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881日

帯画像は、みんなのフォトギャラリーより、ソエジマケイタさんのイラストを使わせて頂きました

すごいいまさら感がありますが、
5月末をもちまして、株式会社ピースオブケイクを退職しました。
ジョインして約2年半。日数にすると881日
本当に駆け抜けたなと思います。

これまで、noteには趣味の寺社巡りや、自炊料理
ダブルダッチのことなど、
完全にプライベートに寄せて書き綴ってきたので、
仕事のことはいっさい書いていませんでした。
この区切りで少しばかり、書ける範囲で書いてみたいと思います。

■きっかけは声かけてもらったこと

ピースオブケイクに合流したのは、
執行役員の及川さんに声かけてもらったことがきっかけでした。

及川さんは、過去に在籍していた開発会社のいわゆる同僚でした。
当時のあのひとは、受託開発をメインとした部署の部長。
私はモバイル公式コンテンツと呼ばれる月額課金コンテンツの運営や
集客の部署のイチ社員。

やってることは全く異なっていましたし、
そもそも役職の高い方だったので、かなり気後れしてたのと、
見た目怖かったのでw、当時はあんまり話すことはありませんでした。

そこから、月日が経って、
私が部署を束ねる役割を担うようになった頃でしょうか。
少しずつ話す機会が増えていったのは。

私がその会社の退職を決めたとき、
ものすごく残念がってくれたのを今でも覚えています。

私といえば、あっけらかんとしてて、
生きてれば、同じITの畑だし、また一緒に仕事できるだろうし、
またしたいよね。その時にはパワーアップしてる状態で会いたいよね。
と言ってたような気がします。

その後の私は、
新しい職場で原因不明の体調不良に見舞われて仕事を離れたり、
配属先の事業縮小だったり、
まわりからみればジョブホッパー的なことやってた時期もありました。

再会したのは、2015年の10月ごろ。
最近どうよ?と久々にご飯に誘ってもらいました。
飯を食いながら、ピースオブケイクで働いてること、
人を探していることを聞いたのと、うちで一緒に働かない?
みたいな感じで声かけてもらいました。
あの時は本当にうれしかった。

その後、代表の加藤さんと面談。
しゃべるのが得意ではない私は、人に説明できるようにと、
パワポで資料を作ってそれを使って説明することが多かったのですが、
自己紹介をまとめた資料をとても熱心に読んでくださり、
こういうことできる?じゃぁ、あれは?
と、たくさん質問されたのが印象に残ってます。

■「駆け抜ける」が一番適した表現でした

30代に入ってからというもの、
「目の前のことをひたすら一生懸命に」というスタンスに拍車がかかり、
どの会社に属してても、振り掛けると基本駆け抜けてばっかりでした。
ピースオブケイクは、その中でもとにかく密度の濃い期間でした。

当たり前のことかもしれませんが、
ひとつひとつのことに対して主体的に動いて形に残していくスタイルが、
仕事の進め方や働き方、いずれにとっても学ぶことが多かったです。

退職して、もうすぐ1ヶ月になりますが、
自分てあの会社でなにをしてたっけ?と振り返ってみることで、
また何か感じるものもあるかもしれないので、
在籍中の2年半を時系列で振り返ってみようと思います。

■2016年1月~3月

私が正式にジョインした前月、
2015年の年末には前任の方が退職されました。
最低限の引継ぎは受けたけど、いかんせん時間が足りませんでした。
どこに何があるのか、完全に把握できていない状態からのスタートでした。
数値の取りまとめには、SQLを使うことが多く、
SQLのクエリを覚えるのに必死でした。苦笑

エンジニアではないし、予備知識があったわけでもないので、
SQLってなに?テーブルってなに?ってところから、はじまりました。
知識のない私でも理解が深められるように、こういう本を買って読んだり。

