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11/13(火)「過程」が一番幸せ LCD Soundsystem - oh baby

今日はGlass Animalsの記事以来、久しぶりのYouTube洋楽MV解説記事を書きたいと思う。
今回紹介するのはLCD Soundsystem の oh baby という曲のMVだ。

正直に言うと、楽曲としては僕のストライクゾーンど真ん中というわけではない。しかしとにかくMVのクォリティが高いので、ぜひ観てもらいたい。
今回は文章を書く練習を兼ねてMVの内容を書き起こしてみたので、MVを観たけどよく分からん!という人や、いま出先だからYouTube見られん!という人は読んでみてほしい。

LCD Soundsystem - oh baby


<ここからMV書き起こし>

紙と鉛筆。
ノートに計算式を書き殴り、考え、悩み、話し合う老夫婦。
顔は真剣そのものだが、楽しんでいるようにも見える。
彼らは科学者のようで、協力し合い熱心に何らかの「答え」を探している。
ホワイトボードに所狭しと書きこまれた数字と記号。積み上げられた本の数々。
やがてふたりは、あるひとつの方程式にたどり着く。
確信を得て、手を握り合うふたり。

住んでいた家を引き払ったふたりは、人里離れた一軒家へと移る。
作業はプログラミングへ進み、妻はネットで何かを注文している。
導き出された理論をもとに、ふたりは何かを造ろうとしているようだ。
地元の若者たちの横を宅配業者のバンが通り抜ける。
部品が届き、ふたりはガレージでその装置を組み立て始める。

出来上がったのは、3メートルほどの間隔を空けて向かい合った2つのゲートのような装置で、それぞれに「HERE」と「THERE」という文字が貼り付けられていた。
電力が供給され、ついに実験が行われる。
緊張の中、妻は赤いゴムボールを転がして「HERE」のゲートを通過させる。
すると次の瞬間、ボールはゲートの間の空間を飛び越え「THERE」のゲートから現れた。成功だ。
思わず顔を見合わせて驚き、次々に実験を繰り返すふたり。
念願だった「瞬間移動装置」が完成した瞬間だった。
冷蔵庫にとっておいたシャンパンを開け、美しい夕日を前に抱擁するふたり。
そしてその夜。

物音で目を覚ました夫。
キッチンへ向かうと、盗みに入ってきた若者二人と鉢合わせてしまう。
若者の手には銃が握られている。とっさに身構える夫だったが、暗闇の中で閃光が二度瞬いた。
裏口から飛び出すように逃げ出した若者たちは、老夫婦の車を盗んで逃走を図る。夫は無事だった。深追いせず、妻がのもとへ戻る。

夫が戻ると同時に、妻は崩れ落ちるようにその場に倒れた。
撃たれていたのだ。
重傷を負った愛する妻。一刻を争う事態に、夫は車が必要なことに気が付いたが、すでに遅かった。
若者たちが乗り込んだ車が、砂煙をあげながら走り去って行った。

人里離れた一軒家。もうふたりに残された選択肢は一つもなかった。
目を見開き、何かを囁く妻。
夫は妻を抱きかかえ、ガレージへ向かう。走り去った車の起こした砂煙がまだ舞っていた。夜が明け、空が白み始めている。
ガレージの瞬間移動装置が再び起動する。夫が自分の足に巻き付けた麻ひもは、装置のコンセントに結ばれていた。
見つめあうふたり。目を閉じる妻。
死が迫る妻を抱きかかえ、夫はゲートへ向かって歩みだす。
「HERE」と「THERE」の間で、コンセントが抜ける。
ゲートの間でふたりの姿は消え、静寂だけが残る。
暗転。

<書き起こしここまで>

なんとも不思議で一見救いのない物語に思えてしまったが、とても6分弱とは思えないような濃密な余韻を残す映像だ。
ただこのままだとちょっと後味が悪いような気がしたので、少し考察してみることにした。

ふたりは何故最後にガレージへ向かったのか

このMVで一番気になる部分である。銃で撃たれた妻。車も無く、助けを呼んでも間に合いそうにない。そんな状況でふたりがガレージに向かった意図はなんだったのだろうか。
考えられるパターンとしては、

1.夫は妻が助からないと分かっていたが装置へ向かった
2.夫は妻を助ける算段があって装置へ向かった

大別するとこの二通りになると思う。
まず1については、撃たれた妻が何かを口走り、それをきっかけにふたりは装置へ向かったように見える点から信憑性があるとは思う。
例えば妻が「最期にあの装置が見たい」であるとか「ゲートの間に行ってみたい」だとか、そういった発言をしていたとすれば、しっくりくる流れだ。

