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【試し読み】憂国のモリアーティ 禁じられた遊び

小説『憂国のモリアーティ 禁じられた遊び』が11月1日に発売となります。
本日は発売を記念して、本編中の序盤の試し読みを公開させていただきます。

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あらすじ

貴族の息子探しの依頼を受けたシャーロックは、貴族が通うクラブに潜入するためウィリアムに協力を仰ぎ捜査を始める。事件の真相にたどりついた二人だったが、人質を取った"ゲーム愛好家"の犯人からロシアン・ルーレットへの参加を強制され...。さらに、ボンドがホワイトチャペルの劇団に演技指導、三兄弟が弟子入りの際にジャックに課された試練、マイクロフトの紹介で訪れた休暇先でシャーロックが挑む奇妙な事件などが4本の短編になって収録!


それでは物語をお楽しみください。

1 禁じられた遊び

 英国貴族に相応しい教養と品位、そして輝きに満ちた未来を胸に抱く若者たちの学び舎、ダラム大学。
 そんな英知の気風に満ちた校舎の廊下を、二人の男が並んで歩いていた。
 一人は、当時二一歳という若さでこの大学の数学教授となった天才、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ。
 そしてもう一人は、英国でその名を知らぬ者などいない名探偵、シャーロック・ホームズ。
 二人は印刷物の配達をしていたビル・ハンティングの類い希なる数学の才を見出し、彼の入学を学長に推薦し、見事交渉を成功させた。
 学問の世界に新星を送り出した事を喜ばしく思いながら、帰宅するシャーロックをウィリアムが見送る為、二人は校舎の出口へと向かっているところだった。
「―――そう言えば、もう一つ頼みがあるんだ」
 その道中でいきなりシャーロックがそんな言葉を発したので、ウィリアムも不思議に思って小さく首を傾げた。
「頼み、と言うと?」
 きょとんとするウィリアムに、シャーロックは前を向いたまま述べる。
「別に大した事じゃねえ。探偵(こっち)の仕事の関係で、リアムにとあるクラブへの紹介状みたいなものを書いて欲しいんだ」
「紹介状ですか。具体的な内容をお聞きしても?」
 シャーロックは「ああ」と答えて説明する。
「つい先日、ある貴族の一人息子が行方不明になったから捜して欲しいって依頼が来てな。その息子が妙なクラブに入り浸ってたって情報を摑んだから、調査に行こうと思ったんだ」
 そこまで聞いてウィリアムはふむ、と頷く。
「―――しかし上流階級が集うクラブへ唐突に見知らぬ顔が現れても、簡単には入れて貰えない可能性がある。なので貴族である私であれば何らかのつてを得られるかもと考えたのですね?」
 そして微笑混じりにあっさりと説明の続きを引き継いだ。若き大学教授の理解力の高さに、シャーロックは苦笑してしまう。
「相変わらず話が早くて助かるぜ。……そんな訳で、何だかお前の地位を利用するようで悪いんだが、そのクラブに俺が参加できるよう取り計らってくれると助かる」
 シャーロックが若干心苦しそうな顔をして言うと、突然ウィリアムはその場に立ち止まった。そして同じく足を止めたシャーロックに一つ問いかける。
「……もしかするとホームズさんが行こうとしているクラブというのは、ここダラムの近くにあって、人々が様々な『遊戯』を楽しむ目的で集まっている、というものではないですか?」
 シャーロックは意外そうに目を丸くする。
「リアムにも心当たりがあるのか?」
「ええ。こちらでも近頃、学生たちの間でそういったクラブの存在が囁かれているのを耳にしまして」
「へえ、遊びたい盛りの学生が噂する程なのか」
 するとウィリアムは困ったように溜息を一つ。
