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【 サモンナイトU:X〈ユークロス〉 WEB限定エピソード】「幕間―Dies Irae―」

最終巻発売を記念し、『サモンナイトU:X〈ユークロス〉―狂界戦争―』の裏側で起きていた特別エピソードを再掲載させて頂きます。あの派生作品からも懐かしのキャラクターたちが参戦。


それでは物語をお楽しみください。

幕間 -Dies Irae-
夜明けと共に、休戦の時は終わりを迎えた。

「首尾を聞かせてもらおうか、龍人の長よ」
厳しく問うホクトに、セイロンは悲しげにかぶりを振った。
 交渉は失敗し、オウレン姫を救うことは適わなかった、と。
「せっかくの降伏勧告も無駄になってしまったようだな」
 見透かされていたことに、セイロンは驚きの顔を隠しきれなかった。
「罪に問う気はない。当然の情というものだ」
「かたじけない……」
 苦いものを噛みつぶして耐えるセイロンの姿が、ホクトには他人に思えなかった。
 彼自身、複雑な想いを抱えたまま、この戦に赴いているのだから。
(カイナよ。ケイナよ。お前たちは今、どこで何をしているのだ?)
仕える【親神(みおや)】たるタイゼン様の命により、エルゴの欠片の守り役としてこの世界へと召された下の妹。
 その妹の身を案じるあまり、願い出て界を渡ったきり、未だ帰らぬ上の妹。
(せめて無事であってくれ。これから始まる災禍から、なんとか逃げおおせてくれ)
個人の想いをけして口にすることはなく、ホクトは目を閉じて呼気を整える。
 【道の者】たちの規範となる立場にある者として、使命に徹せねばならない。
(でなければ、タイゼン様がその咎を受けてしまう)
 敬い奉ってきた【親神(みおや)】が、密かに界の意志に反する行為を続けていたと報された時、ホクトは信じられぬ思いだった。
 道理に照らし合わせれば、それらはとても過ちとは思えぬものであり、界の行く末を案じるがゆえの行いとして、むしろ賞賛されるべきとさえ思った。
 だが、界の意志はそれを否定した。
 リィンバウムこそが全ての罪の源であり、今こそこれを討つ時だと。
鬼妖界に生きる者全ての【親神】にあたる存在に、逆らえるはずがなかった。
 ましてこれは、他の三界を見守るエルゴたちとの総意でもあるという。
 先触れの一人を命じられたホクトは、各界の精鋭たちを引き連れて、呪われた島とそこに暮らす者たちの殲滅を命じられた。正しく成果をあげることが唯一、今は他の神々たちの手で幽閉された【親(タイゼン)】を救うことになると、噛んで含めるように言い聞かされてきたのだ。
「退くわけにはいかない。大義は我らにあるのだから」
ぱあんと柏手を打ち鳴らし、宮司は進撃の再開を宣言した。
◆  破滅の到来を告げる烽火は、ひとつきりではなかった。
それは遙かに遠き洋上、そびえ立つ巨塔の都市にも及んでいたのだ。
都市の名はワイスタァン―――魔法の武器を鍛造する鍛冶師たちが暮らす都として、三大国家も自治権を認めざるを得なかった誇り高き海上都市である。
その町並みは今、無残に破壊されつつあった。
 空を埋めつくす天使たちが放つ、おびただしい雷撃の槍や光の矢の洗礼によって。
「脆いものですね、ニンゲンというものは」
 一方的な攻勢によって興奮気味となった天使の一人が、同朋にそう軽口を叩く。
「これだけ痛めつけられても、悲鳴をあげて逃げ回るだけで、まるで反撃しようという気概すら見せやしない」
「無茶なことを言うな。そもそも彼らは、我らのように空を飛べぬのだぞ」
それをいいことに、高空から魔力による絨毯爆撃を仕掛けているのだ。
 誇り高き戦天使としては、正直気分のよいものではない。
 だが、そう命じられた以上は従うまでだ。
「界の意志が直々に、我らに啓示なされたのだからな」

―――薄汚れた想念をまき散らし続けるニンゲンたちを殲滅せよ
   悪魔を利する彼らもまた、悪魔と等しき界の害悪である

だから彼らは、速やかに先鋒となってこの地に降臨したのだ。
