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全文公開 『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に』第3回

友達なんていらない。彼氏も彼女もいらない。ぼくたちは居場所がほしい。
ゾンビがいたってかまわない。
どこか居場所を求めてゾンビのように彷徨う若者たちの、ポップでせつない青春小説。

第4回ジャンプホラー小説大賞、初の金賞受賞作『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に』全文公開第3回。

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それではお楽しみください。

マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に 第3回


 担当医師との約束を守り、僕は律儀に〈ゾンビの会〉へ参加していた。
 正直、いいものではなかったね。嗅覚が麻痺するし、自分を肯定するだけの会の指針は傷口を舐め合っているようにしか見えないしで、最高に惨めな気分になったからさ。
 ただ、大学を休んでも罪悪感がない。母さんも認めてくれたしね。
 夜更けまでチェーホフの短編集を消化し、昼過ぎまでぐっすり睡眠を取った僕は、いつものように〈ゾンビの会〉が始まるまで美也(みや)ちゃんの病室で時間を潰していた。
「香水はジフ&ジャネットよりクールルノワールがオススメです。べたつきませんし、香りが長続きしますから。そして強すぎない」
「OK。クールルノワールね」
 美也ちゃんのアドバイスに従いスマホをタップし、僕は目玉を飛び出させた。
「高っ!! ジフ&ジャネットの二倍もするじゃん!!」
「安心してください。領収書を取っておけば、補助金で返ってきますから」
 ああ。母子家庭の比較的裕福ではない僕がこうして病院に通えているのも、国民のみなさんが収めた血税のおかげなんだよね。
「あと、手錠とスタンガンも持っておいたほうがいいですよ」
 そんなものなにに使うんだよと思ったけどさ、美也ちゃんは「あ、これ、私がやったほうが早いかも」と僕からスマホを取り上げ、次から次に商品をカートに入れていった。
「これで必要最低限は揃いました」
「ありがとう、美也ちゃん。助かる」
 スマホを返してもらい、母さんのクレジットカードで決済する。安心してくれ母さん、補助金下りるみたいだからさ、と心に言い聞かせてね。
 顔を上げると、儚い眼差しを浮かべる美也ちゃんと目が合った。
「……僕に見惚れるとか、相当経験値低いぞ」
「え、あ、そんなんじゃありません。……あ、いえ、藤堂(とうどう)さんはカッコイイと思います」
 僕が真顔で受けて立つと、美也ちゃんは「ふふっ」と無邪気に微笑んだ。
「藤堂さんが羨ましいです。私も大学に通いたかった」
 たぶん、先輩はこう思っていると思う。ああ、この美也ちゃんは、遂に自分の死を受け入れるようになったのか、と。ひょっとしたら目を潤ませているかもしれない。
 安心してほしい。自分の身体が腐っていくことにくじけるほど、美也ちゃんは弱い人間ではない。外見からは想像できないけど、意外と芯が強いところがあるんだ。
 実は、美也ちゃん、友達がお見舞いに来てくれなくて寂しかったそうなんだ。
 べつに友達がいないわけじゃない。高校受験で忙しいだろうからって、美也ちゃんのほうから、もうお見舞いに来なくていいよと言ったらしい。
 そんな彼女に、ダンス大会に参加することになったなんて僕が言ったものだから、友達という存在を思い出してしまったわけ。
「大学生はなんでも自由にできるじゃないですか。遠距離ドライブとか、海外旅行とか」
「それは洋画の見すぎだな。大学で友達は作れないよ。そうするには歳を取りすぎてる」
「でも、藤堂さんの周りには素敵なご友人がたくさんいるじゃないですか。廃病院にゾンビを探しに行ったり。今度、皆でダンス大会も出るんですよね? 羨ましいです」
「あいつらは友達でもなんでもないよ」