「ただ、いくら勝ったとか負けたなどという文言付きなので、一教師としてあまり感心は出来ないのですが」
 シャーロックは声を上げて笑う。
「そいつは刺激的な『遊戯』だな。勉強詰めの大学生が息抜きするには持って来いって訳だ」
 すると彼の表情は途端に真剣味を帯びた。
「……だがそうなると、依頼された一人息子が消えた理由ってのも想像が付くってもんだな」
 金銭絡みの勝負を行う謎のクラブ。そして金を持った貴族の若者。その二点が揃えば、自ずと答えは導き出せる。
 ウィリアムも深刻そうに眉根を寄せる。
「ホームズさんが考えるように、その方も火遊びに熱中した挙げ句、大金を失ったのかもしれませんね。その後、親に顔向け出来ずに自ら行方を晦(くら)ませたか、或いは剣吞(けんのん)な事態に巻き込まれたか……前者であれば半ば家出のようなものですからさほど心配は無いとして、後者であればおいそれと無視は出来ませんね」
「そうだな。若気の至りで済まされるならまだいいが、犯罪事に巻き込まれてんなら放っとく訳にはいかねえ」
 改めて気合いを入れ直した様子の探偵に、ウィリアムが言った。
「ホームズさん。その調査に私も同行して構いませんか?」
 唐突な要求にシャーロックは面食らってしまう。
「別に構わねえけど……いきなりどうした?」
「乗り掛かった船という訳でもないのですが……賭け事を行うとはいえ、そのクラブが一定の節度を保っているならば良いのですが、もし違法行為を働いているのだとしたらここの学生たちにも被害が及ぶ恐れがあります。なので念の為、直接自分の目で見定めておく必要があると思いまして」
 学生の為というウィリアムの思いにシャーロックも納得する。
「なるほどな。だが〝犯罪卿(はんざいきょう)〟についての相談を聞いてくれた上に、仕事まで手伝って貰うなんざ、借りを作るばっかで申し訳ねえな」
 苦笑するシャーロックに対し、ウィリアムはゆっくりと首を横に振った。
「寧ろロンドンが誇る名探偵にお力添えできるのですから、光栄なくらいですよ。それにこの件は将来的に我が校の不安要素を除く事にも繫がりますので、相互利益とも言えますし」
 そう告げてウィリアムが爽やかな笑みを浮かべると、シャーロックも気兼ねなく勝ち気な笑みを返した。
「だったら俺は『すまない』じゃなくて『ありがとう』と言うべきか。……確か列車で会った時は推理対決だったな。すると今回は協力関係って事か。面白ぇじゃねえか」
 そして探偵はその蒼い瞳で、相手の紅い双眸を真正面から見据える。
「いいぜ、リアム。俺たち二人で、この〝謎〟を解き明かそうぜ」
 強い意気が込められた台詞に、ウィリアムは笑顔を絶やさぬまま応じる。
「はい。モリアーティ家の名に恥じぬよう全力を尽くします」

 二人の天才が手を結んでからおよそ一〇分後。ウィリアムとシャーロックの身は例のクラブがあるという場所へと向かう四輪馬車(ブルーム)の中にあった。
 現在、馬車はウィアー川沿いを南進していた。プリンス・ビショップの支配の下に発展を遂げてきたダラムの街並みが窓の外を通り過ぎていく中、荘厳な偉容を誇るダラム大聖堂を横切った辺りで、ウィリアムが対面に座るシャーロックに話しかけた。
「そう言えば、ホームズさんは数学には興味がお有りではないのですか?」
「何だ、藪から棒に。……あのテストだったら、無かった事にしてくれると助かるんだけどな」
 シャーロックは先刻受けてみた数学のテストで零点を取った事を思い出して、いじけたように口先を尖らせる。
 その仕草が妙に子供っぽいので、ウィリアムは思わずくすりと笑いを漏らしてしまう。
「別に変な意味で聞いたのではありませんから、安心して下さい。ですがホームズさんほどの頭脳があれば、学問の世界でも比類無き賢人になるだろうと思いまして」
 彼の見解にシャーロックは少し考え込んでから言う。
「私見だが、人間の頭脳ってのは小さな屋根裏部屋みたいなもんだと思っててな。そこへ仕事に使う以外の知識を入れちまうと、いざって時に取り出しにくくなっちまう。だから頭の中に入れるものには、俺はかなり注意を払ってるんだ」
