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【試し読み】SPY×FAMILY 家族の肖像

7月2日に『SPY×FAMILY 家族の肖像』が発売となります。
こちらを記念して、本編冒頭の試し読みを公開させていただきます。

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あらすじ

休日に公園にでかけたフォージャー一家は、ひょんなことから超有名画家のモデルになることに。ヨルは暗殺の任務への支障を恐れ、自分の顔が世間に広まるのを阻止しようと突拍子もない行動を取り続けるのだが、ロイドはその真意がわからず...他にも自然教室でアーニャがダミアンとの仲良し大作戦を計画したり、フランキーと盲目の少女とのささやかな交流、ユーリがアーニャを職業体験施設に連れて行くなど全4本の短編を収録!


それでは、物語をお楽しみください。


NOVEL MISSON : 1

「自然教室ですか?」

淹れたてのココアをテーブルの上に置きながら、黒目がちの両目を瞬かせるヨルに、アーニャはココアを引き寄せ、こくりと肯いてみせた。
「こんどのきんよー くらすでやまにいく」
学校でもらってきた自然教室のしおりをわたす。
「フフ、うれしそうですね」
「アーニャ おとまりはじめて」
「え?」
最初はニコニコしていたヨルだったが、お泊まりと聞くと、驚いた顔になった。
「泊まりがけなんですか?」「うぃ」
急に険しい顔になった彼女のその胸中——まさに声なき声が、アーニャの脳に直接、伝わってくる。
少女アーニャ・フォージャーは、とある組織によって作られた被験体〝007〟。至近距離にいる人間の心を読むことができる超能力者であった。

『アーニャさんはまだ六歳ですし、初めてのお泊まりが山ごもりというのは、ちょっとハードルが高すぎる気がします……獲物の獲り方や捌き方を教えておいた方がいいですね。もしもの時のために、クマの撃退方法も……』

心の声と共に届いたヨルの心の中のイメージ——巨大なクマの口に手をつっこんで舌を引っ張ったり、ナイフで鹿を仕留め、解体するヨルと、それを横で見学するトマト祭りに参加したかのような自分の姿にぎょっとしたアーニャは、人知れず冷や汗を流した。
(ははのきゃんぷ だいぶ ちがう)
アーニャが“はは”と呼ぶ——ヨル・フォージャーは、ここ東国の首都バーリントの市役所で働くおっとりとした美人だが、実は〈いばら姫〉の暗号名を持つ凄腕の殺し屋なので、想像が一々物騒なのが玉に瑕だ。
もちろん、殺し屋なだけあって死ぬほど強い。
「高機能のサバイバルナイフは必需品ですね……それに、獣捕獲用の太いロープも……縛り方も伝授しておいた方がいいですね」
あと、トラップも……と別人のように低い声でボソボソとつぶやくヨルに、
「自然教室といっても、さすがに自分で獣を狩るようなことはないと思いますよ?」
アーニャの左どなりの席で妻の淹れてくれたコーヒーを飲んでいた“ちち”——ロイド・フォージャーがやわらかく告げる。
「失礼、ヨルさん。しおり、見せてもらえますか?」「あ、はい」
バーリント総合病院の精神科に勤めるロイドは、相手の心を落ち着かせるよう常に穏やかにしゃべる……が、それもまた仮の姿で、その正体は東国と冷戦状態にある隣国・西国から潜入している敏腕スパイだ。
暗号名は〈黄昏(たそがれ)〉。
因みに、ロイドは妻が殺し屋だと知らず、ヨルも夫がスパイだとは知らない。
戸籍上、夫妻の一人娘ということになっているアーニャは、超能力者ゆえにそれぞれの正体を知っているが、夫妻は娘に人の心が読める能力があるなどとは思ってもいない。
尚、二人の結婚はまったくの偽装で、アーニャはどちらとも血が繫がっていないが、諸事情により、ヨルはアーニャをロイドと前妻の間の子供だと思っている。