「ずんちゃんを待ち受けにしているのに?」
 美也ちゃんは僕のスマホの壁紙を覗いていた。そこに映っているのは、高校の時の友人数人と僕、そして緑色のずんちゃんの着ぐるみ──高校最後の年、卒業旅行としてバスケ部の皆と仙台に行った時のものだ。可哀想に、バスケ部のこいつらは、白石(しらいし)、水口(みずくち)、そして先輩と間違えられているみたい。
 あっ、ずんちゃんっていうのは、ずんだ餅から生まれたゆるキャラね。一応、頭の片隅に置いといてほしいな。また後で出てくるから。
「これは高校の時の友達」
 僕はラインの友達欄を美也ちゃんに見せてあげた。最近のメッセージは全て高校や中学の友達からのものだ。僕のゾンビ化は話の種になるからね。公式アカウントのニュース速報もうるさいし、IRZからのニュースも多いし、白石、水口、エナさんのトーク部屋はずっと下にスクロールしなければ現れない。
「その水口ってやついるだろ。こいつ、去年までラグビー部に所属してたんだ。スポ薦で入った期待の新人。背番号は不動の〈3〉。でも、大腿骨をボキッとやっちゃってさ……。大学でなによりも大切なのは、自分の居場所。高校みたいにクラスってないからさ、それを自分で見つけないといけない。ラグビー部を辞めた水口は、それを失って、文芸部の部室に寄生することになった。白石もエナさんも同じだよ。皆が僕と一緒にいるのはさ、僕を友達だと思っているんじゃなくて、それ以外に居場所がないからってだけなんだ」
「……小学校の掃除当番的な?」
「ゼミに入ったら、白石も水口も部室に顔を出さないよ」
 僕は返してもらったスマホをポケットにしまい、
「最初は僕も、大学では生涯の友人に出会えると信じていた。現実なんてこんなもんだ」
 美也ちゃんは難しそうな顔で眉を八の字にしながらうんうんと頷いた。そしておしるこを一口すすると、決心するように言う。
「三日後、退院することになりました」
「やったじゃん。友達を誘いやすい」
「はい。もう、約束もしてます。皆でBBQするんですよ、BBQ」
「荒川? 多摩川?」
「残念ながら、庭です」
 格差社会が身に染みた瞬間だったね。
 美也ちゃんはベッド脇の棚をごそごそと漁り、取り出した鍵を手渡してきた。
「私の家の鍵です」
 BBQに呼ばれるのか、なんて期待していなかったと言えば、嘘になる。
「本当は一之瀬(いちのせ)さんに渡していたんですけど、返されちゃったんです」
「一之瀬さん?」
「藤堂さんの前に約束していた方です」
 ああ、忘れていないよ。美也ちゃんと交わした血の契約はね。
 じゃあ、この子が一之瀬さんを殺したのか……先輩はそう思っているよね。僕もまさかとは思ったけどさ、そんなこと訊けるわけないじゃん。
 僕は「OK、任せて」と言って、鍵をポケットにしまった。……うん、美也ちゃんに安心してもらいたかっただけ。
 その日の〈ゾンビの会〉では、美也ちゃんの退院祝いが行われていた。
 どこからか運び込まれたピアノが、ミントの匂いに満ちた空間で、明るく楽しいメロディを奏でている。
 鍵盤に指を走らせ、音符をぴょんぴょん跳びはねさせてるのは、他でもない美也ちゃん。
 美也ちゃんの両脇には、美也ちゃんのご両親が寄り添っていた。美也ちゃんはもう脚ないからさ、美也パパと美也ママが協力してピアノのペダルを踏む必要があったんだ。
 曲が終わると、ゾンビ患者たちの拍手喝采。
 嬉しそうにはにかむ美也ちゃんは、美也パパに頭を撫でられ、美也ママに背中をさすられても、ちっとも恥ずかしそうじゃなかった。逆にそれを誇らしげにしながら、美也ちゃんは参加者たちの顔を一人ずつ見ていった。
 振り向いた美也ちゃんと目が合う。
 美也ちゃんは得意げな顔で、顎をついっと上げた。
 僕も思いっきり拍手してあげたよ。せっかくの美也ちゃんの舞台を台無しにしたくはなかったからね。
 でもさ、美也ちゃんの両親に見覚えがあったんだ。ほら、僕が初めてこの病院にやって来た時、言い争っていたお見舞い客の夫婦っていたじゃん? あの二人、美也パパと美也ママだったんだ。
 美也ちゃんを左右から支える星宮(ほしみや)夫妻に、僕は母さんの姿を重ねていた。