「……なるほど。頭脳を部屋に喩えるとは、面白い考え方ですね」
 探偵の独特な発想に、ウィリアムは興味深そうに頷いた。
「ですが、だからこそ心底惜しいと感じますよ。ホームズさんが本気で学問に取り組めば、きっと歴史に刻まれるような功績を残したでしょうから」
「お前にそこまで評価して貰えるのは嬉しいが、やはり俺は探偵として謎を解き明かす方が性に合ってる。……まあ、雑学くらいなら暇潰しに聞いたりするけどな」
 すると微かに教育者としての矜持が働いたウィリアムが、少しだけ前屈みになった。
「暇潰し程度で良ければ、数学の面白さが垣間見える雑学をお聞きになりませんか」
 彼の蠱惑的(こわくてき)ですらある声音に、シャーロックも興味を惹かれてにやりと笑う。
「へえ、なら聞かせてくれよ。クラブに着くまでまだ少しあるようだしな。不良生徒へのちょっとした課外授業ってとこか?」
 ウィリアムはくすりと笑うと、少し姿勢を正す。
「授業などと畏まった言い回しをされると少々緊張してしまいますが……ホームズさんは、『パラドックス』をご存じで?」
 シャーロックはその単語の意味を思い出すように、少し上に視線を動かした。
「パラドックスって言うと、『アキレスと亀』が有名だったか? あと、『私は噓つきだ』って言葉もパラドックスだ」
「そうですね。他にも変わった例を挙げますと―――ホームズさんは今日、私の講義を受けて下さいましたよね。有り難い事にあの講義は多くの学生が受講してくれますが……ではあの教室に学生が何人いれば、同じ誕生日の人がいる確率が五〇パーセントになると思いますか?」
 少々難問ではあるが、シャーロックは熟考して自分なりに答えを出してみる。
「単純な考え方をすれば、自分と同じ誕生日を探す場合、あと三六五人必要になるよな。だったら、その半数の一八三人ってとこか?」
 一年が三六五日なので、三六六人いれば一人被るというシンプルな解答。何の助言も無くそこに行き着くシャーロックの知能に感心しつつ、ウィリアムは優しげな笑みで答えを明かす。
「正解は、たったの二三人です」
 シャーロックは「はあ?」と声を上げた。
「噓だろ? それだけで誕生日が同じ奴がいる確率が五〇パーセント? とてもじゃねえが信じられねえな」
「そうですよね。ですが計算の上ではそうなるんです。つまり計算によって導き出された理論と、『そんなはずが無い』という我々の直感にズレが生じる為に、パラドックスとなるのです。ちなみに、あくまで理論上ですが、教室に六〇人いれば同じ誕生日の学生がいる確率がほぼ一〇〇パーセントになります」
「それは面白ぇな。今度ジョンにも話してみるわ。……けどよ、こうして雑談として話せる内はまだ問題は無いだろうが、いずれはその感覚と理論のズレってやつが現実に支障を生むかもしれねえな」
 シャーロックが何の気なしに言うと、ウィリアムは物憂げに目線を落とした。
「実に鋭い指摘です。確かに現段階では、数学というものは日常生活で利用する範囲ではさほど問題は生じません。しかし今後研究が進められていく内に、数学の世界は致命的な危機に直面する可能性があると私は考えています」
「危機?」
「あくまで個人的な予測なのですが……ごく簡潔に述べると、『ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無い事を、その理論体系の中で証明できない』といったところでしょうか」
 専門的な言い方だったが、シャーロックはウィリアムの意見を自分なりに言い換えてみる。
「つまり俺の仕事に喩えるなら、俺が事件の証拠や証言を集め、それに基づいた推理を展開した結果、犯人を特定して事件が解決したとする。だが――もしその解決までの流れ全てが事件の裏にいる黒幕によって作られたものであったとしても、俺自身はそれを証明する事はできない。……こんな感じか?」
