_候補_原爆ドームを見学_6日_

平和の担い手へ―どう伝える 戦争の歴史―〈1〉 中学生広島平和記念式典派遣


 太平洋戦争終結から74年―。日本では平成年間は「平和な時代」と呼ばれた一方で、戦争体験者は高齢となり、今後実体験をどう語り継ぎ、次世代に恒久平和の願いを伝えていくかが課題となっている。教育の視点や若者の活動を通し、戦争とどう向き合い、どう学ぶべきかを考える。

 上越市で戦後50年の平成7年、戦争の記憶を風化させず後世に語り継ぐため、恒久平和に向けて、たゆみない努力を続けることを誓い、「非核平和友好都市」を宣言。同8年から、市内中学生による広島平和記念式典派遣事業が始まり、今年を含め、これまでに558人が出席している。

◇行政 学んだこと自由に発信を

 妙高市は同21年の非核平和都市宣言の翌年から80人、糸魚川市は同19年の平和都市宣言を経て同24年から90人をそれぞれ派遣している。ただ各市とも、学校での報告会やその後の活動などについては把握できていないのが現状だ。学習方針の押し付けや強制をせず、学んだことを自由に発信してほしいという方針だという。

 平成17年、直江津中の修学旅行で広島に行った金井芽久美さん(28、上越市)は、「熱で曲がった弁当箱や真っ黒になった人の絵など、授業で聞いただけの内容と違い、見るだけで訴えてくるものがあった」と当時を振り返る。原爆の被害や悲惨さをより深く知りたいと思い、その年の中学生派遣事業に志願した。平和記念式典では「世界中の人が、原爆投下当時と同じような暑さの中で、あの日のことを追体験していた」と述懐する。

 派遣事業後も、英語弁論大会で派遣事業のことを述べたり、高校時代はアメリカ留学で現地の友人たちと話したりした。原爆投下を「戦争を終わらせるために必要だった」と言っていた友人たちも、惨状と被爆体験者の今なお続く苦しみに理解を示してくれたという。

◇金井さん 「知らないことが怖い」

 金井さんは「知らないことが怖いと思う。知る機会を通じて、周りの人、家族と知ったことを共有し、皆を大切にしていくことが、いつかの平和につながる」と語った。

※画像は上越市提供

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