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学術研究の意義とは: 研究者を志す大学院生が考えること

 2022年3月2日、研究施設への電車に揺られながらこの記事について考えている。使い古したイヤホンからはPink FloydのEchoes(原曲ではなくRodrigo Y Gabrielaによってカバーされ、グラミー賞を受賞したほう)が流れている。春の訪れを感じさせるかすかな陽気と幻想的な音楽が私を白日の夢へといざなっているようだ。私は1月にシンガポールで聴講したとある講義について思い出していた。講師はフィールズ賞など数々の栄誉ある経歴をもつフランス人数学者のCedric Villani教授。残念ながらオンラインでの開催だったので、私の「本体」は東京の研究室にいたのだが、心はシンガポール国立研究財団の用意した会場へと飛んで行った。クッション付きの心地よい椅子に腰を据え、周りには世界中の若手研究者がいる。そしてVillani教授はおなじみの衣装と蜘蛛のブローチを身に着け赤い絨毯を雄弁と歩く。パンデミックがなければこんな妄想も現実のものであったかもしれない。直接会うことはできなかったが、シンガポールでの5日間は実に有意義なものだった。世界中の博士課程の学生やポスドクの研究者と重ねた会話や議論が私に教えてくれたことは、もっと多くのことを勉強しなければならないということだった。私が研究者として成長していくためには努力、経験、実績がまだまだ圧倒的に足りていない。彼らから受けた刺激は私の研究に対するモチベーションを青天井まで高めてくれるものであり、多くのアイデアが頭からあふれ出てくるようであった。


 Villani教授の講義はとてもユニークなものだった。そこで行われたほかのほとんどの講義は最先端のテーマに関して著名な科学者によって語られるものであった(例えば梶田隆章教授はノーベル物理学賞を受賞したニュートリノ振動に関する講義をされた)が、Villani教授の講義はボルツマン方程式についてでもなければランダウ減衰についてでもなかった。それは彼自身について:幼少期の話から、どのようにして数学者を志し、世界中の研究者とのつながりを築き、そしてどのように考えていたのかについての講義だった。講義は控えめに言っても素晴らしいもので、おそらく私が今まで受講した講義の中でもっとも情熱的で最も感動的なものであったと思う。私はいつの間にか最近買い替えたノートパソコンの(以前使っていたものよりも一回り大きな)画面にくぎ付けになっていた。周りの学生が1月の寒空の下いつも通りの日常を過ごしていたこととは対照的に、私の全身には熱い情熱が迸っていた。子供のころ恐竜の図鑑を一日中眺めていた(くしくもVillani教授も少年時代は恐竜好きだったらしい)あのころのように多くの発見と喜びに満ちたVillani教授の科学の旅の話に私は心を奪われた。


 講義を通じて私は研究者としてのキャリアについて考えるようになっていた。研究者というのはいわば勉強することを生業としているような存在で、研究者にとっての勉強とは、論文を読んで読んで読みまくって、学会や委員会に出席し自分の研究について発表したりほかの研究者と意見を交わし国際的なつながりを築いたり、それらをもとに自分のアイデアをさらに深めて研究を進展させ、再び論文を読みまくって、、、といった具合である。学術研究の存在意義とは社会の発展に貢献することであり、人類の文明が続く限り研究に終わりはない。そして文明社会の発展に寄与するためには国際的な協調、世界中の英知の結集が不可欠である。そういった意味では、世界の調和を乱す行為は学術研究に重大な懸念を生む。そして何よりも、人を殺めたり、一部の権力者の欲求を満たしたり、人々の平和を武力によって侵害するために研究された科学技術は歴史上一つもない。Villani教授は言う”Politics needs science more than ever.”

Villani教授の講義はシンガポール国立研究財団の公式YouTubeでも公開されています(英語)。タイトル:On finding theorems, and a career


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