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第41回 求め始めたときに顔を出すもの

 「&Premium」のいい暮らし特集みたいなものを読んでいて、いったい僕は今以上の暮らしが欲しいだろうか、と思った。
 で、結論から言うと、別に、必要ないんだよね。
 たとえばもう少し広いリビングとか、もう少し広い玄関とか(まぁうちはワンルームなので「リビング」というのは大袈裟だけど)年中旅に出たり、外で仕事をしているノマドワーカーの僕には要らない。二面採光の我が家は陽当たりもいいし、家具も必要最低限揃っているし、壁の色にも不満はないし、収納にも困っていないし、駅は近いし、徒歩20秒ですき家だ。
 にもかかわらず素敵な住居の写真とそのこだわりについて読むと、漠然と「こんな家に住めたらいいだろうな」と思う。
 普段はそんなこと全然思っていないのに。
 つまり「もっといいところに住みたい」というような願いは、何か今以上の状況を具体的に提示されたときに、初めて顔を出す欲望なのだと思う。
 ラグビーの試合で、予想以上の惜しいところまで行けば次は優勝を夢見てしまう。そういう構図だ。
 「現状維持は衰退」という人もいるけど、僕はそうは思わないね。ひとはそんなに進歩していなきゃいけないのか。

 いや、見方によってはそれも真か。

 今持っているものをどういうふうに味わうか。
 それを真剣に考えることを、積み上げではなく、「堅実な進歩」として捉えるならば、そういう意味での言葉ならば、僕はそれを進歩と呼ぼう。
 その射程には、家の掃除をすることも入ってくるし、ついついしてしまう買い物の衝動を抑えることも入ってくるし、環境問題を真剣に考えることだって入ってくる。
 今立っている地盤を見据えることで、豊かになっていく状況というものがそこかしこに埋もれているような気がするんだね。

 今日は落ち着いて、一人になって、一度止まる日にする。

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