 霊的生命体である彼らを唯一、殺傷せしめる武器を創り出すことができる者たちを掃討することで、後に続く同朋たちの進軍を軽やかなものとせしめるために。
「しかし、本当に手応えがなさ過ぎるな」
 逃げる者がいるとはいっても、都市の規模からするとまばらすぎる。
 いくら奇襲をしかけられたとはいえ、一度も反撃しないのは不自然ではないか。
 嫌な胸騒ぎがして、天使たちは互いに顔を見合わせる。
 その時だった。
「あれはなんだ!?」
 都市の影にあたる海面が不意に波打って、巨大な鉄の塊が浮上する。
 ずんぐりとしたフォルムをもつそれは、明らかに人の手で作られたものだった。
 それもひとつではない。
 最初のものより小ぶりなものたちが、次から次へと浮き上がってくる。
崩壊する海上都市に背を向けて、それらは隊列を組み、悠々と前進を開始した。
「あれは船だ!」
 天使たちは理解した。経緯は不明だが、鍛冶師たちは彼らの襲撃を予期していて、最初から脱出の準備を万全に整えていたのである。
都市に残っていたのは意固地にそれを拒んだ者や、後ろ暗い立場ゆえに脱出船に乗ることができなかった犯罪者の類ばかりだったのである。
「ふざけやがって!!」
 たちまち激昂したのは、先程までニンゲンのひ弱さを嘲笑っていた天使だった。
 同朋の制止も聞かず、怒りに任せて光の戦斧を振りかざし、船へと突進していく。
「……それは、こっちのセリフだってば!」
 勢いよく甲板のハッチが開いて、怒りに燃える金髪の女性が立ち上がった。
 手にした槍を大きく振りかぶって、力任せにぶん投げる。
 結果は恐るべきものだった。
「ひぃぎゃああああああァァァッ!?」
 恐るべき速度で飛来した槍は、傲慢な天使のどてっ腹を呆気なく貫いて、見事に撃破してしまったのである。
エルゴの加護によって【魂殻(シエル)】を維持された今の彼らは、霊界にいる時と同様に永遠不滅の存在であるはずなのに。
「再生が間に合わないほど……一瞬で完膚なきまでやられるなんて……」
おののく天使たちに向かってガッツポーズを決めてみせると、彼女は内部にいる仲間たちにおかわりの槍を要求した。
「じゃんじゃん持ってきてちょーだい! 私たちの海上都市を無茶苦茶にした阿呆の天使たちに、思い知らせてやるんだから!!」
「やめてください、ルマリさん!」
必死になってそれを止めたのは、革製のヘルムと特徴的なモノゴーグルを身につけた小柄な女性だった。
「気持ちはわかりますけど落ち着いてください。ここに用意してある武器はわたしたちじゃなくて、この世界を守るために戦うみんなのためのものなんですから!」
「ケチケチしなくてもいいじゃない、プラティ。私だって今まさに、世界を守るためにがんばってるんだから……」
「テュラムさんに言いつけますよ?」
 途端に、ルマリと呼ばれた女性はしゅんとうなだれた。
 恨みがましい目をじとっとプラティに向けつつも、渋々、甲板から降りてくる。
「自重してくださってありがとうございます。あと、威嚇としても完璧でした」
 カカンシャカンシャですと丁寧に頭を下げられては、さすがにそれ以上ごねることもできないルマリである。
 ワイスタァン最強の槍使いである翡翠の鍛聖ルマリにわざわざ迎撃に出てもらったのは、追撃の意志を徹底的にくじくためだった。
 こちらを舐めてかかったところにキツイ一撃を食らわせてやれば、おのずと腰が引けるであろうという読みは、どうやら当たったようだ。敵がひるんだその隙に乗じて、鉄の船団は速度をあげ、再びの潜水に移行しようとしている。
「でもホント、心臓に悪い賭けだったよね」
そうですよ、とその隣、プラティに寄り添う場所に立って、ほっと胸をなで下ろしたのは、彼女の護衛獣である妖姫(ジニー)のシュガレットだった。
「まったくです。プラティさまを心配させるなんて、ルマリさんはおかしいです」
「え? そこなの?」
「はい、そこです。ルマリさまの腕前は知っていますけど、そもそも相手は戦天使なんです。よりたくさんの悪魔を倒すための力を求めた彼らと、まともに戦って勝てると思えるほうがおかしいんですから。そんなのプラティさまが心配するじゃないですか!」
「う、うん……そう、なんだけど」
