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「満ちてゆく」

聞きましたか?藤井風の「満ちてゆく」
私はおとといやっと聞きました。映画の曲みたいです。


まずイントロがすごく好きですね。藤井風の曲の中でも多分一番好きなイントロです。全体を通してちょっと合唱曲っぽい印象もあります。
私は音楽のことは何もわかりませんが、彼の曲は飽きません。ずっと聞いてられるし、すっと意識に入ってきます。実に魅力的です。


彼の魅力はピアノ単独の伴奏に合わせてこそ存分に発揮されるな、とも思います。一番と二番では印象が違う。
でも、2番でパーカッションとか諸々合わせてくれるのも、古典的Jpopを引き継いでくれてる感じがしていいですよね。(その意図があるのかは知りませんが)


歌詞に関しても、彼の言葉はいつも示唆に富んでいます。

個人的にはですが、この曲の歌詞は、多分全体通して「与えることの尊さ」みたいなことを言ってるんだろうと解釈しました。

「ともに手を離す 軽くなる 満ちてゆく」

普通は人間、何かを得られたときに充足感を感じるものだと考えま
す。逆に何かを失うときには、普通、「喪失感」がありそうです。
でも、得るのでも失うのでもない。「与える」のです。与えたとき、ほんとうの満足感を得られることを、この曲の歌詞は示しています(多分)。

「何もないけれど すべて差し出すよ」

こういった考えは、古くはキリスト教の多くの逸話や、現代ではアドラーの「貢献感」まで、幅広く歌われています。それほど広く、普遍性を持つ可能性のある概念です。要は結構当たり前に言われる話でもあるのです。


しかし、このgiveの精神は、現代ではなぜだか知りませんが「偽善」などと揶揄されることが度々あります。
それはこういった行為を「自己満足」であり、不純な精神だと評価するからでしょうか。

しかし、「与える」行為は、本来的、本質的に満足感や充足感を感じてよいものなのです。
与えることが最も人を満足させる方法のうちの一つなのです。

人に与えて、人から与えられて。
その関係の中で満足が生まれるなら、それは全体として「善」として判断されて何ら不思議はありません。
それでいいんだ、それがいいんだ。

「満ちてゆく」には、そんなメッセージが込められているのかな、と思った次第です。おわり。


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