しかし、最終的に夫婦そろって装置に入る点、つまり夫も道連れにしてしまうことについて、妻が何も言わない(死にかけていて言えないのかもしれないが)ことを考慮すると、少し怪しくなってくる。
いくら長年連れ添った夫婦だとしても、心中というのは少し腑に落ちない。また、ふたりは科学者であるという点も考慮すると、この状況で夫も一緒に死を選ぶというのは少し違う気がするし、救いが無さすぎるような気がするのだ。

そこで僕が考えるのが2の「夫は妻を助けるために装置へ向かった」という説だ。
助けるためと言っても、二人は消えてしまったじゃないか、と思うかもしれないが、僕の考えはこうだ。

撃たれて死を悟った妻は、夫に「装置へ連れて行って」とだけ言った。
夫はそれに従い妻を抱きかかえガレージへ向かったが、その途中である賭けに出ることをを思いつく。
それは、ゲートとゲートの間、つまり「HERE」から入り「THERE」から出現するまでの「間」には、時間という概念が存在しないのではないかという疑問が湧いたからだった。
実験において、転がしたボールは「HERE」から「THERE」までの間を一瞬で移動した。どんなに「HERE」と「THERE」の間に物理的な距離があっても、移動するのにかかる「時間」はいつもゼロだ。
夫は、もし「HERE」と「THERE」の間に留まることができれば、その間は時間が止まり妻の死を防げるのではないかと考え、あの行動をとったのだ。
言うなれば、瞬間移動の「過程」を利用したコールドスリープだろうか。

そしていつの日か、何らかの理由で訪れた誰かに麻ひものついたコンセントを見つけてもらい再び装置が再起動されれば、ふたりは「THERE」から出てくることができる。そうなれば、妻が助かる可能性も十分にある。
そんな一縷の望みと、科学者としての実験を兼ねて夫は「HERE」へ足を踏み入れたのではないだろうか。と僕は想像している。

「HERE」と「THERE」が意味するもの

何度もMVを見返して気がついたことがもうひとつあったので付け足しておきたい。
このMVはとても示唆に富んでいる映像だ。僕は本作の中心とも言えるあの装置を「瞬間移動装置」と名付けたが、これは単なるガジェットではなく、物語全体を読み解くうえでの鍵となっているのだ。
「HERE」と「THERE」。
つまり「ここと向こう」があり、装置はその「過程」をスキップして「結果」である「向こう側」へショートカットするという機能を持つ。
そして、このMVは「過程」の物語だ。
ふたりは「装置を完成させる」という「結果」を目指して、序盤から終盤までずっとその「過程」の時を過ごしている。その過程は情熱と愛に溢れ、まるで付き合い始めたばかりの若い恋人たちのように生き生きとした日々だった。日夜ふたりで計算と研究を重ねて導き出した方程式。装置そのものの製作も全てふたりだけで行い、お互いを労わりながらついに完成させ、テストまでこぎつける。

そして夕方、シャンパンを開け抱擁を交わしたところで彼らの「過程」は終わってしまった。
その後に待っていたのは、ふたりにとって不条理とも言える「結果」だった。ネットで商品を注文したという過程が彼女が撃たれるという結果を招き、実験のために人里離れた一軒家へ引っ越したことが彼女の生存を絶望的なものにしてしまった。
愛する妻を失ってしまう。せっかくふたりで装置を完成させたばかりだというのに。どうしてこんな簡単なことで全てが失われてしまうのか。
そのひどい「結果」から抜け出すために夫が選んだのは、「過程」に戻ることだった。
皮肉なことに、彼らがあんなに心血を注いでいた「過程」をスキップする装置を使う事で、最後にふたりは「過程」へと逃避する。
あの幸せだった「HERE」と「THERE」の間へ。

この楽曲「oh baby」はこう締められている。

Oh baby
Lean into me
There's always a side door
Into the dark
Into the dark,
shh

ああ、ベイビー
大丈夫だから僕を受け入れて
どこにだって抜け道はあるものさ
暗闇の中へ
暗闇の中へ
シーッ

この歌詞を読んで、僕はふたりが消え去ったわけではないという仮説に自信を持った。
ふたりはきっと向こう側へ出る時を待っている。その「過程」を二人っきりで楽しみながら。

こんな生活なのでサポートして頂けると少額でもとても大きな助けになります。もしこのノートを気に入っていただけたら、ぜひよろしくお願いします。羊肉