 相変わらずの理解力に、ウィリアムは再度畏敬の念を抱いた。
「正にその通りです。その例で言うならば、ホームズさんはその黒幕によって操られた駒の一つ、という事になりますね」
 ウィリアムのやや挑発めいた表現に、シャーロックは口の端を吊り上げ、攻撃的な笑みを浮かべる。
「はっ、まるで〝犯罪卿〟の手口だな」
「…………」
 対するウィリアムも微笑を湛えながら意味深な沈黙を返す。その非の打ち所の無い笑みを見ながらシャーロックは続ける。
「だが俺は一方的に操られるだけの駒にはならねえよ。いずれ必ず〝犯罪卿〟の正体を暴いてみせる」
 するとウィリアムは「ふふ」と楽しげに笑った。
「頼もしいですね。確かに数学の世界では、数式は『証明』される事によって初めて定理となります。〝犯罪卿〟に関しても、ホームズさんがその所業の全てを解き明かして初めて一つの事件として語られるのかもしれません」
「ああ。義賊ではあっても、悪である事に変わりはない。〝犯罪卿〟は、俺が捕まえる」
「その日が来るのを楽しみにしていますよ」
〝犯罪卿〟の話題で盛り上がる最中、ウィリアムとシャーロックは互いに相手の目から視線を外さなかった。それは両者の親密性の表れにも見える一方、相手の本心を見定めようとする心理のせめぎ合いにも見える。
 友好的な和やかさと、油断のならない緊張感。相反する二つが不思議と両立する。そんな矛盾に満ちた馬車内の雰囲気は、正にウィリアムとシャーロックの独特の関係性を顕著に表していた。
 時間にして一分にも満たない対話の後、シャーロックは「は」と息を吐きながら天井を仰ぐ。
「悪い。何だか〝犯罪卿〟の話をしている内に妙な熱が入っちまった」
 ウィリアムは首を横に振る。
「いえいえ、私はその件に関してはいつも興味深く聞かせて頂いています」
「ま、少し話題を戻してだな。他にも面白いパラドックスの話ってあるのか?」
「理論と直感のズレで言えば、三人の殺し屋が集まって決闘するというものがありますね。彼らはそれぞれ腕前に違いがあるので、平等になるようなルールを設けるのですが……おや、そろそろ目的の住所が近いのでは?」
 ウィリアムが外の様子を見て話を中断すると、シャーロックも窓の外に視線を送る。
 いつの間にか馬車は街の外れに来ていた。酒場や商店が軒を連ねる街路の先、貴族のタウン・ハウスのような威厳ある佇まいの建物が近付いてくる。
「あれが、例のクラブがある場所か」
「そのようですね」
 ウィリアムとシャーロックはその建物を見ながら、後は到着まで口を閉ざした。

 ジェントルマンズ・クラブとは、趣味や研究など共通の目的を持ったジェントルマン階級の男性たちが設立した会員制の社交の場で、一八世紀末に急速にその数を増やした。例えばロンドンのイーストエンドにあるクラブランドと呼ばれる場所では、ピーク時に四〇〇ほどのクラブがあったとされる。
 通常クラブには表札も看板も出ていない。ある時警官が不審に思って踏み込むと、そこには大司教や銀行の総裁、首相たちが集っていた、という話もあるほどだ。ウィリアムたちが訪れた建物もその例に漏れず、入り口に男が一人立っているだけで、内部の様子を示すような物は何一つ掲げられていない。
 馬車から降りたシャーロックは建物をまじまじと見つめながら、隣のウィリアムに話しかける。
「結構でかい建物だが、住所はここであってるよな」
「はい。その証拠に人が出入りしていますよ」
 ウィリアムの視線の先に、ちょうど建物に入ろうとする紳士の姿があった。彼は入り口前に立つ男に軽く一礼すると、扉を開けて入っていく。一連の様子を観察しながらシャーロックは言った。
「入る時、特に周囲の目を気にしている風でも無いな」
「そうですね。クラブ自体に違法性は無いのかもしれません」
「つまり、その中で違法行為を行っている奴がいるかもしれないって訳だ」
