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コインチェック騒動と、これからの正義の話


この週末はコインチェックの騒動でTwitterは埋め尽くされていた。

私もコインチェックには少しだけだがお金を入れていたこともあり、動向は気になって見ていた。

ただ、今回の騒動が進むにつれ、私の中で徐々に違和感が強くなっていき、その違和感を整理したくて、このnoteを書くことにした。



1/26(金)にコインチェックからNEMコインが約580億円分が盗まれた。



しかし、1/27(土)NEMコインの発行元であるNEM財団から、ハッカーが盗んだNEMコインを取引できないようにする、という措置を取ったという報告があがった。



この措置を任された日本人エンジニアの水無凛さんは、ネット界で英雄視されており、応援が集まっている。



また、仮想通貨ならではの展開に胸を熱くする方も多いようだ。



素晴らしい美談、かもしれない。

しかし、私はこの一連の流れに少し不安を覚えた。



今回は「窃盗」により動いたお金であるため、NEM財団の判断で、窃盗をしたハッカーのNEMコインの入ったウォレットを使えなくしたことは妥当に思える。

しかし、これをリアルなお金で、かつ極端な例で考えてみよう。

国の判断で、自分の手元にあるお金の入った銀行口座が突然使えなくなったら、あなたはどう思うか?

その国の判断が正しいと、誰が言い切れるのだろうか?



今回は万国共通の「窃盗=悪いこと」という判断軸があるが故に、NEM財団の判断が受け入れられただけなのである。

もっと微妙な、判断の難しい事例だった場合に、同じ処置をNEM財団がやったらどうなるのだろうか?

きっと、NEM財団の判断軸に対して批判や議論が巻き起こったはずなのだ。

※今回のNEM財団の判断が誤りだと言うつもりはない。ただ、私も全容を知っているわけではないため、正しいとも言えない可能性はあると考えている。



2011年に「これからの正義の話をしよう」という哲学本が大ブームになった。

「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」

この問いは、様々な議論を呼び、「正義」について考えるきっかけを多くの人に作った。

もう古い話題のようにも思えるが、この仮想通貨が広がっていく世の中では、改めて「これからの正義」について話す必要が出てくるのではないだろうか。



コミュニティである以上は、何かしらのルールが生まれるはずで、そのルールがそのコミュニティの「正義」になる。

そこが明確になっていない状態で、そのコミュニティに参加することは危険なのである。

自分の「正義」とは異なる「正義」が働き、そのコミュニティ内の仮想通貨が使えなくなる可能性が出てくるからだ。

しかし、そのコミュニティの「正義」を理解して仮想通貨の取引をしている人は、果たしてどれだけいるのだろうか。

またその「正義」が明確になっていたとして、私たち自身の「正義」と照らし合わせる必要も出てくる。

その時に、自分の「正義」を明確にできている人が、果たしてどれほどいるのだろうか。



仮想通貨が盛り上がり、ハードルが下がり、様々なコミュニティを人々が渡り歩いた時に、この「正義」の問題は必ず顕在化する。

時には価値観のぶつかり合いが至る所で起きるだろう。

コミュニティの規模や思想や過激さによっては、戦争が起こる危険性すらある。

そこまで想像力を働かせ、コミュニティや仮想通貨は発行・運営されていくべきだし、コミュニティの参加者も参加するための教養が必要になる。



私もベンチャーの人間なので、仮想通貨の盛り上がりに水を差したいとは思わない。

またこの不安は、すぐ起きることでは無いのかもしれないし、議論が生まれ自浄作用が働く可能性もあるかもしれない。

しかし少なくとも、今後の仮想通貨の正しい成長には、正しい知識と教養が必要なのではないだろうか。



私自身も考えを整理している段階なので、問題提起までしかできなくて申し訳ないが、ぜひ皆さんの意見を聞いてみたいと考えている。

※もし私の理解が至らない部分などありましたらご指摘頂けますと幸いです。



★Twitterやっています。あんまり仮想通貨ネタは普段話してないですが、これからの世の中についてたまに考えたりしてます。


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Photo by Jazmin Quaynor on Unsplash

だいたいスターバックスで、あえてホットティーを飲みながらnoteを書いているので、ホットティー1杯くらいのサポートを頂けたら、こんなにうれしいことはありません。