居場所と客観視

唐突すぎてなんなんだと思われるかもしれないが、こんな話題をしてみる。
知り合いに勧誘されたこともないし、自分でもやったことはないが、かつて某ネットワークビジネスさんの制作のお仕事に関わらせて頂いたことがある。
お仕事を担当させて頂いてから、そういう世界があることを知った。
あとから振り返って見ても特殊な業界だったと思うし、毎回こちらの価値観を覆されるような様々な経験をさせて頂いた。関係がなくなって年数も経っているのと、記憶があるうちに記録できればと、自分で思うところを(潰されないように)かなりぼかして書いていきたい。正直とてもデリケートな話題である。世の中には言いたくても言えないことがたくさんある。。
これはネットワークビジネスが悪いものだと責めるものではなく、構造としてはネットワークビジネスに限らず、色々なところで同じようなことが起こっているということを言いたいのだ(プ◯ルとかね)。
そういった、誰かが利益や何かの目的のために作った仕組みがありそこに何かのきっかけで乗っかる人がいる。独自のルールと共通認識があり、正義も悪もあるようでない。そのピラミッドの中の循環としては、上手くいっているのだ。外にいるだけの人がどうこういうものでもない。仕組みを取り除いたからといって誰かの大切な居場所を奪ってしまうことにもなりかねない。彼らはそれでとても幸せそうなのだ。

以下に書くことは私から見たひとつの見解なので絶対的なものではないことをまずはご了承いただきたい。最終的には当事者にしか、本当のことはわからない。
ここで言う「客観視」というのは、他者から見た視点での客観性ではなく、本人が自分が置かれている状況や場所において「客観的な視点」を意識していくことである。


ネットワークビジネスとはどういうものか。

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いわゆる「マルチ商法」です。(直接的すぎるかな。。私はすっかり慣れてしまったが。)
メーカーとしては基本的に店舗を持たず、購買者は好きな製品をカタログから注文する。毎月引き落としで製品が送られてくる仕組みになっている場合もあると、ご高齢の方だと引き落としの止め方がわからなかったり、そのまま習慣として契約し続ける人もいた。
ショールームはあったりするが店舗はないので(広告は色々と街中で見かけますが)、メーカーを知るきっかけというのが対面の人からの紹介制になる。ふとしたお茶会やパーティーの遊びのお誘いで営業を受けたりするようだ。
紹介して新規会員を増やせば増やすほどキャッシュバックとして自分の懐にもお小遣いが入ってくる。ネットワークビジネスの仕組みは調べるとたくさん出てくるので割愛するが、儲け話としてはとても魅力的だそう。仕事が上手くいかなかったり、母子家庭で子供を育てるのに必死だったり、承認欲求が満たされず自己実現を望んでいる人だったりしているなど、はまっていく傾向としては、大逆転したい苦労人がちらほらみられる。もちろん簡単にいく訳はなく、人として信用できないとビジネスとしては上手くいかない(そこでまた路頭に迷う人もいるかもですが)。
残念ながら本人の弱みや欲に握られているようでもある。

製品を紹介して売っていく側はそのピラミットの上流の一部で、残りの中流から下流にかけては製品についてそこまで紹介する気はなく、単純に製品が好きだったりコミュニティとして居心地がよかったからという人が大半であった(私が関わったメーカーにおいてはそう見えていた)。
よくマルチ商法が詐欺師だと言われるのは、謎の概念(「夢」「希望」を持って人生キラキラ輝いてこ☆)の押し付けや、無理やり製品を売ったりするからで、純粋に製品が好きでそれをたくさんの人に広めたいという活動(本人に利益が還元したとしても、これは慈善活動ではなくビジネス活動なので当然)であれば、一般の広告や普及活動と違いはないのではないかとも思う。コミュニティの母数が多いか少ないかだけだ。というのがひとつの見解です。

次にネットワークビジネスの構造について記述していく。
わかりづらく申し訳ないが、ネットワークビジネスの構造図である。

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ネットワークビジネス内で行われていること。

基本的にひとつのメーカーのコミュニティで世界は完結している。いわゆる宗教の宗派みたいなもののようで、他のメーカーを掛け持ちすることも恐らくあんまりない。それをコミュニティ外の世界に積極的に持ち出すこともない。それぞれがその閉じた世界の中でじんわ〜り活動している。
ネットで検索しても内部事情はあまり出てこない。
それに知らずに外部の人が接触することがあると、そこでしか使用されないルールや言語に驚くだろう。私も慣れるまでに時間がかかった。(というか最終的には受け入れられなかった。。)

■コミュティ内の秩序を保つためのルール
・コミュニティ内で使えるルール・言語・武器がある。
・ルールに乗っ取ると居心地のいい世界。
・そのルールは他のコミュニティに持ち込めない。
(ということは内部の人も何となく認識している)
・その閉じた世界にいる自分をかわいそうだとは思わない。
 むしろ仲間といるので自己肯定感は強い。


