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私の芸術

最近、異なる二人の方から全く別の場で「休みの日は何をされているのですか?」と尋ねられた。この手の質問を受けたとき決まって私は「音楽を聴いたり、ギターを弾いたり、映画を見たり、美術館に行ったりして過ごしています。」と答える。私がそう答えると、双方とも「確かに芸術家っぽい見た目ですもんね。」と私に言ってきた。少なくとも私自身は自分の見た目に芸術家らしさがあるとは思っていない(そもそも「芸術家らしい見た目」が何なのかもよくわからない)が、全く違う二人の方に同じことを言われたのだから何かあるのだろう。

ところで私は芸術と呼ばれるものに大きな価値があると考えている。それが音楽であれ、映画であれ、絵画であれ、ほかの何かであれ芸術は常に人間が人間たるためにその存在意義を持っているものだと思っている。私はケイト・ブッシュを聴いて旋律の調べにのせて感情を表現する彼女の音楽に衝撃を受け、『アデル、ブルーは熱い色』を見て雲一つない秋の空のように透き通った美しい愛の物語に感動し、ダリの作品を見て人間の心理や意識の奥深さを覚えた。

このように芸術を好むもう一つの理由は、普段の生活では表に出さない感情の世界が味わえるからだと思う。プロフィールにあるように私は大学で工学の研究をしている。私どもの書く論文を一つの作品としてとらえるのなら、そこには感情の入る余地が一切なく、解釈の仕方が一通りに限られるものでなくてはならない。この点において学術の研究とは、感情を余すことなく表現し、解釈の仕方がいくつあってもいい芸術作品とは全く異なるものであるように思える。しかし共通点もあると考える。研究活動においても森羅万象の世界から新たな発見をするためには創造的な発想、活動が不可欠だと思うし、一つの作品(論文)にこめる熱意や出来上がった作品の美しさは比較はできないが芸術家のそれらと似通ったものだと思っている。

いうなれば現象という名のカンバスに知識という名の絵の具を使って真理を描くようなものだと思う。これが私の芸術であり私の人生である。

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