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ワケもわからずやり続けると、ワクが広がる

学校の勉強をしている時って誰しもが「なんでこんなことやらなきゃいけないんだろう」って1度は考えたことがあるのではないでしょうか。

勉強をする理由もよくわからないまま歴史上の人物や数式をインプット(丸暗記)し、それをテストでアウトプットしていく。

そこで学んだことに、自分として納得できる意味が出てくるのは、卒業してからだいぶ経った後だったり、下手すると未だに意味が見出せなかったり。

そして大人になると、理由がわからないただの情報をひたすら学ぶ機会が失われていくように思います。

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私は今の会社に入社するまで「在庫管理」「生産管理」「新商品開発」をまったくやったことがありませんでした。

しかし入社していきなり、その3つを同時に担当していた方の役職を引き継ぐことになり、教わりながらとにかくやり方を学んだのです。

前任者は20年以上、その役職をやり続けたベテランです。ただ私が入社してしばらくすると、その方が会社を辞めると聞かされました。その時点で引き継ぎ期間は残り1.5ヶ月。入社してからの累積でも3ヶ月。

20年分のアレコレを3ヶ月で引き継ぐ。無謀。

いちいち「なんでこれはこうなってるんですか?」なんて確認してたらとてもじゃないですが終わりません。

少なくとも会社が問題なく回る程度にやり方をひたすらインプットし続けていたら、あっという間に3ヶ月が終わってしまいました。

前任者の方か退職した後は、ひたすらに不安でした。やり方を学ぶ際に、重要なところはそのやり方である理由を聞きましたが、全てにおいて理由を理解してるとは言い難い状況です。

でも会社への影響範囲が大きいので「ミスをしてはいけない…」と緊張感を保ちながら、学んだやり方をこなしていきました。

やり続けているといろんなトラブルが起きます。すると徐々に「あ、あのやり方はこのトラブルを防ぐためなのか!」とワケが分かってきて、今まで自分の中になじんでいなかったやり方が、とてもしっくりくる瞬間が訪れます。

そして全てではないにしろ「在庫管理」「生産管理」「新商品開発」の本質の一部がちょっぴり分かったような気がしました。

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ワケが分かることばかりを学んでいても自分の枠はなかなか広がらない。

ワケは分からないけどとりあえずインプットしておいたことが、どこかで自分の枠を広げてくれたり、深い気づきを与えてくれる。

もしかしたらそういった「ワケわからないこと」を学んだ量が、人の枠を規定しているのかもしれない。

たまには意識的に、今やっていることと無関係なことを学んでみると、世界が広がるかもしれませんよ。

だいたいスターバックスで、あえてホットティーを飲みながらnoteを書いているので、ホットティー1杯くらいのサポートを頂けたら、こんなにうれしいことはありません。