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【小説(サンプル)】『ぺるそな@ハイドアンドシーク』 第1章 朝夕@スイッチング

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(サンプルは第6章までとなります。第7章以降を含めた全文は有料記事として公開します)

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◆ 第1章 朝夕@スイッチング


「西野夕凪(にしのゆうな)と申します。本日はよろしくお願いします」
 私は目の前の女性に頭を下げた。向こうも「よろしくお願いします」と会釈を返す。
 3月。学年で言えば大学3年と4年の間のどっちつかずなところ。春休みなので授業はない。だけど、時期としては就職活動が本格化する頃だ。
 私は大学の就職支援センターがおこなっている模擬面接を受けていた。
 3年間通っていたけど入ったことのない小部屋で、アドバイザーの女性と向かい合って座っている。30代前半くらいで、ストライプの入った白いシャツに紺のジャケットというパリッとした服装をしていた。
 私は堅苦しいリクルートスーツと履き慣れないパンプス、さらに就活用ヘアスタイルに就活用メイクというやつで顔を作っている。まあいい。今はそういう仮面をつける時間だ。
 そしてメイクで隠し切れないものは、マスクの下に隠している。もっとも、事前に提出した履歴書代わりの書類には、私の素顔の写真が貼ってあるんだけど。
 学生時代に頑張ったことや、会社に入ってやりたいこと、自分の強みや弱みなどについて質問される。私は半分くらい答え、もう半分くらいは適当にやりすごした。
 そして模擬面接の最後、「何かご質問や話しておきたいことなどはありますか?」と尋ねられた。
 私は、前もって訊こうと思っていた質問を投げることにした。
「えっと……」右手で口元に軽く触れながら言った。「普段からマスクをつけてるんですけど、実際に面接するときにもつけてていいですか?」
 アドバイザーの女性は私の顔とその仕草を見て、質問の意図を察したようだった。
「マスクだから落とされる、ということはないとは思いますが、外したほうが印象はいいと思います。マスクをしていると声もこもってしまいますし、中には話し相手がマスクを着用していることをよく思わない方もいらっしゃいますので。それから仕事をするうえでも、社外のお客様、特にご年配の方と接する場面では外したほうが無難かと思います」
 そう言われて私は、模擬面接の間はマスクを外してみることにした。
 息はしやすくなったはずなのに、水の中でずっと息を止めているような、妙な居心地の悪さを感じた。

 ちょっと自己分析が足りていないですね、という指摘を受けて、模擬面接の時間は終わった。
 いわく、面接での質問というのはほとんどが「この人はどんな人物なのか」を知るためのものらしい。帰り際、自分の経験や長所と短所などをまとめるワークシートみたいなものも渡された。
 指摘はごもっともだった。素直じゃないという自覚はある。
 傷つかないために、私は多くの感情を覆い隠してきた。そうしなければ生きてこれなかった。そうしないと心が壊れてしまいそうだった。それだけだった。
 だけど気がつけば、自分が何を考えているのかさえよくわからなくなっていた。
 だから私は、本当の〝わたし〟を見つけないといけない。早く見つけなきゃ、ひとりぼっちになってしまう。
 ──そう。小さい頃、隠れ続けていたら公園に一人取り残されてしまった、いつかのかくれんぼみたいに。

 外に出ると真っ先に、ポケットに入れていたマスクをつけた。
 ふぅ、と一つ息を吐く。やっと水から顔を出せた心持ちになった。マスクをしているほうが呼吸が楽に感じる、なんて、普通の人にはわからない感覚だろう。
 要するに、マスクがないと安心できないのだ。
 帰りの電車の中でバッグからスマホを取り出すと、朝陽(あさひ)からのラインが来ていた。
  > 思ったより早く終わった。そっち行っていい?
 数分前に届いたものだった。「そっち」というのが私の部屋を指していることは、長年の付き合いでわかっている。
  > 私もこれから帰る。先に上がってていいよ
 私が返信すると、すぐに既読がついた。私たちの間でこういうときはたいてい、「了解」の意味だ。

   @

 自室の玄関には、すでに朝陽の靴があった。リビングに入ると、ジャージを着た朝陽が私のベッドを背もたれにして床に座っていた。手にはスマホ、耳にはイヤフォンが挿さっている。
「おかえり」イヤフォンを耳から外して、朝陽はスーツ姿の私に顔を向けた。「あれ? 今日就活?」
「今日は模擬面接。大学でやってるやつに行ってみた」
「お疲れ」
「朝陽は? 院のオリエンテーションとかじゃなかったっけ?」
「新M1対象の、専攻科と研究室の説明。終わったのが2時くらいだったかな。そのあと同期の子と1個上の先輩と一緒にご飯食べてきて、ちょっと前に帰ってきた」
 朝陽は少し前に大学の卒業式を終えて、4月から大学院に進学する。
 同い年なんだけど、学年は私のほうが一つ下だ。
 理由は私が浪人していたからだ。ついでに言うと、私が経験したのは普通の浪人じゃなくて、一度大学に入ってそこに通いながら別の大学を受け直すという、いわゆる仮面浪人というやつだった。
 話を聞く限り、朝陽は院の子たちとご飯を食べながら3時間くらい話したんだろうか。おそらく相手はほぼ初対面だろうけど、それだけ打ち解けることができてしまうのは、さすが朝陽だなぁと思う。

