第42回 文章インプロヴィゼーション

 今日はいつになく、「インプロヴィゼーション」を意識して書く。文章の書き方が分からなくなってしまったからである。だから、一度、自分の想像をそのまま文字にすることで、準備運動みたいなことをしようと思う。しばらく、ここをほったらかしにしてしまったからね。なんでそうなったのか、と聞かれると、まぁ、なんだか、忙しくなってしまったから、とか答えるしかないんだけど、忙しいからやらない、ってんじゃ話にならないので、やっぱり何か書くことにした。それで、別に今積極的に書きたいこと、というのが特に浮かばないので、ひとまず、自動的に出てくる事柄をそのまま書き留めてみている。結果を気にせずに、ただただ書いている。

 こういう事ができるのは、上機嫌な時だけである。といっても、今僕が上機嫌か、と聞かれたら、あまりそんなこともないような気がするが。さっきから、YouTubeで動画ばかり見てしまっている。今日は、日本人の芸能人やスポーツ選手が英語を喋っているところや、ヒンディー語を喋る日本人の動画なんかを見ていた。

 ジーンズが欲しい。一本だけ今、持っている。でも本当に毎日これしか履いていないので、だんだんすり減ってきてしまっている。これでいいのかもしれないし、でももう一本ぐらい欲しいな、という気もしている。だってね。まぁいいかな、とも思うんだよね。

 最近、洋服のことについて考えている。それは、数日前に清澄白河で(今も)やっているミナ・ペルホネンの展示を見に行ったからだと思う。ミナ・ペルホネンを作った皆川さんが、「100年続くブランドを作りたい」とか、ずっと変わらず着てもらえる服を、というような主旨のことを言っているのを目にして、そうだ、服は、自分と共に歴史を刻んでこそ価値を持つのだ、とか思って、感化されちゃったんですね。

 でもどんなものでも、やっぱりそういうことは言えると思う。もちろん、ジャグリング道具だってそうかもしれない。別に古ければいいってんじゃないんだけど、すごくシンプルに、同じ「もの」に愛着を持ち、それと一緒に刻んできた時間を含めて愛する、っていう事がなんだか、一番いいじゃないの、と思ったのである。

 ミニマリスト、とか、断捨離、というのが流行って、とにかく効率よく、思考を加速するためのセッティングをしよう、という風な風潮もあるけど、いやいや、ちょっと待てよ、なんかもっと、鈍臭い価値観で生きるのもいいじゃないか、と思ってる、んだねー。僕は。今。

 「いいものを買う」ということは、「自分が納得できるものを買う」ということであろう。納得して買って、ずっと大事に使えればそれでいい。100均のペンケースをずーっと使っているのもかっこいいし、イギリスで買った5万円のセーターを40年着ているのだってかっこいい。

 そうそう、それでさ、ミナ・ペルホネンの展示を見た後に、思わず蔵前まで行って、ずーっと前から欲しかった(もうかれこれ1年以上経つ)NAOTという、イスラエルの職人が作っている革靴をついに意を決して買ったんだよね。それは、履けば履くほど足に馴染んでいく、という靴で、中には、20年とか履いている、という人もいるみたいなのだ。

 僕は今そういうことに憧れを抱いていて、というか、それこそがやっぱり価値だろう、とかなり本気で思っていて、それを、ひとまず購買、という部分において実践していこう、と思っているのである。

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