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10 猫と昼寝

 今日は何も書きたい欲はないかも、と思ったのだが、「『自分でも強く知りたいと思っていること』を見つけるのよ」と話しかけてあげたら、ああ、何か見つけてやろうという気に少しなってきた。でも、何も書けなそうだなぁ、と思う時こそ、そのままの精神状態で書いてみる、スーッとそのまま、気合が入らない状態を描き出すような文章を書いてみる、というのが、続けることのコツのような気もしている。書けるときだけが書くべき時、ではないと思うからである。なんとなく、漫然と書いてしまう、という体験を多く持っておくこともまた大事である。どうせ勝手にそれだけじゃない書き方も別の場所でするから。「有効な面白いアウトプットだけが意味のあることであり、それ以外は人に見せるようなものではない、恥ずかしいことをしてはいけない」みたいな考えもまた自分の中にあるのはわかるんだけど、それをほぐすための運動のような気分で、「スーッと」書くのである。これもまた、自分を消すという練習である。自分が考えていることを意識的に構築する、だけではない、ということである。
 僕の足元には猫がベロンと横になっている。鍋の中で、うどんが茹っている……と、ここまで書いてから、茹ったうどんを食べて片付けをして、猫と一緒に横になっていたら、そのまま寝てしまった。ハッと起きたら寝癖がついていたので直して、本屋に寄って文庫本を買って、電車に乗って、いつも来ているカフェにきた。こんなんじゃダメだよなぁ、と思う。でも、生まれてこの方俺は根本的にはずっとこんなんだよな、とも思うし、多分大多数の人が「こんなん」なんであろうと思う。今日は、インプットの日なのである。アウトプットをしようとしても全然できない日はある。雨が降っているからかもしれない。寝不足なのかもしれない。
 このところ少しずつ、ジャグラーのジェイ・ギリガンとエリック・オーベリによる対話のポッドキャストを聴いている。面白い。年に7エピソードずつ出していて、今年も新シリーズが始まった。話されている内容は、テーマにおいてはずっと同じような感じなのだが、それでも随所に新しく知るエピソードが盛り込まれている。
 でもこれだけたくさん考えて、模索している人たちのことだって、身近におらず全然情報を受け取らないとしたら、「どうでもよくなってしまう」ということを思う。結局、人が何をしていようが根本的には「人のこと」でしかない。だったら何を躊躇うことがあろうか。何を嫉妬することがあろうか。とにかく、自分の中に追い求めることを見つけるしかないじゃん、とそこに戻ってくるのである。

  

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