一見、どこにでもあるようなフォージャー家は、ちょっとばかり複雑で、各々の秘密の上に仮初の平穏を保っている一家だった。

「期間は一泊二日。寝る場所は一応テントですが、中はベッドやテーブル、ソファーにラグ、ランプ、トイレや簡易シャワールームまであるみたいですね」
妻から受け取ったしおりを優雅にめくりながら、ロイドが告げる。
「まあ、今時のキャンプって、そんなものまであるんですか?」
「今時のというより、イーデン校ならではでしょう」
目を丸くするヨルにロイドが苦笑する。
アーニャの通うイーデン校は東国きっての名門校である。生徒は金持ちの子供ばかりだ。政財界の重鎮の子供も少なくない。
営利目的の誘拐など、よからぬことを企む者たちから生徒を守るため、キャンプ場となる山林は学園所有のもの。しかも、クラスごとに日をずらして行うため、教師一人に対する生徒の数も少なく、もちろん、夜間の警備体制も万全だという。
「丁度、気候もいいですし、きっと良い骨休めになりますよ。座学で詰めこむばかりが、子供の教育ではありませんから」
「それなら安心です」
そこまで説明され、ようやくヨルも安堵したようだ。今、お茶菓子を持ってきますね、と笑顔でキッチンへ向かった。
「とはいえ——」
ロイドの視線が再びしおりに注がれ、それからアーニャに注がれる。
「飯盒炊爨や天体観測といった自然教室ならではのイベントはあるみたいだし、先生の言うことをよく聞いて、友達と仲良くやるんだぞ? ケンカはなしだ」
「了解」
アーニャがびしっと敬礼の姿勢をとると、ロイドは「よし」と肯いてみせた。
「大自然の中で共に汗を流すことで、普段はケンカばかりだった級友と急速に打ち解けたりするのも、キャンプの醍醐味だからな」
「うぃー」
「くれぐれも友達と仲良くやるんだぞ」
(ちち おなじこと にどいってる)
あくまでやさしい父親然としたロイドの笑顔の裏に、スパイとしての思惑がありありと透けて見える。
西国情報局対東課〈WISE〉に所属するロイドの任務は、通称オペレーション〈梟(ストリクス)〉、東西の平和を脅かす危険人物——ドノバン・デズモンド国家統一党総裁の動向を監視することだ。用心深く滅多に人前に姿を見せないデズモンドと確実に接触するには、彼の子息たちが通うイーデン校の懇親会に、特待生の親として参加する必要がある。
それゆえ、孤児院にいたアーニャを養子にし、イーデン校に入学させたのだが、アーニャの成績はお世辞にも優秀とは言いがたい。
用意周到なロイドは、アーニャを特待生にする〝プランA〟——いわゆる正規ルート——が難渋した場合に備え、アーニャとデズモンドの次男ダミアンを仲良くさせ、家族ぐるみで親しくなる〝プランB〟も準備していたのだが、入学初日にアーニャがダミアンを殴って以来、こちらはこちらで難航している。

『これを機に、少しでもアーニャがダミアンと仲良くなってくれれば……』

ロイドの心の声と共に流れこんできたイメージ——共にキラキラとした笑顔で仲良くキャンプを楽しむダミアンと自分の姿——に思わず無表情になるも、
「ちち まかせろ」
「ん?」
「アーニャ なかよしがんばる」
そう宣言すると、ロイドの顔がパッと晴れやかになった。
「ああ! いい子で、がんばるんだぞ」

『東西の平和はおまえにかかっているんだぞ』

「うぃ」
大好きなロイドに頼りにされ、俄然やる気になったアーニャは、ココアを飲み、ヨルが持ってきてくれたクッキーを食べながら『きゃんぷでなかよしだいさくせん』を考え出した。

アーニャ きゃんぷのべんきょーする

じなん アーニャを そんけいする

『すげえ、アーニャさんはきゃんぷのたつじんだな。おれとともだちになって、こんど、ぜひおやとうちにあそびにきてくれ。みんなでいっしょにきゃんぷをしよう』

ちちとじなんのいえにいく

じなんのちちにあう

『わがやへようこそ、ほーじゃーさん』
『はじめまして、でずもんどさん。せんそうはやめましょう』

せかいへいわ

(かんぺきだ アーニャ じぶんのさいのうがこわい)
フッと笑ったアーニャが、己の緻密な計画に酔いしれながらココアを飲んでいると、一家の飼い犬であるボンドがやってきた。
もふもふの体をくっつけ、アーニャの持っているココアの匂いを嗅ぐと、
「ボフフ」
と吠えた。ふわふわとした長い毛がくすぐったい。
「オイ、ココアは飲むなよ、ボンド。ココアに含まれる成分は犬のおまえには毒なんだからな」
ロイドが食いしん坊な飼い犬を窘め、「今、ミルクを入れてやるから」と腰を上げると、ヨルが慌てて立ち上がった。
「あ、ロイドさん。でしたら、私が……」
「いえ、それぐらいボクがやります。ヨルさんは座ってゆっくりしててください」
「いえ、ロイドさんこそ休んでください。いつもお忙しいんですから」
妻を気遣う夫と夫を気遣う妻(ただし偽装)が、互いに遠慮しあいながらキッチンへ向かう。
その後ろに、ボンドがのそのそと続く。

『ちち』、『はは』、そしてボンド——。

ここは組織を逃げ出し、孤児院や里親の元を転々としたアーニャが、やっと手に入れた大切な居場所だった。
世界が平和になれば、ロイドもヨルもボンドも安心して暮らせる。
ずっとここで一緒にいられる。

(アーニャ がんばる!)