「当然ですよ! 心労でプラティさまが倒れたら、ルマリさんはどう責任をとるおつもりなんでしょうか? そうなったら、わたしが一日中つきっきりで添い寝してさしあげるしかないじゃないですか!」
「……えっと、シュガレット? 今更だけど、わたしたち女の子同士だよね?」
 なにやら不穏なことを口走るシュガレットに、プラティも疑問を差し挟まざるをえない。
 とはいえ、シュガレットの言うことも、やはりもっともなのだ。
 確かに彼らの打つ武器は霊的生命体を傷つけられるが、その威力はあくまで使い手に依存したものだ。お伽話に出てくる魔剣のように、手にした誰もが一騎当千の勇者になれるというものではない。そういった代物は鍛冶師と相棒である護衛獣が全身全霊を注ぎこんで、生涯に何本作り出せるかという領域の仕事である。
 黒鉄の鍛聖となって以来、修練に励んできたプラティだが、これぞ真打ちという一本にはまだ巡り会えていない。亡き父の偉大さを噛みしめ、なお励む毎日だ。
(修業に出てるお兄ちゃんはどうなのかな。きっと、がんばってるんだろうなあ)
特例として、共に同じ名跡を継いだ双子の兄のクリュウのことを彼女は思う。
彼女の兄は海上都市を出て、過去に大陸のほうぼうに散った鍛冶師たちを訪ね歩く旅を続けている。ワイスタァンでは失伝してしまった古き技術を研究すると共に、願わくば彼らを迎え入れ、より優れた鍛造技術を追求したいと願っているのだ。
今、プラティたちが乗っている潜水艦と呼ばれる鋼鉄の船も、彼が旅先で知己となった機界の召喚師によって提供された技術で完成したものなのであった。

「なんとか、このまま無事に離脱できそうだよ」
 額の汗を手袋の甲で拭いながら、エルジンはそう請け負った。
「よかった……」
溜めていた息をふうっと吐いて、サナレは安堵した。
 一番巨大な潜水艦の船底に配置された、集中制御室の内部である。
「あー、もう。ほら、ラジィ。あんたいい加減離れなさいってば」
「うううっ、もうちょっとだけ……お願いサナレ!」
 そんなサナレの腰にしがみついているのは、いつも元気がトレードマークのはずであるラジィだ。どうやら、密閉された空間にいることが生理的に苦手らしい。
「あんたも私も、もう子供じゃないんだから。しゃんとしなさいよね」
 そうは言いつつも、無理に引き剥がそうとはしないのが彼女の優しさだ。
イイ女になってみせるという口癖は、順調に形を為しつつあるのかもしれない。
「まったく。怖がるのは構わんが、すぎるのは彼の仕事に対して失礼というものだろう」
 そうたしなめたのはヴァリラだ。近い将来【金の匠合】の長を継ぐ立場にある彼は、日に日にその自覚を高めているようだった。神童と呼ばれ驕っていた頃が嘘のように、他人に対する敬意を示すようになっていた。
「僕はただ、やり方を教えただけだよ。これだけの規模のものを短期間で作れたのは、ワイスタァンの職人さんたちの技術あってのものだって思うな」
 にっこりと笑って、エルジンはそう返した。
「そっか……これは、ワィスタァンのみんながエルジンさんを信じて作った……【潜水艦(ふね)】なんだよね……うん!」
小声でそうつぶやいたラジィは、意を決したようにしてサナレから離れた。
 おおーっ、と思わず一同が拍手する。
「それじゃあ、本格的に急ぐよ!」
他の船たちとの連動が問題ないことを確認したエルジンは、一気に船足を上げて潜行モードに移行させる。
 鍛冶師(マイスター)たちがこの時のためにこつこつと作りあげてきた武器の数々を、世界中で戦う人たちのもとへ届けるために。

「これも全て、貴女たちエルゴの守護者のお陰ですよ」
「どうか、そんな風にもちあげないでくださいな」
 サクロに感謝されて、カイナは恐縮する。
 彼女たちが乗った潜水艦は隊列の最後尾。追撃がやまなかった場合にしんがりとして残り、他の者たちの逃走を助けるための位置だった。
他に同乗しているのは、サクロの同僚でもある水晶の鍛聖・凪のテュラムと、機械兵士のエスガルドだ。
いずれも単騎で敵に立ち向かうことのできる面々ばかりである。
「それより、【剣の精霊(パリスタパリス)】たちは本当にあのままにしてきてよろしかったんでしょうか」
