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動法と内観的身体④

『 動法の理を求めれば型は自ずと生ずる。

動法と型は対を成し、型を論ずることなしに動法を語る訳にはいかない。元来動法とは型に入り、これを転じ、型を収めるという行程を指すのである。

したがって如何なる型も、この迎入れ、転変、収束の三態を有している。しかしここでは、型の三態に貫流するものを探ることとする。

現代は型無き時代である。したがって型は不当に曲解されている。

代わりに流布された身体運動の規範は、謂わば「弛緩と自然」である。これを強調するあまり、型は自由と個性を奪うものであり、強要抑圧の端的とされた。

しかし動法の規範が「硬直と不自由」である筈がない。
寧ろ自然に楽々と動くためにこそ、型は用いられる。然も総量三十キロの能装束を纏って猶、自由に悠々と、舞うのである。型を崩せばこれはできまい。

動法の規範として古人の間に共有せられたものに、キレ、タメ、シメ、シボリ、オチ、オトシ等がある。

しかしとれ一つとして外観記述を許さない。それどころかそれを拒むものばかりである。
腰が入るといい、腹がきまるといい、胸のおとしというも、外観的形態の記述は不可能であり、無意味である。

そもそもそれらは優れた動きを達成した際の内観的充足感の記述であり、したがってこの規範は内観に求めて初めて価値と有用性を生ずる。
ここに言う内観とは、身体の内観を指す。動法に内観は不可欠のものである。内観なき動法は有り得ない。

今日の、動法風化の要因は自らの身体を内観する習慣の欠落にある。
内観性が乏しければ型が単なる虚しい形式のように感じられても無理はなかろう。

動法理解の鍵は解剖学無き時代の身体観にある。解剖学的区分を忘れ、素直に自らの身体を内観し、その感ずるがままの内観から得られる身体像を、私は内観的身体と呼ぶ。
それは単なる客観的身体の認知像とは全く異なり、気体化した身体像とでも言うべきものである。

今仮に坐して軽く閉眼し、自らの腹部の輪郭をとらえてみる。するとそこに腹の像が浮かぶだろう。
或る処は不明瞭にぼやけて居り、明確になっている処を辿ればそこに様々な形、例えば瓢箪、或るいは半月の如き形を呈している。

次に腹の表層から深層へと内観を転じてみる。最深層は背の裏である。背の裏まで内観が届く者にはそこに立体性を有する腹の全貌が観えよう。
このように内観的腹部は立体性と複層性をもつのである。

更にこの内観的腹部を観想したまま腹に力を入れてみる。その力が最深層まで伝わらない。

その力が最深層から幾層を経た最表層に至るまで満ちることを「腹が決まる」というのである。

その為には力の起源を最深層に求めねばならない。
まず最深層の一点に集注し、のここら殆ど力とは言い難い微弱な動きを起こすのである。その動きは滞らず上層へと伝播し漸増する。表層に至った瞬間に所謂力感、或いは拮抗感が生ずる。

古人の言う「シンを動かす」というのは、こういうことを指すのである。
そして最深層から最表層まで力が及べば先の腹の形状は自然整ってくる。

更に腰で同様のことを行なってみる。すると腰は内観的腹部と空間を共有していることが判るだろう。

内観的身体に於いては腰腹一体なのである。
元来腰といっても腹と呼んでも、それは身体の平面的区分に基づく記号に過ぎない。

さて「腹がきまる」という動法の規範は、動法者の内観の中に求められたものであった。
しかも、その腹とは、内観的腹のことである。

身体を内観することを知らぬ現代の人々は、古人の動法の叡智を客観的身体に求めてしまう。

客観的身体を如何ように膨張させようと、力を入れようと、気を集注させようと、最深層から幾層を経て表層に至る内観的腹の、ほんの上層部に影響を齎らすに過ぎない。
したがって、内観的充足は得られる筈のないものである。
現代人に型の習得が強要無理強いと感ぜられても無理はあるまい。

しかし、一度内観的腹の広さと深さを知れば、古人が何故腹を重視したかが判るのである。
その静けさ、悠々たる動きは、やはり味わうに価するものである。

私は、単なる身体運動に過ぎぬ動法が、日本文化に深く定着し、その精神的営為にすら強く影響を与えたのは、動法が内観的身体の追求を伴っていたからだと確信している。
内観的身体を律し得た時の充足性、或いは内観的身体が自ずと整ってくるものとの邂逅こそ、「身体で覚える」「身体で感ずる」ということの実体だったのである。

例えば秋に月を見る。目で見ている訳ではない。見ることで澄みわたっていく内観的身体の観想を通じて、秋の月の佳さを覚えるのである。

日本人は、この気体化した身体と共に生活してきた。それは肉と心の狭間にある漠たる空間をもつ身体であった。

そして古人はそれを充足させる術を知悉していたのである。 』

つづく

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