第36回 海流になる

  仕事でほてった頭を冷やすために川辺を歩いていて、職業人は何者でもなくなることが一番大事なのだろうなぁ、と、思った。

 nendoの佐藤オオキさんは、インタビューで、「僕はいない方がいいんです。
空気とか水みたいな存在で、つくったモノが全てを語っているべきなんです。」と言う。彼は、様々な機会で同じことを述べる。
 これはデザインの領域に限らないよね。「人に喜ばれる存在である」ためには、「人が喜ぶアイデアを実現するための媒介になる」のが一番本質的なことであって、「自分がどう」という自己主張を極限まで計算の中に入れない、というのが、逆に"配電盤"としてのその人物を魅力的にするような気がした。
 たとえばあの有名なTEDトークにおける評価のされ方なんかもその線上に置けるだろう。そこでは話をする本人の『世間での評判』にかかわらず、たった今話している内容が"Ideas worth spreading"であるかどうか、で評価が分かれる。

 翻訳をしていても同じことを思う。

 今日、とあるeJuggleの記事を紹介しようと思った。こういう海外の情報をひたすらに紹介し続けることって必要なんだよな、と思った。(ちなみに今まで何度も思っているんだけどいまだに実現していない)もしそれを続けるならば、僕は「何者でもなくただ右にある情報を、"翻訳して"左に流す」という、いわば、海流みたいな存在にならないといけないんだ、と思った。

参考

(最初の質問への回答)
I shouldn't exist.
I'm like the air or water and it should be the objects that should be doing all the talking so there's nothing much for you to know about myself.
僕はいない方がいいんです。
空気とか水みたいな存在で、つくったモノが全てを語っているべきなんです。だから僕について知るべきこと、というのはそんなに無いんですよね。
(翻訳筆者)

 関係ないけど、オオキさんの英語って僕の中で一つの憧れである。彼はカナダで幼少期を過ごしているからその恩恵が多分にあってものすごく流暢な英語を話すけれど、ところどころ「日本人の英語」がちょびっとだけ顔を覗かせる。で、これを「基本的には日本語を母語とする日本人が話す英語」として見ると、これこそが理想像じゃないか、という気がする。すごく綺麗で、わかりやすい。内容も濃い。iPS細胞の山中教授なんかもこの感じがある。

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