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「またの機会に…」は一生こない。

先週末に母方の祖母が他界しました。
火曜日にお通夜、水曜日に告別式をつつがなく終えました。

齢90歳。平均寿命よりは長く生きました。
最期を看取ることはできなかったけど、
看取った親族から、祖母の最期を聞くことができました。
6月の頭に救急搬送。手術をするかどうかの選択を迫られたものの、
年齢、体力的にもリスクが高く、延命処置は行わなかったそうです。
搬送後、徐々に心臓の鼓動、呼吸が弱くなっていったそうです。
6月9日に臨終。最期は苦しむことなく旅立たれたそうです。

式は家族葬でした。
ごくごく身内で行われました。
会場が梅里(新高円寺寄り)で家からの近い距離だったのも、
なにかの縁かもしれません。

こういう形ではありましたが、
10数年ぶりに従姉妹に会えました。
従姉妹に会ったのは私が大学生の頃ですから、
10数年振りのことです。
これも、祖母が引き合わせてくれたのかなと思います。

訃報を受けてから式まで、日が短かったし、
テレビドラマを観てるんじゃないかってくらい、
いろいろなトラブルがありました。
けれど、まずは式を終え、見送ることができました。

お通夜だった火曜日。
ひさしぶりに顔を合わせる親族との挨拶は早々に、
夕方からお通夜が執り行われました。

お通夜の前に、お坊さんから、
お通夜の由来、戒名を授かる意味など
わかりやすいご説明をいただきました。
この時は、正直、祖母の死に実感がありませんでした。

粛々と進む式に戸惑っていて、
悲しい、苦しい、故人を偲ぶというよりも、
不謹慎ですが「まだ生きてるからっ!」って
ドッキリみたいに棺から出てくるんじゃないかとどこかで思っていました。
…当然そんなことありませんでした。

お通夜が終わり、お清めも兼ねた親族との会食。
家族が揃うのも3年振りくらい。
親族が一同に会したのは初めてだったかもしれません。

車の運転もあったりで、飲酒できない親族にかわり
、喪主の叔父と酒を交わしました。
祖母の持病の話、治療のためにいろんな病院を探し回った話、そして最期。
これまで私が聞かされていなかった話をそこで聞くことができました。

そして、その場に、私の父はいませんでした。

告別式の水曜日。
仕事は忌引き休暇をもらいました。
事情が事情とはいえ、入社して2週間しかたっていないのに、
忌引き休暇を取らせていただけたことにただただ感謝です。
朝9時半には会場へ到着。

想定していましたが、やはりそこに父は来ませんでした。

母も、足の具合が悪く、仕事のために鹿児島に戻る長男とともに、
告別式を終えたら会場をあとにするとのことでした。

告別式と併せて初七日の法要を終え、
棺に花を手向けて見送り。
3年前、最後に会った祖母よりもひとまわりも、ふたまわりも小さくなっていました。

今は棺に釘打ちは行わないんだそうです。
みんなで最後の声をかけて、蓋を閉めて出棺。

それまでピンとこなかった祖母の死。
それを実感したのは、出棺時に母親が見せた涙でした。

私の母親は優しく、普段は感情の起伏はなく、とても穏やかなひとです。
喜怒哀楽、滅多なことでは感情を表にだしません。
私が感情をストレートにださないのは、きっと母親に似たのかもと思います。

そんな母親は、やはりお通夜の時もいつもと変わらずの様相でしたが、出棺の時に、目にハンカチを強く当てて、声を殺して泣いていました。

母親が涙するのは、実家に住んでいた頃から、
何度か目にした事はありますが、この時に見た涙は、私の母親としてではなく、娘としての涙だったんだと思います。

母からは最期を看取れていなかったことは聞いていました。
前日の帰り際に火葬、収骨に立ち会わないことも聞いてました。
でも、それは表向きの話で、
本当は最期も看取りたかったし、火葬、収骨も参列したかったという思いと、それを実現できない無念さがあると言うことを、彼女の立ち振る舞いではっきりわかりました。

これまで腑におちなかった一連の流れは、
そういうことだったのかとに、その場で理解し、正直驚きました。
それと同時に、自分の願いを叶えられず、思いをただただ押し殺す選択をした母の気遣いと無念さを思うと、心が締め付けられるような思いでした。

悲しい出来事があった時って、
・ひたすら悲しみに暮れる
・誰かに話して気持ちの整理をする
・酒に逃げる
の、いずれかなのかなと私は思っていました。

今回、祖母の訃報を聞いてからの自分は、
お通夜、告別式まで、いつもと変わらずの日々の過ごし方をしてきました。
ジム行ったり、お酒飲んだり。SNSみたり。
投稿も普段どおりでした。
そうすることで自分のバランスを取っていたのかもしれません。

式を終え、起こったこと、感じたことをを1週間経って、
改めて言葉にしてみると、とても悲しい。
祖母の死もだけど、その事実をきっかけに、
いろんなものが浮き彫りになったことが。

「あとで」や「またの機会に」はそのままにしていると、それは一向に来ないし、一生こないかもしれない。ましてや、1回きりしかない事は、たとえどんな事情があっても、どんな手段使ってでも遂行しないと、2度とその機会は訪れません。

生きていると、いろんな選択を迫られます。
時には選んだ選択に、なんで、あの時にああしてしまったのだろう、あの時あの選択をしていたら…と、後悔することもあると思います。

でもね、一生つきまとうような後悔はしちゃいけない。一生背負うような苦しい、悲しい思いはさせちゃいけない。今回のことで得た教訓です。

そして、ただ、悲しみに浸るだけでなくて、ちゃんと前を向いて歩いてくことが、遺されたひとのすべきことなんだろうなって思います。

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