あのときは大変だったのですが、こういう記事がでてる通り、
数値を取り扱うひとがSQLを少しでも知ってて、
クエリをかけるようになったというのは、今更ですがよかったと思います。

それからアルバイトの採用も。
この時期に大学卒業を控えていたアルバイトさん2人に代わるメンバーの
求人作成、採用活動、面接、内定後の事務手続きのサポートにも携わらせていただきました。

2016年の3月には、noteプレミアムがはじまりました。

サブスクリプション型のコンテンツ提供をするクリエイターも増えて、
noteが活性化していった時期でした。

■2016年4月~6月

この時期に、今やnoteには欠かせない、
ディレクターのたまさんが、ジョイン。
そして、ユーザーサポートを担当されていた方が退職されました。
急遽、ユーザーサポート兼任になりました。

問い合わせ対応するのは、本当に久しぶりでした。
それまでは退職された方が、ひとりで問い合わせ対応をされていたので、
引継ぎの時に教えてもらったことを一字一句逃さずでメモに残したり、
過去の問い合わせ履歴を見ながら、よく届く質問の傾向とその返答方法をドキュメントに起こしたり、テキストだけで説明するには限界があるから、
画面遷移のスクリーンショットを片っ端からとって、えんまちょうみたいにまとめながら問い合わせひとつひとつに返答していました。

ベースとなるものは作りましたけど、問い合わせ頂いた方には、ひとりひとり、微妙に言葉じりを変えていました。実は。
問い合わせの内容が同じだったとしても、問い合わせ頂いたときの、温度感やことばじりが異なりましたから、できるだけ相手に寄り添いたいなと思って。

6月には共同運営マガジン機能が追加されました

■2016年7月~9月

ユーザーサポートをしながら、集計業務も平行していたので、
誰かに代打をお願いできない仕事がどんどんどんどん増えて行きました。
夏休みもありましたが、期間中もノートPC持って沖縄旅行したり。

▲沖縄の海は、本当に澄んでいてきれいでした。

9月には、継続課金マガジンの購読にドコモ、auのキャリア決済の利用ができるようになりました。

実装自体はエンジニアの方に尽力いただきましたが、申請周りの資料つくったり、てんやわんやでした。

■2016年10月~12月

ちょうど業務量が膨れ上がっていった時期です。
ふとした不注意から大きなミスに繋がってしまい、リカバリーも出来ず、
会社にご迷惑をおかけしてしまいました。
当たり前のことを当たり前にやることの大事さ、
そして、それを続けていくことのその難しさを痛感した時期です。

■2017年1月~3月

カスタマーサポートの採用と、アルバイトメンバーの採用に精を出していた時期です。

プライベートでは、ダブルダッチの世界大会行きの内定をもらいました。

アメリカに行きたかったのと、行ったら行ったで長期間仕事に穴を開けてしまうことへの不安や葛藤もありました。結局行くって決めましたが。

カスタマーサポートのメンバーの採用が決まってからは、
メンバーへのフォローにてんてこ舞いでした。
ちょうど、カスタマーサポートのメンバーに引継ぐ内容をリストアップしていたのですが、その時の引継ぐ内容や数に自分でもびっくりしていました。普段自分で請け負っているとなんてことないことでも、それをひとに伝え、委ね、自分の手元から離していく。
教えたりするのは、もともと嫌いではなかったけれど、その事へのやりがいと難しさの両方を痛感しました。

■2017年4月~6月

cakes note night開催。

私は、受付担当しました。
イベント運営の補助スタッフとか、アルバイトでやったことはあったけれども、自社のリアルイベントの受付は初めて。
チケットを購入頂いたお客様への確認や、チケットの購入確認のメールを用意できなかった方へは、noteに登録しているニックネームやメールアドレスを教えてもらってご本人確認をしたり。