「直接話をしてきたプラティによれば、むしろ下手に動かぬほうがよいそうで」
地下に眠る剣の五大精霊の助力を得て決起すれば、ワイスタァンを守ることはできたかもしれない。だがそれは、さらなる敵の襲来を招くことにもつながる。
ゆえに、我らはここにとどめたままにして去るべきだ、
とパリスタパリスは忠告してくれた。
 ワイスタァンの迷宮地下深くに囚われの身であった彼らは、いずれ同胞たちに救出される形になるだろう。
そのうえで、何が起こっているのかを正しく見極めるのが彼の真意だった。
 そこに光明が見いだせた時は、必ず、友である海上都市の人々の助けになると誓って。
永き恩讐の果てに再び、自らの意志で海上都市の守護者となった精霊の、それは偽りなき言葉であったという。
「界の意志が直接介入してきたらひとたまりもない。あの力あるパリスタパリスがそう言い切ったんです。それほどの驚異なのでしょう、エルゴの怒りとは」
ええ、とカイナはうなずいた。
「まともに向き合うことができる者すら、果たして今の世に存在するかどうか」
 彼女が信じる【誓約者】ですら、今のままでは厳しいかもしれない。
敵に回すなどと考えること自体がおこがましいほど、相手は超常の存在なのだ。
「本音を言えば、こうなってしまうこと自体を止めたかったんです。力が及ばず、本当に申しわけありません」
カイナがエルゴの侵攻をいちはやく知ることができたのは、彼女の下に【親神】からの報せが届いたからであった。老君タイゼンは自らがし続けてきたことを正確に巫女へと伝え、騙していたことを謝罪した。そのうえで、彼女に願ったのだ。
幽閉された自分に代わって当代のエルゴの王を助け、リィンバウムを破滅の危機から救ってほしい―――と。
ハヤトに告げられぬままだったのは、彼が未だ確たる王として認められていないからと、メイメイに止められたせいであった。時が来たら必ず真実を伝えるという彼女の言葉を信じて、カイナはエルジンたちと共に、できることを必死に考えた。
それがこの、ワイスタァンからの脱出作戦につながったわけだ。
「サクロさんとウレクサさんには感謝しています。到底信じられないようなお話を真剣に聞き入れてくださって」
「これでも元鍛聖だからね。言葉の真贋を見極めることぐらいはできるつもりですよ」
そこに真実の重みを感じとったからこそ、彼は一度は去ったワイスタァンに再び舞い戻り、現鍛聖たちと守護者たちを引き合わせたのだ。そして、さらに多くを動かした。
 この場にいないウレクサもまた然り。闘戯都市の豪商たちに働きかけて、脱出してきた彼らの受け入れ先と、武器の供給手段を手配してくれている。
「それに、サイジェントの勇者さまとは、浅からぬ縁もありますからね」
「そうなんですか?」
初耳です、と驚いてみせたカイナに、サクロはまじめくさってこう言った。
「何を隠そう、カレー仲間なんだ」                    ◆ 「くそっ!」
くせのある橙色の髪の青年は、理不尽なこの状況に対して舌打ちをする。
 その右手には古びた大剣。そして反対の手は、珊瑚色の髪を乱して必死について来る娘のそれをしっかりと握っている。ずっと離さないと誓った最愛の伴侶だ。
 彼らが暮らしていた場所は、旧王国の西端にある辺鄙な村だった。
敵対関係にある聖王国や帝国からは遠く、元老院が取り立てて注目するような産業があるわけでもない。ゆえに政治的な揉め事にも縁遠く、住人たちは自給自足を旨として慎ましくも平穏に生きてきた。
 そのささやかな幸せは、だが、突如として打ち砕かれてしまったのである。
 恐るべき魔獣の群れの襲来―――近隣の森ではついぞ見かけなかったバケモノたちが、何の前触れもなく大挙して襲いかかってきたのである。
 軍役経験のある若者たちで作る自警団の一員として、彼もまたその襲撃に立ち向かった。剣の扱いに関しては天賦の才をもつ彼は奮戦し、醜悪な犬狼鬼や豚狼鬼を何匹も切り捨てるという活躍ぶりを示した。
 だが、そこまでが限界だった。
 満を持したかのように森の中から姿を現したのは、単眼の人喰鬼たち。
