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11/7(水)よりよい社会で暮らしたい

この社会にある多くの問題について見聞きし、それについて調べ、自分がどちらの立場に身を置くべきかを考えるのは、とても手間がかかることだ。
僕の日記をいつも読んでくれている人たちには何となく伝わっていると思うけれど、僕の場合は弱い立場の人に味方する発言をすることが多い。

弱い立場に立った意見はよく嘲笑されたり、無視されたり、実を結ばなかったりする。しかし、多数派の意見が常に正しいとは限らない。そんな時は、誰かがその立場に立ち、意見を表明しなければならない。
いっそ何も考えず強い立場に鞍替えしてしまった方がきっと楽なのだろう。選挙は与党に入れて、強い立場の人に付いていけば「敗北」することは滅多にない。「寄らば大樹の陰」ということわざもある。

僕が子供のころ、家ではよく野球中継を見ていて、両親は地元のチームでもないのに熱心にジャイアンツを応援していた。その理由を聞いたことは無いが、もしかしたら「寄らば大樹の陰」だったのかもしれない。
僕はそれが何となく嫌だったのだが、親がリモコンを握っている状態では他のチームについて知ることや応援することは難しかった。

スポーツならまだいいが、実際の社会においてただ「勝ち馬に乗る」という態度は無責任な姿勢といえる。社会生活において人は「観戦者」ではなく「チームの一員」だからだ。
そういう人の考え方を僕は理解できないが、考えた上で「強者の味方」をする人がいることも知っている。
一方、僕が弱い立場の人の味方をするのは「その方がよりよい社会になる」と信じているからだ。
たとえば、貧乏な人が路頭に迷い生きるために犯罪を繰り返す社会よりは、全財産を失っても衣食住が確保され、やり直す機会が与えられるような社会の方が「よりよい社会」だ。
病気や障害をもつ人たちがそれだけの理由で様々なことを諦めなければいけない社会よりは、彼らが気兼ねなく暮らせるような社会の方が「よりよい社会」だ。
僕は「よりよい社会」に暮らしたい。

もちろん僕が弱者の側に立つのは「自分がもしそういう立場になったら」という考えによるところもある。
実際に僕は今、ひきこもりで無職で貧乏という社会的弱者になってしまっているわけだけれど、もし今まで僕が「弱肉強食」「自己責任」という強者の論理を支持していたなら、きっとこの現状に耐えられなかっただろうと思う。
多くの人が指摘していることだけれど、「自分がもしそういう立場になったら」という他者への想像力は、社会を生きる上でとても重要な力だと思う。
その事を忘れてしまうと、この社会は「その時、たまたま強い立場にいる一握りの人」のためだけのものになってしまう。そうなれば、「強い立場」ではない人たちがどんな生活を送ることになるかは分かり切っている事だ。

だから僕は想像する。自分が病気になったら、障害を持つことになったら、今よりもっと貧乏になったら、もし自分が女性だったら、セクシャルマイノリティだったら、在日外国人だったら。その時ここは生きやすい社会だろうか。そうでなければ、どうしていくべきなのかを。
もちろんこれはあくまで想像で、当事者でない以上その想像には限界がある。しかし、それでも想像し続ける事は「たまたま」マジョリティに生まれた側のせめてもの義務だと思う。

よく僕のような立場をとる人に浴びせられるのが「お花畑」という言葉だ。
お前の考え方は確かに理想的だが、現実はもっと厳しい。そんな理想は実現できない、冷静になれ。と。
僕は逆だと思う。
仮に社会的弱者やマイノリティと呼ばれる人たちを見捨てるような社会になったとしても、彼らがその瞬間に消えてなくなるわけではない。
見て見ぬふりをして見捨てたとしても、彼らは存在し続ける。そして、そのクソみたいな社会で生き延びるために声を上げ、行動し続けるだろう。
そしてその行動は、圧力にも負けず徐々に広がり、ついには社会を変える。それは今までの歴史が証明していることだ。
そんな歴史を無視した考えのほうが、現実を見ていない「お花畑」だと僕は思う。

アメリカの中間選挙のニュースを見ていた。
アメリカの選挙制度についてはよく理解していないが、反トランプ陣営が大きく支持を伸ばしたようだった。また、レズビアンやゲイ、ムスリムであることを公表している候補が何人か当選したようだ。
日本では副首相が国会で「人を指さすのは失礼だ」というようなことを人を指さしながら言っていた。相変わらず目を覆いたくなるような惨状を呈しているが、諦めて放っておくわけにもいかない。
この国では忘れられがちだが、政治は僕らの生活に直結する。しないのならやっている意味が無い。
政治に無関心でいることは、大きい視点で見ると「セルフネグレクト」とも言える。
経験して分かったのだけれど、セルフネグレクトは緩慢な自殺だ。手遅れになる前に、一人一人が少しずつ変わっていくしかない。
そしてその時に、あなたがどんな立場の人であっても、弱者の立場に想像を膨らませてほしいと切に思う。それは弱者のためだけではなく、結果的にこの国で生活しているすべての人々のためにもなることなのだから。

こんな生活なのでサポートして頂けると少額でもとても大きな助けになります。もしこのノートを気に入っていただけたら、ぜひよろしくお願いします。羊肉