 小便器に当たったおしっこが、先輩のブーツに跳びはねる。
「山手線の駅、一つずつ言ってみ? 外回りでも内回りでもいいからさ」隣で用を足す先輩は、僕を見て目を細めた。「……つーか、おまえ、なんでそんなに脚広げてんの? キモくね?」
 先輩は頭を抱えていると思う。リスペクトを欠いていたってさ。
 そうだよ。あの夜は美也ちゃんの退院祝いの後だったんだ。僕がミント臭かったのもそのせいだし、脚を広げて用を足していたのも、スニーカーを汚したくないからじゃなくて、美也ちゃんの失ったものについて敬意を払っていたからだ。
 門前仲町駅で待ち合わせた僕らは、先輩のスケボーに乗って運河沿いの遊歩道を滑っていたよね。夜風に身体を冷やしながら、コンビニで水分補給をし、公衆便所を見つけては用を足していった。
 そしてこの公衆便所──豊洲ぐるり公園のトイレへとやって来た。
「先輩がおしっこしてない駅って、あと田町くらいじゃないですか。……あ、御徒町」
「俺の山手線計画のラストは東京だよ。最後まで残しておいたんだ」
 そういえばそんなことも言っていたなと思う僕に、先輩は殊勝に笑ってみせたよね。
「これで山手線に囲まれた世界は俺のもん。国会とか皇居とか、日本回してる建物は大体そん中にあるだろ? 全部、俺のもん──週末合コン。年齢不問。現れた女年増のバツ四。再婚、狙う五十四、に悔恨。捗るぜ、またまたサイドメニュー注文」
 先輩はよく言ってたよね。「フリースタイルってのはさ、そいつの真実が含まれているんだ」ってさ。「俺、プロットなんて作らねえよ? 計画的な小説に真実はねえだろ」なんて。
「でも、流しちゃってるんですよね?」
「犬の散歩してる飼い主がどうしてペットボトル持ってるか知ってるか? おしっこ流さないのって、猫くらいだぞ」
 用を足した先輩はスマホを取り出し、マップアプリを起動して豊洲ぐるり公園のトイレに新たな印をつけた。地図上に乱立するマーキングスポットに、先輩はにやりと笑った。
「山手線の駅だけ色変えようかな。……ん? なんだよ?」
「いえ、べつに……」
「ビックリさせんなよ。おまえ、ゾンビなんだからさ、意識はしっかり持っていてくれよな。ボーッと見つめられると、マジでこえーよ……」
 先輩は失った水分を補うように500竓の緑茶を飲み干した。
「よしっ、次行くか」
「もう出ませんよ」
「出すんだよ」先輩は僕のペットボトルを顎で示し、「それ、さっさと飲み干せよ」
 トイレから出た僕らは階段を下り、再びスケボーに乗って泥臭い潮風に背中を押されながら遊歩道を滑っていった。
 目的地なんて決めていない先輩についていきながら、僕は夜空を見上げて思ったよ。
 結局、ダンス大会に先輩を誘わなかったなって。

 エナさんから召集がかかり、僕、白石、水口は噴水のある公園に集合した。
 動画サイト上のアイドルグループのダンスPVを頼りに、僕らはスマホで音楽を流しながら〈はなわ祭り〉に向けてダンスの練習をした。
 死にたくなったね。言いだしっぺの水口とエナさんはさ、そりゃ真剣にやってたよ。でも僕は白石と、これどーすんのよってしきりに顔を合わせていた。
 ただ、意外と行き交う人たちは僕らを見ていなかった。僕ら以外にも、結構、ダンスに励むグループがそこかしこにいたんだ。僕らもそういった風景の一部として、自然に思われていたみたい。わざわざ大学から離れたこの公園をエナさんが選んだのも、そこに理由があったのかもね。
 そしたらさ、ホントに不思議なんだけど、羞恥心がすぅっと身体から離れていったんだ。
 まあ、ダンスの技術は向上しなかったけどね。
「なってないなってないなってない!!」
 エナさんは音楽を止め、僕、白石、水口を順に指さしていく。
「泥酔者!! 木偶!! エクササイズ!!」
 的確に表現してみせてから、エナさんは腰に手を当て「ふふっ」と笑む。
「まずはリズムを掴まなきゃ」

