「コミュニティをつくる」「コミュニティをやる」の違和感
最近はコミュニティが盛り上がってきたことで、「コミュニティをつくる」「コミュニティをやる」という表現が増えてきました。
しかしこの表現、最近とっても違和感が個人的にあります。
コミュニティについて学んだり調べたりするほど、自然発生的に生まれたコミュニティのほうが多いですし、強いことが多いなと。
なので「コミュニティが盛り上がっているから、コミュニティをやろう!」と、コミュニティをつくることを目的にしても、うまくいかないはずなんです。
コミュニティはあくまで手段であって、目的ではない。
コミュニティマネージャーやコミュニティマーケーターは、時間がたてばできていたであろうコミュニティができるタイミングを早める「促進剤」のような役割だと思うのです。
先日、小倉ヒラクさんがこんなツイートをされてました。
まさに「用事」がないと人は集まらないはずで、いきなり人だけ集めても「用事」がなければコミュニティになりようが無いんですよね。
良いコミュニティと良いキャッチコピーって非常に似てるなと感じます。
それは「一部の人が抱えていたインサイトをうまく突いている」という点です。
インサイトってある意味「用事」と似ています。なんとなく思っていたのだけどうまく言語ができていない欲求のことですね。
それを解決する形としてコミュニティを形成すると、強烈にそのコミュニティの熱狂が高まるなと。
だから「コミュニティをつくれ」と言われてしまったら、いきなり箱(≒つながり)から作らず、そのコミュニティに参加してほしい人たちへインタビューするのが良いのかなと考えています。
その結果、集まったりつながったりしたいニーズやインサイトがあれば、少人数でつなげてみて、熱量をはかる。
そこが盛り上がれば、徐々に同質的な人を増やしていって、熱量を維持しつつ拡大していく形が良いのかなーと考えています。
いきなり50人とか集めても「えっと、誰がいるんですかここには」みたいにとまどって、安心安全も失われ、結局長続きしないだろうなと。
「コミュニティ野郎」を名乗ってからいろいろなコミュニティの事例を聞くことが増えましたが、本当に最初の設計が重要だなと感じます。
そこをミスると、本来のあるべきコミュニティの姿に戻すために平気で1,2年かかってしまったり。
だから本当に最初の一歩が重要です。
コミュニティは長く続くべき存在なので、ノリで始めるのは適切ではないんです。
もちろん変化はあってしかるべきですが、根本を変えるとなると非常に時間と手間がかかります。
「コミュニティをつくる」に代わる表現として、本多さんがこんな提案をしてくださいました。
「コミュニティを育む」
非常に素敵な表現です。
そういった心構えでコミュニティと向き合っていくのが良いんじゃないかなと。
「コミュニティをつくる」と、驕りを含んだ表現や行動をしないように、私自身としても気をつけていこうと思います。
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