定年までコールドスリープするのと何が違うのか

例えば土曜日,13時に起きる.

このとき僕は,「ああ,13時に起きてしまったな」と思うわけだが,それ以上のことは感じない.別にこれが14時になろうと困らない.極論すると,24時でも別によい.損した気分にはなるが,困りはしない.

同じことは日曜にもいえる.かなり嫌な気分にはなるが,かといって何ということはない.

自分は社会不適合者なので,平日する仕事は,あくまで日銭を稼ぐものだと思っている.日銭を稼ぐとは,生活をメインテインするということだ.したがって,あくまで生活があってのサポート役ということになる.

日銭を稼ぐ時間がサポート役なのであれば,メインテインされる「生活」とはいったいなんなのだろうか.平日のワーキングタイムと,寝ている時間を除くと,大雑把に数時間と,土日が残る.

しかし,先述したとおり土日は24時間寝ていても同じような生活をしている.つまり,自分がメインテインしているところの生活とは,実質"無い"といってよい.

なのであれば,結局定年までコールドスリープするという暴挙に出てみても,結果は特に変わらないのではないだろうか.

それだとちょっとさびしいので,なんとかしたい.

「違いがない」ということをなんとかするためには,違いを作る必要がある.それが意味だ.making a differenceだ.

つまり,「これをしているから,意識がある意義が確実に存在している」というような「それ」が必要となる.仕事がサポート役なのだから,自分はそれを「本筋」と呼ぶ.

あるいは,仕事が本筋でもいいはずだった.しかし,僕は社会不適合者なのでそれができない.したがって,余暇の時間でできる何かを「本筋」としなくてはならない.

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