太い混血、再び

混血は、「そう」とされた者は、日々、自分の半分や何分の一かを試し続けている。何度も試して、元から平気であろうが既にボロボロであろうが、形が残った物だけを、社会にようやく嵌めている。

約一月ほど前から、「混血」、俺自身に関する何かを発信する媒体を持とうと奮闘してきたが、自宅サーバーを(今時)作るという方針を取り切れなくなったので、昔のブログを使う事も少し考えたが、結局形を少し変えて一旦このnoteという媒体でやってみることにした。とりあえずこれが初回投稿である。

あと、最後に投げ銭コーナーと欲しいものリストを置いたので、この見ずぼらしい人間に金を握らせても良い方は是非よろしくお願いします。


以下は、このnoteの書き主である一混血の、おおまかな記録・ハイライトなので、読みたい人だけ読めば宜しい。

俺は日本人の男と、南米某国の南欧移民系の女の間に生まれた。

小学生の頃に酷い虐めに会い、それゆえに素晴らしいこと(の萌芽)に早く気付いた。国や人種という概念は、イレギュラーな個人など一切考慮せず、無視し、轢き殺し、それを素晴らしいことの様に捉えてくれるのだと。男や女、年の差など、大きな問題では無い。「大いなる存在がお前に目を掛けてくれるか」が問題なのだ。以来、俺は少なくとも身の回りの権力に対して消極的になった。だがこの時はまだ自分の体が曖昧な穢れのようにしか捉えられなかった。俺は、小学生時代の俺に混血の何たるかを説明できる自信はない。

2010年代初め、反表現規制や反青少年健全育成を志す青少年だった。俺は、血から自由になるためには、まず考えを自由にすることだ、と気付いていた。それに、率直に言って、禁欲的・統制的な連中が大嫌いだった。お前らが流布しているところの「混血」は、大体、禁欲と統制から外れた場所から生まれるのだ。お前らは常に美徳や伝統というツラをして俺を苦しめた。だが、おお、お前らのチンコとマンコに幸福あれ。その良さに速く気付くように。

高校時代半ばの某月某日。小さい頃は良く遊んだ、同じ混血の知人の自殺を知った。その時点で既に交流は絶えていたので、むしろ当初は落ち着いていたが、しばらくして、突如、色々なものが恐ろしくなった。知人が果たしてどのような理由で、それを選んだのかは詳しくは分からないが、死のイメージだけが漂い、そして自殺というものが、身近になった。その時以来、自殺者が電車を止めても怒れなくなった。たまには皆、線路や屋上や硫化水素に頭を向けて、思いをはせるべきだ。

同時期、友人が酷い差別職質にあった。混血は、社会を結束させる生贄として、かなり都合が良いから。濁った肌をした存在に、日本語で「正義」を叩き付けられるなど、警察官は精液や愛液を何回吹き出してもその快楽は足りないだろう。権力が、早い話、社会の「漂黄」の為に俺たちを殺したがっているのは分かった。そういう世界観に老若男女生きたいのはとにかく分かりました。だが、それならこちらもせめて言おう。我々が千葉の農民のように警官を三人も殺せる力(そのままの力、結集力、陰謀力etc)があったら、お前らはその様にニコニコと我々を職質出来るだろうか?そして初めて政治というものを深く考えた時、突如、東京の真ん中を占拠して暮らしているあの天皇を名乗る一家が我々と対峙している事に気付いた。彼らが、日本の「血」の代表なのだ。

そしてこの二つの事件以来、俺は再び情緒的な「混血」となった。それしか、俺を受け入れるものはない。とにかく高校時代は、精神が危機的状況で、どうしようもない日々を過ごした。もし仮に出生時にカトリックの洗礼を受けていたとしてもこの時棄教しただろう。カエサルのものは、俺の精子一匹にも及ばない。

2013年、「太い混血」と言うブログを始めた。大正時代の朝鮮人アナキスト朴烈が、「不逞鮮人」と言う蔑称をむしろ我が物として、雑誌「太い鮮人」を刊行したことにちなんでいる。今でもこの精神は生きている。だが、人に伝えるにはもう少し思慮が足りなかった。そしてツイッターを始めても、それは大して変わらなかった。

それより少し遡る頃に、小説を書き始めた。俺はルックスも良くなければ歌声も無く五線譜も読めず、絵を書けば自動的に抽象芸術になったので、文章から始めるしかなかった。現在は「破滅派」で書いているが、ここに至るまでも、理不尽な規制との戦いを経なければならなかった。それについてはまた長くなるので別の機会に書くが、是非『混血テロル』『天覧混血』をお読み頂きたい。また、今年5月には、戦前の庶民の言動を集めた『戦前不敬発言大全』『戦前反戦発言大全』をパブリブより出版した。こちらもおすすめである。



後は様々な機会に、書いていくだけのことである。


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