 初めて足を踏み入れたクラブは思った以上に心地良かった。なんか夜の遊園地みたいでさ、自然と足取りが軽くなっていった。
 エナさんを先頭に、僕らはダンスフロアへと入っていった。
「パーティータイムね!!」
 身体が震えるほどの爆音。せわしなく行き交うレーザービーム。視覚をぶつ切っていくフラッシュ。視界を遮断するスモーク。汗と香水が混ざり合った匂い。
 もちろん、未成年の僕らはオールナイト公演に入場できない。これは来日した有名DJが主役のデイイベント。
 まあ、雰囲気は映画でよく目にするものだ。密集する人、人、人。海外DJの番が回ってくるとさ、もう足の踏み場もないくらいに揉みくしゃにされた。マジであれ、セクハラし放題だね。卑猥な気持ちは808キックに吹っ飛ばされたけど。
 そしてわかった。リア充も文学男子も読者モデルも汗臭男もさ、ダンスフロアに混じってしまえば、皆同じようなものだって。あと、メンヘラも。
 一通りダンスフロアが落ち着くと、喉が渇いたと言うエナさんと一緒に、僕はドリンクを買いに行った。メインフロアに戻ってきた僕らは、二階の柵に寄りかかりながら、ダンスフロアで騒いでいる白石と水口を見下ろした。
 皆には必死に隠していたけどさ、カクテルを飲むエナさんの隣で、僕は軽く眩暈を起こしていた。急に襲いかかってきた倦怠感に吐き気がこみ上げ、手にしたオレンジジュースをカッコよく揺らしているのが精いっぱいだった。
 だからエナさんの言葉が聞き取れなかった。いや、ぶっちゃけ聞いていなかった。いきなり恋愛談義始まっちゃって、僕もさすがに混乱しちゃったんだ。爆音で聞こえなかったフリをして聞き直すと、彼女はぐっと顔を寄せてきた。恥ずかしながら、鮮やかなライトが照らし出すエナさんのきめ細かな頬にはドキッとしてしまったね。
「たしかにメンヘラかもしれないけど、誰とでもやるわけじゃない。する相手とはちゃんと付き合ってるし。順序が逆の場合もあるけど、そんなの些末でしょ? 考えるだけ野暮野暮」
「……でも、さっき、三人でって」
「なに?」
 耳を寄せてくるエナさんは、どうやらお酒に弱いらしい。顔を近づけるのは負けた気がしたからさ、僕は代わりに声を張った。
「さっき、三人でって」
「あっそう。べつに結婚するわけじゃないんだし、付き合うのにお互いの意志表明は必要ないでしょ? 期間だってそうじゃん。三か月とか半年の時もあれば、カップラーメンが出来上がるまでだったことだってある。言ってること、わかる?」
 やたらとプライドが高いことだけはわかったね。
 僕はずっと訊こう訊こうと思っていた質問を投げかけた。
「どうして、ダンス大会に?」
「暇だったから」
 エナさんはダンスフロアで跳ねる白石と水口を見下ろした。
「あの二人も同じでしょ?」
 ちょうど、スネアロールとライザー音が収束し、DJの背後の画面に〈マーチング・ウィズ・ゾンビーズ〉の映像が映った。
 あの髭を蓄えた太った知識人が、ダンスフロアの皆に向かって言うんだ。
 ──現代人は、なにかを求めて彷徨い続けている。
 ──我々はみな、生まれながらにしてゾンビであると言えるだろう。
 そしてビッグルーム系の四つ打ちドロップが始まり、ダンスフロアが歓声に包まれる。
 一番目立つ大画面で、ファンシーなゾンビと人間のアニメキャラが手を取り合って踊っている。
 この海外DJがプロデュースした〈ダンシング・ウィズ・ゾンビーズ〉という曲は、ダンスチャートの三位にランクインしている。
 帰宅後すぐ、僕は〈ダンシング・ウィズ・ゾンビーズ〉をダウンロードしたよね。
 先輩も後で聴いてみてよ。このクラブ体験を機に、EDMにはまった藤堂カケルがオススメしとく。