経営側の狙い。

トップである経営者は独自の仕組みを作りコミュニティを運営している、いわば神とかコミュニティマネージャーみたいなもの。
仕組みを持続的に回していく上で、人間の持つ「欲望」とそれによって伴われる「行動」に目をつけている。

■基本的な狙い(※差はある)
①「女性」が興味関心が高いもの
 →共感性が高く、クチコミで伝播しやすい。

②「食」「健康」に関すること
 →尽きることのない根本的な欲求。

③消耗していく「日用品」
 →②と同じく、こちらも枯渇すると焦ってくるもの。


ネットワークビジネスにはどんな人が属しているのか。

それではそのコミュニティの購入者にはどのような人がいるのか。
以下の層が三角の階級ピラミットのように混じっていたようにみられる。(しかしメーカーによって雰囲気は異なりそうだ。)

■ネットワークビジネス入会者:きっかけと動機
①【上流】仕事としての生活の収入のため
 →「お金」が欲しい。(トップ会員になると収入が良い)

②【上流〜中流】どこかに所属したい
 →コミュニティとしての「仲間」の集いが楽しい(寂しがりや)。
 →他のネットワークビジネスに「居場所」がなくなり、異動してくる。

③【中流〜下流】単純に製品が好き
 →「健康」や「美容」が欲しい。


対立構造を俯瞰してみる。

上記の対立でわかるように、経営者と購入者は「主従関係」である。
そしてとてもよくあるビジネスモデルである。
経営者が購買者の「欲望」に狙いを定めて、以下のように独自の世界を作っている。
・コミュニティの構築(階層や居心地の良さ)
・コミュニティ内の独自ルールや言語を整備
・自分がキラキラした世界にいるようなファンタジーの演出を多用

購買者の方はその作り上げられた世界にいることは構わないのである。自分の「欲望」が満たされるので、踊らせれても気づかないし考えない。日々楽しく、自分の居場所があり、居心地のいい場にいれたらそれで満足できるのである。

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仕事上で購入者たちと接することもあったが、コミュニティの世界を心から楽しんでいて幸せそうに見えた。このメーカーの製品を通して、「生き甲斐」を見つけたのだ。そして購入者たちは外に出て行かない。外の世界では通用しないから。
私にはそれがとても狭い世界のように感じられた。

余談だが「ファンタジーの演出」とは何かというと、音楽・ダンス・コスチューム・豪華絢爛な装飾・旅行・アイドルなどが手法として使われる。(詳細を知りたい方は直接聞いてください。)
まさしく「パンとサーカス」である。単純な庶民の娯楽は、権力者にとってはそういった道具にもなりえることを忘れてはならない。


コミュニティのひとりとして構成していく先にあるもの。

箱庭的な小さな世界にいて居心地の良さに馴染むのも良いが、それを構成しているのは自分単体だけではない。仕組みがあって言語があって人々の営みによってコミュニティは成り立っている。経営側としてはビジネスでやっているので持続的な活動になるように努めるだろうが、このご時世においてその世界は未来永劫に続いていく保証はない。
その世界が突然なくなって自分に居場所がなくなったときに、その人はどうしていけるだろうか。そこでの言語しか持たなければ少々危険ではないか。

たとえ自分の居心地が合わないと思うコミュニティに入ったとしても、世界に触れてみて言語を知って他者を迎合していくことが大事なのではないか。

選択し続けること。

ネットワークビジネス業界さんとのお仕事は、腰の折れる場面や自分にとっては受け入れにくいところもあったが、そういう経験がのちの自分の考え方に生きてきているところもある。
どんな人も社会において平等に存在している一個人であり、他人にとやかく言われようと、本人が一番しっくりきて輝く場所にいるのが良いと思う。
ただし、選べる手段(言語)が増えると自分の世界を広げることができる。飛び出せることもできるし、もちろんずっと居座り続けることもできる。

それはネットワークビジネスに限った話ではない。
自分が大多数の中に所属していて安心を得ていると考えているものが、客観視してみるととても小さいコミュニティだったりする。現に閉鎖的なオンラインサロンやSNSでも同様なことが起こっている。信者が盲目的にトップを信じ、炎上を起こしコミュニティ外に影響を与えたり、信者とは会話が通じないということはないだろうか。あちこちで閉じた村社会が乱立し、共通言語もないので合併することもできなくなってきている。

自分の知見を広げて、言語の語彙を増やし、社会と対峙していく。そのやりとりの中で自分は何を選択するのか、また適宜選択について考え続けていくことが大切だと思う。
でもそれができない人がいることもわかっている。毎日必死に何とか生きていて、小さなキラキラした居場所だけが本人の砦であることも。そこを責めるつもりは全くない。

本当に世の中には無数の世界があり、無数の人たちによる無数の生き方があると思う。自分が何も知らないだけ。私はそこに興味がある。

以上の話は、ご縁があってある業界に接していたことで、ひとつのコミュニティの世界を垣間見させて頂いたひとつの例である。知っていても知らなくても何の問題はない。そういう世界もあるんだという、視点のひとつになったらと思う。



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