 見上げるような背丈をもつ巨人を相手どって戦うことは、特別な武術や召喚術をもたぬ彼らには不可能事だった。だから、村を捨てて逃げるより他にはなかった。
 易々と追っては来られぬように自らの手で油を撒いて建物に火を放ち、時間稼ぎをするのが精一杯だった。用心のため、年寄りや女子供を真っ先に逃がしていたことだけが幸いだったといえよう。
 けれど、彼女は逃げていなかった。
愛する夫の勝利を信じていたこともある。だが一番の理由は、その身に宿ったばかりの新たな生命を案じたからだった。本当ならば、こうして無理に走らせていることすら避けるべきだというのに―――それが、彼を舌打ちさせる理由であった。
「ごめんね、レオン。足手まといになっちゃって……」
 泣きそうな顔で、エイナは歯噛みする。
 本当なら腰に提げた剣を振るって、自分も一緒になって戦いたいのだ。
 幼い頃から芸事として習ってきた剣舞の技は、実戦でも充分に通用するレベルだと老先生からお墨付きをもらっている。かつて近くの町まで行商に出た折りには、友人の娘に狼藉を働こうとしたゴロツキ連中を相手どって、こてんぱんにやっつけてしまったこともある。だからこそ、自由に動けない今の自分が歯がゆい。
そんな彼女の気持ちを感じとったレオンは、愛する妻の身体をそっと抱き寄せて、なだめるように優しく接吻した。
「気にするな、エイナ。お前たち家族を守ることが今の俺の生き甲斐なんだから」
 小さな頃からずっと一緒で、大切に想い続けてきた女の子。村のみんなから祝福されて夫婦となり、ようやく子供まで授かったのだ。けして、この幸せを壊させはしない。
「だから、安心しろ。絶対に俺が守ってみせる!」
「……うんっ」
身を隠していた茂みから意を決して飛び出すと、二人は小走りに道を急ぐ。
 この森を抜ければ隣町に続く街道まで出られる。そうすればきっと―――。
「なっ!?」
かすかな望みは、だが、残酷な現実によって打ちのめされた。
彼方に見える黒煙の源は、彼らが目指した安全なはずの町。
 空に飛び交う禍々しき影たちが吹きかける炎によって、無残に燃えている。
「そんな……あっちも襲われているなんて……」
ならば、別の場所に逃げるしかない。けれど―――。
(どこに逃げれば安全だっていうんだ!?)
心中に湧きあがる思いにレオンは歯を食いしばる。
 そもそも本当に安全な場所などあるのだろうか。この村で起きていることが他の場所でも起こっているというのなら、どこに逃げても同じことではないのか。
「あきらめてたまるかよっ!」
萎えかけた気持ちに必死に鞭を入れて、二人がさらなる退路を求めようとした時。
―――ギィエエエエエエエエエェェェェッ!!
けたたましい咆吼と共に、向かいの森の木々がなぎ倒された。
「なんなんだよ、あれは……!?」
姿を現したそれは、人喰鬼にもひけをとらぬ大きさの、獰猛な二足獣だった。
鳥と蜥蜴をかけあわせて凶悪化させたその姿はまさに魔獣と呼ぶべきものであり、丸太のごとき前肢の鋭い爪にかかれば、人間などたやすくズタズタにされてしまうだろう。巨大な顎に並ぶ牙の間からはだらだらと唾液がこぼれ、興奮しきっているのが見てとれる。そしてその目は、間違いなく二人を獲物と見なしていた。
「逃げろ、エイナ! 俺が食い止めてるうちに!!」
「やだっ! レオンを見捨ててなんて、いけないよっ!」
決死の覚悟で立ち向かうと決めた夫の背に、妻は必死にすがりつく。
暴れ牛のごとき勢いで走り出した魔獣からは、どのみち逃げられるものではない。
 ならばせめて、最後の瞬間まで側にいたい。
「私たちはずっと一緒だもん! どんな時も、どうなろうとも一緒なんだから!」
「エイナ……」
ならば少しでも苦痛を感じぬようにと、レオンはエイナをかき抱いた。このまま死んでもけして離ればなれにはなるまいと、切なる願いをこめて。
 だが、無慈悲なる結末は訪れはしなかったのである。
「たああああアアアアァァァッ!!」
 気合いのこめられた叫びと共に横合いから飛び出した人影が、巨獣の横腹に強烈なタックルをぶちかましたのだ。鋭い回転音と共に鱗が削りとられて、血飛沫が飛び散った。
 件の人物が手に装着した穿孔具(ドリル)によるものだ。
―――グギィエエエェェェッ!?
