯定的に捉えていますよね。確かに、前の詩につけようとするときに、ガラッとイメージを変えたり、前へ進めていく推進力を持たせるためには、奇想天外な詩が必要になってくる。

少し長くなりますが引用して見ます。

奇想を追求するという行為の底には、多かれ少なかれ、他人を驚倒させようとする動機がひそんでいる。少なくとも、自分が今生きている環境への挑戦という動機がそこにはある。それは叙情の衝動とは異質の原理によって支えられているだろう。つまり、他者とのあいだに意識の尋常ならざる緊張関係を生み出し、それによって自我の拡張という幻想を獲得しようとする衝動こそ、奇想追求の奥深い動機をなしていると思われる。

近代以前の和歌の歴史を通じて最も重要な発想形式は、相手の存在を意識して作られる贈答歌の形式ではないかという思いが、私には強いがー題詠という形式もそのヴァリエーションと考えて良いー尋常な挨拶にすぎないものは別として、もし両者のあいだに何らかの刺激的な関係変革への欲求が存在するかぎり、そこで作られる歌も、必然的に奇想的な表現を指向せざるを得ないといえるだろう。

この辺りの大岡さんの指摘はさらに、近代短歌の生真面目さの批判にも繋がって行くのですが、ここでは割愛します。でも、奇想や機智で定型詩を作ってきた私には、まさに我が意を得たり、という内容で、大変刺激的で、今回の連詩セッションに参加して得た大収穫のうちの一つになりました。いつかこの辺りを掘り下げてみよう、とも思った次第です。

2018年6月11日
三宅勇介

往復書簡第二便はこちらから。
https://note.mu/jpr/n/n117526dfc4f1



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