受付から見える景色は、イベントをよりよくしていくために、
こうしたらよかったのでは?など、いろいろな発見がありました。
運営のサポートという立場に携わらせてもらってよかったなと思います。
その一方で、すごく心に残ることもありました。
言った当人はきっともう、覚えてないでしょうけど、言われた側は、ずっと傷として残り続ける。そんな出来事にも直面しました。

そういえば、6月には杉並に引っ越しましたっけ。

■2017年7月~9月

縄跳びの世界大会へ出るためにアメリカへ。

代理を頼めない仕事は、滞在先で行いました。
滞在先のフロリダは、時差が13時間ありました。
フロリダの深夜、早朝が、日本の日中、夕方だったので、
その時間に併せて仕事をしてカバーしていました。
宿泊先にしっかりとしたWi-Fi環境が整っていた事に感謝でした。

▲年齢別カテゴリで優勝いただきました

9月。ディレクターのことさんが産休へ。
一時的とはいえ、noteの運用にめ携わることになり、
腹をくくって、ひとつひとつ確実にと取り組んだ期間でした。

そして、この年も、PC持って沖縄旅行。

海の綺麗さに感動して、マガジンにまとめましたし。

■2017年10月~12月

CXOとして、深津さんが合流されました。

直接的に一緒にお仕事をする立場にはありませんでしたが、
深津さんが合流してから、ものすごいスピードでnoteがカイゼンされていくのを目の当たりにしました。
「まずはやってみる」というフットワークの軽さを大事にされているところにすごいなと思いました。

それから、noteのアルバイト採用。
超がつくほどの前のめりな子が12月から合流しました。
今だから言えますが、私の負担が少しずつ減っていく!
そんな光が見え始めた時期でした。

お金マンガ投稿コンテストが始まったのもこの時期でした。

■2018年1月~3月

新しいメンバーが続々とピースオブケイクに参画。
noteにも新しい動きがではじめて、更に活発化していきました。

2年前と比べて、だんだんと会社が大きくなっていくのを感じてました。
それとともに、自分自身のこれからを考える機会が増えました。

2017年を振り返るなかで、
ピースオブケイクで働く中で、
自分にこれからなにができるんだろうという思いと、
働く中で見えてきた、これからチャレンジしてみたいこと。

noteというサービスは日を追うごとに進化していく中で、
一度立ち止まって、振り返る機会が増えた時期です。
そうした中で、自分自身の役割を終えたかなという思いと、
チャレンジしてみたいことの実現に向けて、退職という選択をしました。

■2018年4月~5月

会社に退職の意向を伝え、徐々に引継ぎ開始。
引継ぎのドキュメントの数は30個は超えたような。笑
後に残る方にご迷惑がかからないように。
私の知り得ていることは、余すことなく残しました。それでも足りなかったんじゃないかってくらいです。

ツレが事故にあって救急搬送されたり、身内の体調が芳しくなったりで

病院と会社を行ったり来たり日々で、GWにはまさかの自分自身がダウンしたり。最後の最後でとっ散らかしてしまった感はありますが、
決して背伸びはせずに、今の自分にできることを精一杯やってきたつもりです。あとで、あーしておけばよかったという後悔はしたくなかったので。

しいたけ.さんがノート始めたのもこの時期でしたね。

■最終出社日

いつも通り翌日のMTG資料を作成して、数値周りの取りまとめをして、
退職後のアカウント削除の申し送りをして、定時をむかえました。
がらでもないし、自分の都合で退職するから、送別会はやらないでください、辞退します。と断り続けていました。