「その倦怠感は薬の副作用ではないな。ほら、この黒い部分。君の肺は腐り始めている」
 X線画像を指さしながら、白衣の担当医は言った。
 診察室で隣り合って座る僕と母さんはこくりと頷いた。
「翔くんの変異型白血球は、内臓から貪っていくみたいだね。言葉は悪いが、不幸中の幸いとも言える。足や腕を切り落とさずに済むかもしれないよ」
 空気を和ませようと言った担当医だったけど、母さんは真剣な顔つきで、これ以上ないってくらいに深刻そうに身を乗り出した。
「治るんですか?」
 その質問は酷だよね。担当医のなんとも言い難い表情には、さすがの僕も同情したよ。
 さて、ここまで読んでくれた先輩は、おそらく、あの廃病院のゾンビの身元をネットで調べていると思う。ほら、美也ちゃんが言っていた、一之瀬一乃(いちのせいちの)さんっていたじゃん? その一之瀬さんが、あのゾンビではないか。そう思ってるんじゃないかな。
 残念ながら、僕は事実を淡々と書き記しているだけだからね。ミステリーと深読みさせて、先輩の灰色の脳細胞を酷使させていたのなら謝るよ。
 結論から言うと、廃病院のゾンビは河合愛(かわいあい)っていう二十八歳の女性だ。彼女は友人とのベトナム旅行の際、TLCウイルスを宿した蚊に刺されてゾンビ化した。
 そもそも、僕を含め、ここに通っているゾンビたちは皆、抗体を注入しているわけじゃん? ゾンビ化とは関係ないのに体内のTLCウイルスを駆逐されているのは、二次感染を防ぐためなんだ。もし、あの廃病院にいたのが一之瀬さんだったら、僕もゾンビにならなくて済んだわけだね。
 でも、一之瀬さんについては〈ゾンビの会〉の参加者やAさんも口を揃えてこう言う。
 ──知らない。
 ……焦らしたところでしょうがないか。実際、僕はこの時、担当医に訊いてみたしね。
「一之瀬一乃さんって誰ですか?」
 母さんの質問に追い詰められていた担当医は、ほっと胸をなで下ろした。
「一之瀬さんはこの病院にいた患者だよ。今はいないけど」
「……誰かに殺されたとか?」
「そんな感じかな」
 担当医はそう言ってから、母さんの視線に気付き、慌てて手を振った。
「その可能性も否めないってだけ。彼女は消えてしまったんだ。自宅療養の際に、外へ出たきり戻ってこない」
「行方不明ってことですか?」
 担当医は深く頷いてから、
「最後に見た時は、すでに大脳皮質が腐り始めていたからね。もう、彼女は自分が誰なのかわからないはずだ。でも遺体は発見されていない。ゾンビ狩りにあったのか、あるいはどこかで今もまだ腐り続けているのか……」
 ちょっとほっとしたけどさ、同時に脳の隅っこにどんよりした陰が下りたよね。
 だって、ゾンビの死因の九十八パーセントが自殺で、残る二パーセントが他殺なわけでしょ? でもさ、それは確認されているものだけで、一之瀬さんのように未確認の最期を遂げるゾンビも、世界には数えきれないほどいるはずだ。自殺でも他殺でもない未知の死が、ひょっとしたら僕の運命の先に待っているかもしれない。
 そして、それは死ではない、なにかもっと他のものなのかもしれない。
 これが「知らない」の正体みたい。ゾンビ患者にとって一ノ瀬さんとは、あまり触れたくない存在なのだ。
 担当医は僕に向かい合うと、視線を捉えて離さずに言う。
「約束、守ってくれてるかい?」
「とりあえずは。〈ゾンビの会〉には参加してますし、安楽死も忘れていません」
「よかった。君には最後まで、〈ヒト〉でいてほしいから」
 診察室を出ると、母さんは僕を抱きしめ「ごめんね、翔」と言ってきた。たぶん、母さんと病院に来たからには、この儀式めいたひとときからは逃れられないんだろうな。
 先輩もわかってると思うけどさ、安楽死は当人の意思がなければ認められないんだ。

