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「何もしなくてもいい」を肯定されなかったことに、僕の息苦しさはあった


20代後半。
友人たちは働き盛りで、社会人として活躍している。
お金だってそれなりに貯まっているだろうし、中には結婚して家庭をもった人もいる。


一方で僕は、仕事をしても鬱になったりパニックを起こしたりと長く続かず、未だに自立できていない。
同い年の友人のみならず、3、4歳下の後輩にもどんどん先を越されていきます。


「こっちは必死に頑張ってるのに」
「お前が甘えているだけだ」
「お前は何をしているんだ」
「この先の人生どうするんだ」
「やることがなくて羨ましい」
「自由な時間があるくせに」
などと言われてしまうと、反論ができません。

(実際に言われることは幸い多くなかったけど、無言の圧力はいろんなところで感じます)


ですが、今だからこそ言いたいんです。


何をすればいいのかもわからなくて、何をしていても不正解のように思えて、どこにも行けなくてどこにもいられなくて、ただ時間だけが有り余っていて、それでも世界は回っている。

そんな状況にある中で、果たしてどれだけの人が行動を起こせるでしょうか。
どれだけの人がまともな精神を保てるでしょうか。


少なくとも僕は、自分の時間がたくさんあることにも、いくらでも遊んでいられることにも、好きなだけ寝ていられることにも、苦しさを感じていました。

自由を実感すればするだけ、自分の首を絞められているような感覚になりました。


しかし贅沢な悩みだと言われそうで、あまり人には言えませんでした。


この息苦しさの根本的な原因は、「何もしなくてもいい」を肯定されなかったことにあったのだと思っています。


そして、そんな引きこもりのニートが常日頃感じていたことを、今痛感している人もいるのではないか、という話です。


昨今は新型コロナウイルスの影響で、全国的に外出自粛が叫ばれ、テレワークが推奨されています。

時間が有り余ってしまった、という人も多いでしょう。
仕事が大幅に減ってしまった、仕事を失ってしまった、という人もいるでしょう。


そして、
「こんな状況下でも〝こんなことができますよ〟」
「こんな状況下だからこそ〝こんなことをやってみましょう〟」
という例が、いたるところで紹介・実践されています。

実際、有名人が動画を配信したり新たなコンテンツを立ち上げたりしている。
(まあ、そういうことができる発想力と行動力があるから有名人になれたのかもしれないのですが)


もちろん、不要不急の外出をさせないという意味では有効です。

ですが、まるで「何かをしていなければならない」という空気を押しつけられているようにも感じるのです。

「時間があるのに何もしていない人には価値がない」と言われているような気がしてならないのです。


こんなときだからこそ、「何もしなくてもいいよ」という空気が広まってもいいのではないでしょうか。


そもそもニート経験が長い僕からすると、こんな情勢でも「暇になった」「時間が余った」という感覚は非常に薄いです。


いわゆる「コロナ鬱」とか「自粛疲れ」を感じている人の一部には、

「何もできない」自分には価値がないんじゃないか
「何もしない」をしてはいけないんじゃないか

そういった焦燥感、劣等感、罪悪感、無力感、閉塞感、絶望感。

それらに悩み、迷い、苦しめられている人もいるのではないでしょうか。


こんな時期に、書きかけだった小説『白と黒の雪どけに』に再び手をつけたのも、「何かしなければいけない」という強迫観念に背中を押された部分があってのことだと思っています。
(このお話は現在ブログに投稿していますが、いずれnoteでも公開したいと思います)


何もしなくてもいいじゃないか。
何もできなくてもいいじゃないか。


どうやら多くの人は、何かをしていないと落ち着かないらしい。
ヒトは「待て」ができないらしい。(犬でもできるのにね)

そんなことを、このところ改めて感じるわけです。


世界的に「stay home」が叫ばれている昨今。


「せっかくなので何かしてみましょう」ももちろん素晴らしいことですが、「せっかくなので何もしない」をもっと認めてもいいじゃないですか。

「何もしない」ができることも、一つの個性であり才能であると思います。


それでは、今回はこのあたりで。



(元記事:https://braincruise.net/blog/idea/5107)