 推測を交えた会話をしながら二人は建物に近付いていく。当然、入り口前で受付と思しき男に声をかけられた。
「すみません。こちらにご用ですか……おや? 確かあなたは、ダラム大学の……」
 貴族で若き数学教授でもあるウィリアムは、この辺りでは知名度が高いらしい。
 少し驚いた様子の男に対し、ウィリアムは外套とシルクハットを脱いでから柔和な笑顔で挨拶する。
「こんにちは、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティと申します。ここは遊戯を楽しむクラブとお聞きしたのですが」
 すると男も笑みを浮かべて丁寧な態度で応じる。
「やはりウィリアム様でしたか、ようこそ。仰るとおり、ここでは暇を持て余した紳士たちが昼中だというのに集っております」
 男の自虐めいた語り口に微笑んでから、ウィリアムは恭しく尋ねる。
「私たちも噂を耳にしてやってきたのですが、もしや会員の方の紹介がないと参加できませんか?」
「いいえ、そんな事はありませんよ。故あって私のような形ばかりの受付はおりますが、基本的には新規の方も大歓迎でございます」
「俺も大丈夫か?」
 シャーロックが会話に割り込むと、男は頷く。
「ええ、構いませんよ。一応、お名前をお伺いしても?」
「シャーロック・ホームズだ」
 名前を聞いて、男は目を瞬かせた。
「もしや、あのシャーロック・ホームズ様ですか? まさかあなたもこんな所へ来るとは……」
 数学教授と名探偵のコンビが珍しいのだろうか。予想以上に驚かれ、苦笑いを浮かべながらもシャーロックは続ける。
「ああ。ちょっと調べ事があってな」
「調べ事、ですか。なるほど……」
 ウィリアムの時とは違い、探偵の登場には何故か動揺する男。ウィリアムはその不審な挙動を静かに追及する。
「もしかして、何か問題が?」
「えっと、それは、その」
 男はちらちらと扉の方に視線を投げかけながら曖昧な態度を取っていたが、やがて観念したのか、声を潜めながら二人に事情を明かす。
「一応ここは、『様々な遊戯を堪能する』といった趣旨の集まりではあるのですが……その、場を盛り上げる為に、ちょっとした金銭のやり取りも行われておりまして」
「なるほど」
 その辿々しい話し振りからウィリアムは男の心中を察した。品格を求められるジェントルマンが、羽目を外して賭けに興じているというのはあまり公にしたくない事柄なのだろう。
 加えて賭け事が常態化した場というのは、ともすれば犯罪の温床となりやすい。受付が建物前にいるのも、警察関係者等に目を付けられないよう参加者の素性を確かめておきたい気持ちがあるのかもしれない。探偵であるシャーロックの来訪に動揺したのもその為だ。
 しかし二人は金が動いている点については既に把握している。なので問題はその度合いだ。
「もしかして、警察沙汰になりかねない程の金額の賭けが行われているとか?」
 すると男はぶんぶんと手を振った。
「とんでもない。本当に些細な額です。ちょっとした遊興費くらいの感覚ですよ」
「遊興費ねえ……」
 シャーロックは胡乱げに呟くと、さりげなく男の言動を観察する。平民の基準で考えれば、貴族たちにとっては遊び程度でもそれなりの金額が動いていそうだが、男の態度からは犯罪にまで手を染めているような後ろ暗い様子は感じられない。
「ま、その辺りについては安心してくれていい。俺は別件で調査に来たんだし、それに金が動けば盛り上がるってのは同感できる」
「それはそれでぞっとしない結論なのですが……」
 身近に賭けが好きな仲間がいるウィリアムにとっては、どうにも苦笑を禁じ得ない発言だ。
 とはいえ、一先ずクラブ自体に問題は無いという予想は正しかった。なので後は実際に見る必要がある。
「取り敢えず、私たちが参加するのは大丈夫なのですね?」
「は、はい。なので皆様の賭け事については、どうか寛大な心で……」
「だから大丈夫だって。んじゃ、お邪魔させて貰うぜ」
