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時間: それは友なのか敵なのかそれとも

某ブランドの腕時計をかれこれ5年近く使っている。革製のベルトのみが茶色で、他のパーツはほとんど金色という配色と、時計としての機能以外はほぼ何もないシンプルさが気に入っている。一つだけ難点があるとすれば、日付の表示もついているのだが、それが31日周期で回っているだけなので30日までしかない月は、翌月1日になっても31日を表示してしまう。それを手動で直しているとき、もっと高級な時計はその辺の融通も利くのかとか思ったりもするのだが、今のところは私のお気に入りである。

それにしても時間というのは実に奇妙な存在だと思う。我々のよき友でありながら我々が戦うべき相手、それが時間というものの存在なのではないかと思う。

誰か大切な人を失って深く傷ついたとき、時の流れがその傷を癒してくれるだろう。あるいは深く落ち込んだとき、時間は何も言わずにただそっと我々に寄り添ってくれる。底の見えないような深い淵にいても、そこに一筋の光が差し込み我々が希望を見出すまで時間は待っていてくれる。時間はときとして我々のよき理解者であるかのようだ。

ところが我々は生涯を通じて時間と闘わなければならない。チャンスの神様には前髪しかないのだから、正しいときに確かな決断を下さなければ人生を好転させることはできない。これは人間関係にも同じことがいえると思う。時の流れは私を誰かと引き寄せてくれることもあるが、時の流れが私と誰かの関係を風化させてしまうこともある。時間はときとして冷酷で無慈悲である。

そして時間にはもう一つ忘れてはならない特徴がある。それは時間は万物に対して平等だということである。誰がどこで何をしていようと、その人に流れる時間と私に流れている時間は常に同じものである。矛盾だらけのこの世の中で、唯一平等なものがあるとするのなら、それは時間なのではないだろうか。

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