▲春夏秋冬のぶっちぎりも、もう食べれない…。

が、カスタマーサポートのメンバーから、選別にまくらをいただきました。

自分、足引っ張ってばかりでなにも残せてないのに。本当に申し訳なかったのと、散々見送り固辞したにもかかわらず、見送ってくれた事への感謝と。

まくら使ってとこ、自撮りして送ってくださいとの命を受けたのでしれっと貼っときます…

駆け抜けた!って最初にいったけども、文字に起こすとたいがいなボリュームだな…。苦笑

そして、残ってたみんなが見送ってくれました。
なんだかこっぱずかしかったですが、この場を借りてお礼を申し上げます。
本当にお世話になりました。

■心に残ったノート

2年半の中で、数えきれないほどのノートを読みました。
そして、運営という立場から、ぜひ読んで欲しい、
知ってほしいという思いから、たくさんのノートを推しました。

読書の習慣がない私にとっては、投稿されるノートの文字量は苦にならず、「さ、読むぞ!読書に時間をさくぞ!」みたいな時間的な制約もなく、
さらっと一気に読みきれる分量だったように思います。

その中も、特に印象に残っているノート、
支えてもらったノートを勝手に紹介したいと思います。

◆ノオトくん / 猫論堂さん

縦スクロールを存分に活かした絵本に衝撃を受けました。
イラストのやわらかさにもストーリーにも引き込まれるものがありました。

◆嫌な過去を忘れる方法 / 経沢香保子さん

経沢さん、noteプレミアムが始まってすぐ、継続課金マガジンやられていたんですよね、次々と投稿される、はっと気づかされる内容が印象的でした。

◆会えない、会わない、会ったほうがいい。 / 古賀史健さん

「会えなかった」は小さな心残りでしかないけど、「会わなかった」は大きな後悔につながる。それは「会ってみて、がっかりした」よりも、ずっとずっと大きな後悔だ。

という文末にものすごく心をうたれたノートです。
これ見ていた時期は、すごく好きになった人がいたんですよね...
(実らなかったけど)

◆「男性“避”婚化社会」の衝撃/ 白饅頭さん

白饅頭さん、Twitterでおすすめすると、よくRTしてくれたのを今でも覚えています。中でもこのノートが強烈なインパクトに残っています。世の中のマスコミやWebコンテンツが謳っていて、観ている側もそういうものとして受け取っていた事実が、実はデータを元に読み解くと意外な結果が導き出されるという事例だったのを今でも覚えております。

◆人のつらさを他人が決めない / ますぶちみなこさん

ますぶちさんのノートに出逢ったのは、仕事の量も内容も自分だけではどうしようもなくなってきていて、さて、どうしようか?と思っていた時期でした。このノートにぐっときて、自分の中で現状を受け入れて、しんどくてもいっぽいっぽ進んでいこうと腹くくっていました。

◆世界は「夢組」と「叶え組」でできている / 桜林 直子(サクちゃん)さん

このタイトルを見たときに「!」と思い、ノートをと読んで「そうだよね!!」と何度も頷いたノートです。どちらかだけがいても成り立たない。
適材適所というか、役割分担みたいなのがあるよなーって思ってました。
こういうのをみんなわかっていれば、「無理して自分とはちがう何者かになろうとしなくてすむ。」わけで。

■結び

振り返ってみたものの、私が携わってた仕事、事細かに書くとコンプライアンス的によろしくなさそうなので、今回書いた内容がギリギリの範囲かも。

なので、これやりました、あれやりましたとは書ききれないのが残念なところ。しゃーない。

6月からは新しい職場で働いてます。
有給はアメリカ行ったり、沖縄行ったりして結構計画的に消化していたので、まとまった有給消化はありませんでしたが、
気持ちを新たに、今回も自社サービスを提供している会社で働いています。

まずは、仕事に慣れていくことを最優先に。
そして、まわりの足を引っ張らないように...と戦々恐々としながらの1ヶ月でしたが、
これからサービスに対してどんな向き合い方ができるのか?を考えるとワクワクしています。

そして、noteは、支える側(といっても、支えることなんてなに一つできなかったけど)から、1ユーザーとして応援する側へ。

これからも自分のペースでノートを書いていければと思います。

#雑記

ありがとうございます!サポート頂いたお金は、趣味でやってる寺社巡りでお賽銭として活用させて頂きます♪