 そう言ってさっさと扉を開けて入っていくシャーロックに、ウィリアムも続いた。
 建物に入ると中は大きな広間となっていて、簡素ではあるが落ち着いた内装で、壁際に質の良さそうな調度品が並んでいる。
 木製の机と椅子が等間隔で置かれ、そこで正装した紳士たちが各々カードやボードゲームをして遊んでいた。机上には金貨や紙幣がちらほらと見受けられる。紳士一同は上流階級としての威厳を保ってはいるが、時折生じるどよめきや歓声から、ゲームへの熱の入れようが窺える。
 二人は入り口付近に佇みながら、そんな紳士たちの様子を眺めていた。
 行方不明の若者の調査の為、真面目に全体の様子を観察するウィリアムに対し、シャーロックはどこか羨ましげな顔をしていた。
「すげー楽しそうだな。折角だから俺も一ゲームくらい参加してみるかな」
「……本来の目的を忘れないで下さいね」
 ウィリアムは困り顔で横のシャーロックに念を押す。すると二人の元に、一人の恰幅の良い男がワインの入ったグラス片手に近付いてきた。
「お二人共、見ない顔ですな。随分と若い方で……おお、あなたは数学教授のウィリアム様で……そちらはかの名探偵ホームズさんじゃありませんか?」
 男が声を上げると、周囲にいた数名の男が二人を振り返る。ウィリアムはややぎこちなくも笑顔を向ける。
「どうも……」
「よろしくな」
 早々に注目が集まってしまった事に、ウィリアムが密やかにシャーロックに語りかける。
「本当ならもっと静かに捜査したかったのですが、世に名が知られるというのも大変ですね」
「ま、有名税ってやつだな」
 そう苦々しい顔で語り合うと、ウィリアムは話しかけてきた男に尋ねてみる。
「ここは本当に遊戯が好きな方々が集まっているようですね」
「ええ。皆、それぞれが持ち寄ったゲームで楽しんでおります。最近では拳銃を使用したものが流行っておりますよ」
「銃?」
 剣吞な単語に二人が顔を顰(しか)めると、男は取り成すように続けた。
「誤解なさらないで下さい。勿論本物ではありません。あくまで本物そっくりに作らせただけの玩具ですよ。それに弾を一発込めて、そして順番を決めてから、こう―――」
 男は指で銃の形を作ると、自分のこめかみに当てる。
「自分で引き金を引いていくのです。それで弾が出た方の負け。確かロシア発祥の遊びだったと思います」
「―――ロシアン・ルーレット、か」
 シャーロックが重々しく呟く。偽物による遊びとはいえ、そんな物騒な代物を用いる貴族たちの感覚はどうにも受け入れ難い。
 だが怪訝な顔の二人に構わず、男の喋りはエスカレートしていく。
「少し前からここで人気のゲームになっているのですが、すぐに飽きが来てしまいましてね。なので色々とやり方を変えるなどして試行錯誤を繰り返しているのですよ。ついこの前も、別の社交場で噂になっていたのを参考にしたのですが、三人で三つの銃を使うものをやりまして」
「あー……親切に色々話してくれてるとこ悪いが、それについてはまた今度聞かせて貰うわ」
 シャーロックは多少うんざりした様子で男の熱弁を遮ると、周りを見渡した。
「俺はここに人を捜しに来ている」
「はあ、人捜しでございますか」
 男は打って変わって気の抜けた反応をした。
「ああ。とある貴族の一人息子なんだがな……」
 そして、シャーロックが消えた若者の名前を告げる。
 その瞬間、周囲にいた紳士の一人が微かに反応したのを、ウィリアムは見逃さなかった。
 だがそれは今に始まった事では無い。実はシャーロックが室内に入った時、既に中にいた紳士の内何名かが彼に警戒の眼差しを向けていたのだ。
 彼らの顔を記憶しながら、ウィリアムは若者について話すシャーロックに視線を投げかける。すると彼も素早い一瞥を返した。彼も自分の探偵としての知名度を利用して入室時から不審者を炙り出していたのだ。
 ならば後は、相手がどう動くかを見極める。
 無言の内に次の行動を一致させた二人だが、確認した複数名の動向を探るまでもなく、シャーロックの方に一人の紳士が近寄ってきた。