ボンドに仲良くミルクをやっている両親の姿に、アーニャは胸の前で小さな両手をぐっと握りしめた。

「諸君、本日から二日間の自然教室、イーデン校の生徒としてあくまでエレガントにのぞむように」
「はーい!」

1年3組の担任ヘンリー・ヘンダーソンの話を、ジャージ姿のクラスメイトたちは表向きこそ礼儀正しく聞いていたが、その心は目の前に広がる大自然に奪われていた。

『うわぁ、お花のいい匂い』
『あ、今、リスがいた∈』
『風が気持ちいい〜』
『あれ、なんの実だろう?』
『鳥の鳴き声が聞こえる』

アーニャの頭に、クラスメイトたちのうれしそうな心の声がひっきりなしに届く。
アーニャ自身も青々と生い茂る草木や、都会では見られないような青く澄んだ空、見たこともない鳥や虫たちにくぎづけだった。
白く大きなテントの中は、ちちが言っていたように豪華だ。ふわふわのベッドやゆらゆら揺れるハンモックまである。
(わくわく)
初めてのキャンプに夢中になればなるほど、その頭の中から『きゃんぷでなかよしだいさくせん』が消えていく。
続いてテントの部屋割り、班分けが発表され、食材や調理道具などが配られた。3組は総勢二十九人。テントは一つを二人ないし三人で使用。それらのテントを二つずつ組み合わせたもので一班とされるため、四人の班が六つ、五人の班が一つという内訳である。
「いっしょのテントになれてよかったね。アーニャちゃん」
仲良しのベッキー・ブラックベルがうれしそうに声をかけてきた頃には、ほとんど作戦を忘れ去っていた。
「あたし、テントで食べるように超人気店のチョコレートもってきたのよ。包装が超こってて、かわいいんだから」
「アーニャも ぴーなつ もってきた」
「ウフフ。夜はおやつ食べながら、コイバナね」
「コイバナ?」
聞きなれない言葉にアーニャがきょとんとしていると、ベッキーが片手で口を押さえ、にまにまと笑った。
そして、男子生徒の方を意味ありげに見やると、
「コイバナと言えば、アーニャちゃんやったじゃない。アイツと同じ班なんて、愛の力はイダイね」「?」
キャーッと盛り上がる友の視線の先には、ロイドの標的の息子が取り巻き二人に囲まれ、立っていた。
癖の強い黒髪。子供ながらに気だるげな表情。
ダミアン・デズモンドである。
「なんだよ。こっち見んなよ。ブース」
アーニャの視線に気づいたダミアンが、こちらを睨んできた。
「また、おまえと同じ班かよ。ちんちくりん」
「まったく、なんの呪いなんですかね。ダミアンさま。ちんちくりんの呪い?」
「あんなバカといっしょとか、ついてないですよね。ホント」
(あいかわらず じなんくそやろう てしたもくそやろう)
カチンときたが、おかげですっかり失念していたミッションの存在を思い出す。
(でも さくせんのためがまんする アーニャってば おねいさん)
アーニャは怒りを抑えると、ダミアンの顔を正面からじっと見つめた。
「な、なんだよ」
ダミアンがたじろぐ。
「なんか、文句あんのか。てめー。このド庶民が」
「アーニャ おまえといっしょのはんになるってしってた」
「は?」
「! アーニャちゃん、それって……」
アーニャの言葉にダミアンは訝しげに眉を寄せ、ベッキーは震える両手で自分の口を覆った。その大きな目はいつも以上にキラキラと輝いている。
「それって、二人の運命を信じてたってこと? 絶対、いっしょの班になれるって? いやーん、アーニャちゃんってば、ロマンチック!」
「ろまんちっく?」
「『バーリント・ラブ』みたい。あたし、キュンとしちゃった!」
「キュン?」
本当は、教員室に忍びこんだロイドが班分けに細工したためなのだが、もちろんそれは言えない。
だが、ベッキーの言っていることもわけがわからなかった。唯一わかるのは、『バーリント・ラブ』が、友の夢中になっているドラマだということぐらいだ。
そんなアーニャを置き去りに、ベッキーが一人で盛り上がる。
「ダミアンにもきっとアーニャちゃんのケナゲな想いは、伝わってるわよ」
「は!?」
その途端、ダミアンが茹でダコのように真っ赤になった。
「なななな何言ってんだ∋ こっちはおまえなんかといっしょの班にされて迷惑だ∋ この短足∈ ドブス∋ キモキモストーカー∋ バーカバーカバァーカ∋」
(…………やっぱり こいつなぐりたい)
さすがに我慢の限界に達したアーニャが、誰からも見えないように拳を握りしめていると、
「ノットエレガント」
「∋」
音もなく背後に立っていたヘンダーソンが静かにささやいた。
決して声を荒らげているわけではないのに、その場にいた全員が思わず直立不動の体勢をとるほど、威厳に満ちた声だった。
「デズモンド。相手に対するその侮辱的な発言は紳士的な行いかね」
「くっ……」
ヘンダーソンに一瞥され、ダミアンが悔しそうにうめく。

『くそ……また、こいつのせいで叱られた……このちんちくりんにかかわるとホント、ろくなことがねー……くそくそっ……こいつは疫病神だ』

(! アーニャ やくびょうがみ!?)

ダミアンの心を読んだアーニャがショックを受ける。
しゅんとなるアーニャと納得していない様子のダミアンに、ヘンダーソンが真っ白な髭の下でふうっとため息を吐く。

『きゃんぷでなかよしだいさくせん』は、早くも暗礁に乗り上げていた。


読んでいただきありがとうございました。

続きは本編でお楽しみください。

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