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283. 「見続けること」それが真実、そして愛情



昨日大きなニュースが入った。

それは個人的にはどこか予感をしていた。

昨年からのラジオ出演の様子を見るに理由がはっきり伝わってこない休止が増えていた気がしていた。

体調が悪いなら悪いとはっきり言えばいいが、それも言わない・・・

少し不穏な雰囲気を感じ取った時に昨年の不確定情報を思い出した。

もしかしたらかなり信ぴょう性が高いのかもしれない。

レギュラー出演終了のお知らせを知ったことでさらに可能性が高まった。


個人的にそういった確率が高まっていっている感覚があったため、昨日のニュースを聴いた時びっくりしたというより、ああやっぱりそうなのか・・・という気持ちになった。



そのニュースの後個人的に色んな予測が頭の中を巡った。

それはあくまで個人的な憶測であり完全な事実は分かり得ない。

がしかし過去の発言や行動、表情・・・そういったことを一つ残らず拾っていくと、事実に近いところまで気づけるのではないだろうか・・・と思っている。

もちろんそこには最大限客観的な目線が必要になり、偏見や固定観念を限りなく排除していくことも並行して必要になる。

ありのままを素直に拾っていく。

個人的にそれらを意識して最大限行った結果もしもこうだったら・・・という一つのもしも話が立った。

そしてそのもしも話を立てた後に再び不確定情報が流れた。

奇しくもその情報によって少し自分のなかで可能性が高まった。



ここから先の話は完全なもしも話だ。

人によってはそういったことを話すのは非常に危険だと思うかもしれない。

あくまで素人が勝手に言っているだけのもしも話だ。






昨日大きなニュースになった当事者。

もしも一般と比べて少しハンデを持って生きていたら。
もしも一般と比べて少し違った強い個性の持ち主だったとしたら。

そのハンデによって上手く周りの空気になじめて行けてないとしたら。
その個性によって誰もマネできない圧倒的な表現力が作られていたとしたら。

その強い個性を持っていた場合、その個性によって抗うつ症状や不安障害を引き起こしてしまうこともある。

それによって人に誤解され、叱責され、人が離れていったり腫物扱いしたりする。
自分自身は自分らしく生きているだけであるのに。

でも逆にある一点に関して優れた集中力を発揮することがある。
五感が敏感になりとてつもないスピードで吸収していく。


もしもそんな強烈なジレンマの中に現在進行形で毎日過ごしているとしたら。



もしも早い段階からこのことを周りの人間も知っていたとしたら。

不安定になる。
しかし本人が本気になって自分の意志でやりたいと決めて進んだらとてつもない表現力がそこに生まれる。

トップが様々な配慮をして直接本人の気持ちを聞いて、その上でなんとか強烈な表現力を形にできないだろうか?としていたとしたら。

周りの仲間たちもそれを聞いて察したうえで本人を守り続けていたとしたら。

たまたまタイミング的にそういった状況を深く聞いていなかった一人が、少し配慮の掛ける言葉を言ってしまって意見のぶつかり合いが強く起こってしまっていたとしたら。

それは本人を守るため皆で力を合わせた全身全霊の気遣いが招いたことであったとしたら。

今はまだ何も語りたくないのはそういったなかなかはっきりとは言えない複雑な思いがあるからだとしたら。

それぞれがぞれぞれの道に行ってあまり本人の話題を深く話さないのも見守り続けるという大きな愛情、気遣いであるからだとしたら。


本人が持つ個性をテーマにしてたくさんの楽曲が作られてきたとしたら。

そして大きな変化が訪れた時、仲間たちが流した涙にはそういった状況下であったことも理由の一つとしてあったのであれば。



もしも話が本当だったとして、もう一度最初から歴史を振り返ってみようと思った。
もう一度見続けてみようと。

先に頑張ってた人たちは後から頑張り始めた人たちには想像がつかないようなことを抱えながら進み続けたのかもしれない。

そういったことを積み重ねての今なのかもしれない。


もしも本当なのであれば誰1人悪くない。

そして肯定も否定もすることはできない。

ありのままを見て素直にありのままを受け取る。
それが嘘偽りない真実なのかもしれない。

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