衝撃と激痛にもんどりうって、魔獣の巨体が横倒しになる。
 その時にはすでに、人影は新たな武器を手にしていた。
 ふりかぶった両刃の斧が力強く叩きつけられて、無防備となった首を両断する。
びくんと全身を震わせた後、魔獣は完全に絶息した。
「ふう……。なんとか間に合ったみたいだね」
モノゴーグルを上げると、額の汗を手の甲で拭って、青年……クリュウはほっと息をついた。本当なら追い払うだけにしておきたかったが、それがかなわぬことはここまでの道中で何度も思い知らされていた。相棒のザンテックによれば、どうやら何がしかの強大な意志によって魔物達は操られているらしい。機界の住人であるザンテックにも若干の影響が出ているようで、今は哨戒を兼ねて離れたところで待機してもらっている。
「た、助けてくれてありがとう」
「えっと、君は……?」
 助けられたことを理解したレオンとエイナは、目の前の若者に声をかける。
「僕は、黒鉄(くろがね)のシンテツの子、クリュウ。通りすがりの鍛冶師です」
 二人よりも少し年下と思われる彼は、屈託なく笑ってそう言った。
「修業の旅の途中だったんだけど、同行してた友達がこのあたりの異変にいち早く気がついて。手分けしてなんとかしようってことで、僕がこっちに来たってわけなんです」
「すごいな……」
 素直にレオンは感嘆していた。はるか遠くの海上都市で魔法の武器を鍛える技術を学び、自らそれを振るって戦うこともできる鍛冶師という存在がいることは軍役の際に聞き知っていたが、まさか間近でその戦いぶりを目撃することになるとは。
「え? いや、僕なんてまだまだですよ。僕の故郷、ワィスタァンはもちろんですけど、世の中には本当にすごい職人や強い人がいくらでもいます」
僕はそれをこの目で見てきた、だからそんなに不安にならなくてもいい、
とクリュウは言った。
「これから世界が大変なことになったとしても、人間はきっと負けたりなんかしないです。絶対になんとかしてみせるはずだから」
「うん……そうだね」
希望に満ちたその口振りに、つられてエイナが微笑んだ。
「生まれてくるこの子のためにも、そうあって欲しいな」
まだ膨らみの目立たぬお腹に手を当てて、しみじみと呟く。
「来てください、安全なところまで連れていきますから」
クリュウ曰く、逃げてきた村人たちはこの先で彼の仲間の一人に保護されているという。鬼妖界の符術の使い手で、とにかく義侠心に厚い男らしい。
「それと……そうだ、はい、これを」
そう言って彼がレオンに差し出したのは、獅子をかたどった束頭をもつ両手剣だった。
「試しに打ってみた剣なんだけど、僕の体格だとちょっと重すぎちゃって。だから彼女さんを守るのに役立ててください」
「……いいのか? こんな立派な剣を」
「役立ててもらってこそ武器は武器たりえるもの。それは、大切な人を守るために鍛えた剣です。だから、存分に使ってやってください」
わかった、とうなずいてレオンは剣を受けとった。
 今度こそ必ず守ってみせる―――そんな彼の思いに呼応するかのように、獅子の瞳が輝いて、エメラルド色の魔力がその刀身を覆っていく。
「うん。剣(おまえ)も、お兄さんのことを気に入ったみたいだね」
 行こう、とうながすクリュウ。その後にエイナが続き、しんがりをレオンが守る。  ◆ 「ゴウラさまが仰っていたとおりだったな」
呟いたのは、鬼妖界風に編みあげられた髪型が印象的な青年だった。その眼差しは、眼前の町を闊歩している幻獣界メイトルパの魔獣たちの姿を捉えている。
「召喚術を好き放題に使った結果、か。ある意味では当然の報いというやつだな」
「耳が痛いな」