「あなたが、ホームズ様で?」
 そう尋ねてきた紳士。年の頃は四〇を過ぎた辺りだろう。細身で燕尾服がよく似合い、人好きのする笑みを浮かべているが、その細い目から覗く瞳には狡猾そうな光が宿っている。
 シャーロックが「ああ」と首肯すると、紳士は胸に手を当てて大仰な溜息を吐いた。
「……おお、まさかこうして本物とお会いできるとは、いやはや、今日のゲームで使う幸運を使い果たしてしまいましたな」
 そしてすぐに姿勢を正した。
「失礼、自己紹介が遅れました。私の名はアランと申します。周囲から呆れられるくらいに刺激的な事が大好物でして、あなたに関しましても、常日頃から小説でワトソン氏との痛快な大活躍を拝見しております」
「へえ、ドイル先生の作品を読んでくれてるとは有り難いな。あいつに言ったら喜ぶと思うぜ」
「なんと、一ファンとして作者に声をお届けできるとは感激の極みです。ところで、こう言っては失礼ですが、実際にお会いすると作品内でのあなたと少々言動が異なりますね」
 痛い所を衝かれ、シャーロックは気まずそうに人差し指で頰をポリポリと搔く。
「あー……それは作者が娯楽性を重視した所為か、俺を美化しちまったみたいでな。イメージと違うってんなら、悪いとしか言いようがねぇ」
「いえいえ、今後は作品を読む中で実際のホームズ様に変換する楽しみが出来ますし」
「それ、本当に楽しめるか?」
 シャーロックがアランと名乗る紳士と歓談する間、ウィリアムは最初に話した男と取り留めの無い世間話をしていた。男は夢中になって先程のロシアン・ルーレットについて話し、ウィリアムは適度に相槌を打ちながら、シャーロックを注視する他の紳士たちに抜け目なく気を配る。
 一人が親しげに話しかける事によって、自然な形でシャーロックから若者の話題が出るのを防ぐ。ならば、その次の手も大体の予想が付く。
「いやあ、憧れの探偵殿とここまで楽しくお話しできるとは思ってもみなかった」
「そこまで喜ばれると、俺としても嬉しい限りだな」
「全くもって、人の縁というのは不思議なものですね。……ところで、ホームズ様はゲームに興味がお有りで?」
「ん? 俺は別件で来たってさっき言ったんだけど……ま、興味ないって言ったら噓になるな。どうせなら、何か刺激的なゲームでも紹介してくれよ」
「なるほどなるほど。刺激的なものがご所望ですか」
 ふと、アランの笑みの質が変わる。彼は口元を手で隠しながら、シャーロックに囁いた。
「確かにここのゲームは風変わりなものも多々ありますが、私や他の仲間はすっかりやり飽きておりまして。なので実はこことは別の場所で、秘密裏に刺激的でスリリングなゲームをしているのです」
「ふーん。スリリングなゲームね」
 シャーロックは見せつけるように口元で笑みを作る。それを興味の表れと受け取ったアランは、ウィリアムを指し示す。
「一緒に来られた方もどうです? あくまでここにいる方々には知られないよう極秘裏に、ですが」
「……面白そうだな」
 そう答えると、シャーロックはウィリアムに声をかけた。
「おい、リアム。ちょっといいか」
「どうしました?」
 別の人と喋っていてそちらの話は聞いていなかった、という体でウィリアムはシャーロックの方を向く。
「アランが場所を変えて話がしたいんだってよ。一緒に行こうぜ」
 シャーロックが言うと、アランが微笑む。まるで客人を招き入れる家の主人のような親しみやすい表情だが、ウィリアムはその裏に隠された本性を見出していた。
―――獲物が網にかかった、という顔だ。
 相手の思惑を見抜いたウィリアムは快く了解した。
「分かりました。私もご一緒させて頂きます」
 そうして話していた男に「失礼」と断りを入れると、シャーロックと共に広間を後にした。


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