 東川朝陽(ひがしかわあさひ)は私の幼なじみだ。
 昔から、私たちは見た目も中身も正反対だった。
 すらりとした体型に小さな顔。特徴的な大きい口と、ちょっと吊り上がった二重瞼の目をした朝陽は、はっきり言って美人だ。今はすっぴんに寝巻きみたいなジャージという姿だけど、だからこそ素材のよさがわかる。さらさらのセミロングの髪は去年くらいからちょっと赤みがかった色に染めていて、これがまた似合っているのだ。友達も多く、週末はいろんな人のお誘いを受けているようだった。
 小学校から高校まで同じ学校で、地方の高校を卒業後、二人して東京に出てきた。そして今は同じマンションの隣同士の部屋に住んでいる。
 お互いに合鍵を持っているので、今みたいに朝陽が私の部屋に来ることも、逆に私が朝陽の部屋に行くこともよくあった。私の部屋には自分用のベッドのほかに朝陽用の布団も置いてあるし、それは朝陽の部屋についても同様だった。
 ちなみに実家も隣同士だったから、お互いの部屋に遊びに行くことは昔からあった。友達というより姉妹みたいな感覚に近いだろう。同い年だから双子というほうが適切かもしれないけど、身長が160センチを超える朝陽と150センチに満たない私が並ぶととても双子には見えないので、やっぱり姉妹だと思う。もっとも私も朝陽も一人っ子だから、兄弟姉妹がいる感覚っていうのがよくわからないんだけど。
 まあそんな存在だから、朝陽の前ではすっぴんになるのも裸になるのも、今さら恥ずかしいとは思わない。もちろん朝陽は私のマスクの下の顔も知っているし、私も、朝陽と二人でいるときには何の抵抗もなくマスクを外せる。
 スーツをハンガーに掛けて、部屋着用のスウェットとパンツに着替える。マスクをゴミ箱に捨て、私はメイクを落とすため洗面所に向かった。
 鏡が私の素顔を映す。

 私の顔には生まれつき、赤黒い痣がある。
 場所は唇の少し右下、大きさは五百円玉くらい。何度も病院で診てもらったけど、はっきりした原因も治療法もわからない。メイクでもごまかせない。でも痛みやかゆみもないから、日常生活を送るうえではほとんど問題はない。まあ本当は痣ですらないんだけど、痣みたいに見えるから、便宜上「痣」と呼んでいる。
 マスクをしていればすっぽり覆い隠せるので、私は外出時には常にマスクを着用することにしている。
 加えて黒縁のメガネ。あえて大きめのものをかけることで、顔の印象を口元から少しでも逸らす。ちなみにメガネは伊達だ。
 そういえば世間では、風邪でも花粉でもないのに常に装着されているマスクのことを、「伊達マスク」なんて呼んだりもするんだっけ。
 さっきの模擬面接で言われたことを思い出す。マスクを着用しての接客は、この顔を晒しておこなうそれよりもイメージが悪いんだろうか。小さい頃から、素顔を見せるとバカにされたんだけど。

「よかった、夕凪も間に合ったね」
 リビングに戻ると、なんだかそわそわした様子で朝陽は私を見上げた。
「間に合った? 何が?」朝陽の隣に腰を下ろしながら尋ねる。
「《シーハイ》5週連続新曲アップロードの第1弾! 今日の6時ってシークさん言ってたじゃん!」
 朝陽がスマホの画面を私に見せてきた。
 そうだった、と私は思い出す。朝陽のスマホの画面に表示されている時刻を見ると、17時55分だった。あと5分だ。
《シークアンドハイド》、通称《シーハイ》。動画サイトを中心に活動する音楽ユニットで、シークとハイドという名の男性二人組、ということ以外は謎に包まれている。
 今日を皮切りに5週連続で新曲のミュージックビデオを公開する、と少し前に告知があった。
 朝陽はすでに《シーハイ》公式ユーチューブチャンネルとツイッターのタイムラインを交互に開いて待機しているようだった。
 せっかくだから一緒に見ようよ、という朝陽の提案に同意を示すと、朝陽は私にも聞こえるように、イヤフォンのプラグをスマホから外した。
《シーハイ》は、対照的な私たちの唯一ともいえる共通の話題だった。
「きた!」
 朝陽が言うや否や、私たちはスマホの画面に食いついた。
 午後6時。予告されていた時刻ちょうどに、《シークアンドハイド》の新曲が投稿された。


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