応えたのは、同い年くらいの金髪の青年だ。優しげな顔立ちやほっそりした身体つきとは裏腹に、握りしめた掌には鍛冶仕事のハンマーや武器を握り続けてきた証であるタコが刻まれている。そう、彼もまたクリュウと同じ鍛冶師なのだ。
「でも、それにしたってこれはもう行き過ぎだよ。召喚術と全く関わり合いのない人たちにまで、手当たり次第に襲いかかるのは報復じゃない。ただの暴力だ」
「……そうだな」
今度は黒髪の若者のほうが、苦い顔でうなずいた。
「だから、ゴウラさまも俺たちに警告してくださったんだろうな。あの方自身も無理矢理に召喚された身ではあるが、その恨みつらみ以上に非道を嫌われているから」
 人間の私欲のために召喚されながら、その力を持てあまされた挙げ句、迷宮の地下深くへと封印されてしまった鬼神ゴウラ。その強大な力と荒ぶる魂が発する邪気を巡り、彼ら二人はぶつかりあったこともある。
 が、その苦難を乗り越えた今はもう、幼い頃よりもさらに心の通じ合った親友として成長を遂げていた。
「クリーフ村のほうはだいじょうぶかな?」
「エアを信じろ。【魔刃使い】としては弟のお前より弱いかも知れないが、鍛冶師としての腕前は断然上だ。それにオルカさんやガブリオだって助けてくれるはず」
「うん……そうだよな。信じて、僕たちは僕たちにできることをしよう!」
旅の途中のいきなりの申し出にも嫌な顔ひとつせず、快く手伝いを買って出てくれたワイスタァンの鍛冶師クリュウ。逃げてきた人々を保護して、今も守ってくれているトウメイさんやリンリさん。そんな彼らの好意に応えるためにも―――。
(これ以上、召喚獣と人間の間に無用の憎しみを生ませるわけにはいかない)
「最初から全力で行くぞ、エッジ!」
「わかってるよ、リョウガ!」
 眼前で両腕を交差して、黒髪の青年―――リョウガが吠える。
 その全身をたちまち妖気が包みこみ、鬼神の眷族としての本性が露わとなる。
 そう、彼もまた心なき者によってみだりに召喚されてしまった存在。
 けれど、その真紅の爪は憎悪ではなく、今は信ずる友の助けとして振るわれる。
「ウオオオオオオオオオォォォォォォォォッ!!」
 雄叫びと共に繰り出された疾走からの三連撃が、破壊に酔いしれる魔獣たちの喉笛を切り裂いて、甲高く鳴り響く悲鳴をほとばしらせる。
 小癪にも抵抗を試みてきた存在を認識し、魔獣の群れは一斉にこの闖入者に敵意を集中させた。恐るべき勢いで殺到してくる巨獣らを前にして、リョウガはまるでひるむことなく、唇にうっすらと笑みを浮かべて忠告した。
「いいのか、お前たち……俺はただの露払いで、本命はあっちなんだぞ?」
 それが真実であったことを、すぐに彼らは身をもって思い知ることになる。

―――【形態変化(モノシフト)】ッ!!

 金髪の青年―――エッジの胸元から、赤い魔石の輝きがほとばしる。
 解放されたゴウラの魂の力は白銀の甲冑となって彼の身体を覆い、手にした武器に荒ぶる鬼神の加護をもたらす。そう、これこそが【魔刃使い】に授けられた力。
有象無象の魔獣相手に、けして遅れをとるはずなどない。
「でりゃああああッ!!」
「ウオオオォォォッ!!」
銀の煌めきと黒き疾風が交差して、次々と魔獣たちを屠っていく。
 本当はこれじゃダメだとわかっていても、倒さなければ目の前で失われていく生命を守ることはできない。ならばせめて、自分たちが憎悪の受け皿になってやる。
「だから、狙うなら僕たちを狙ってこい! その憎しみ、全部受け止めてみせる!」
 覚悟を決めたエッジの眼差しは、強い決意によって燃えさかるようであった。
<サモンナイトU:X〈ユークロス〉–響界戦争–へと続く>