 これでやっと、〈はなわ祭り〉の前日までやって来たわけだ。忘れもしない、あの夜へ突入していく……。
 わかってる。先輩はどうでもいいと思っているんでしょ? 白石も水口も、そしてエナさんだって、その夜のことは気にしていないと言うだろうね。
 ただ、僕にとっては重要な夜だったんだ。

 四限目を終えた僕は、白石と水口の二人と共に部室棟へ歩いていた。
 僕らの頭にあったのは、昼休み、エナさんから届いたメッセージのことだった。
「髪は?」
 いつもより引き締まった口元で、水口はダンディに言ってきた。
「いつかは抜けるらしい。毛根が腐っていくからさ」
「臭いは?」
 白石も動揺を隠しきることはできないようで、その声は少し上ずっていた。
「クールルノワールの香水を買ったよ。ジフ&ジャネットのは安いけどさ、べたつくし匂いも長続きしないんだ。やっぱり、香水はクールルノワールがオススメ」
 二人とも、エナさんのメールにそれぞれ別の意味でソワソワしているみたいだった。
 え、僕? まあ、ソワソワしていたけどさ、それはエナさんではなく先輩からのメールのせいだった。
 ──君は真実を見ているかい?
 この先輩のメール、新作の小説を持ってきたってことでしょ?
 ああ。僕は部室棟へ歩きながら、いかに白石と水口の二人をそれとなく帰らせるかということばかり考えていた。これは先輩のプライドに関わる問題だ。
 ただ、もうすでに部室棟が見えているわけで……。
 僕が足を止めると、白石と水口も待っていましたとばかりに立ち止まった。
 水口はこほんと咳をし、ソフトなモヒカンに刈り上げた頭をさする。
「そういや、エナさんが前夜祭やるって言ってたけど、おまえらどうすんの?」
「行かなきゃ怖いだろ」白石は整髪剤でセットした髪の先を指で弄る。「なにするかわかんねーよ」
 水口は「ふむ」とアホらしく鼻を鳴らした。
「んじゃ、一旦、帰宅だな。俺、シャワー浴びときてーし。おまえらも、ちゃんと身体は清めてきたほうがいいぞ」
 男はエッチなことを考えると知能がチンパンジー並になるらしい。クールな表情で手を振ってみせる水口は、まさに教科書通りの反応で去っていった。
 僕と目を合わせた白石は、群れからはぐれたガゼルみたいに緊張していた。
「防犯グッズ買いに行こうぜ。酒に酔ったメンヘラとかなにするかわかんねーよ、マジで」
「悪い。もう、スタンガン持ってるわ」
 一瞬の間の後、白石は頬を膨らませた。
「……ああ、今日は文芸部の会合か」
 先輩は顔を赤らめていると思うから、断っておく。僕は白石に教えてない。たまに部室棟から遠ざけていたことで、白石は色々と悟っていたみたい。
「わかった、俺は一人で催涙スプレーでも買いに行くよ。スタンガン、絶対に忘れるなよな。自殺されたら、俺らの人生も終わるんだから。保護責任って言葉を忘れるなよ」
 去っていく白石に僕は手を振り、部室棟へと入っていった。
 階段を上がって二階。文芸部が不法占拠する部室のドアを開ける。
 窓際で本を開いている先輩。パイプ椅子に腰かけスマホを弄っているエナさん。
 圧倒的な静寂。鼓動の音すら騒音に聞こえる静謐。
「……あっ、トイレ行くの忘れてました」
「俺も」
 席を立つ先輩と一緒に、僕らは一階にある男子トイレへと入っていったよね。鍵をかけた個室で額を寄せ合いながら、僕は先輩の原稿を、先輩はトーマス・ウルフの『汝再び故郷に帰れず』を読んでいたっけ。
「どう?」
「静謐な文体に重厚なストーリー。ペダンチックな薀蓄が紡ぐ……いちいち印刷しないで、データをやり取りしたらどうですか? ネットで共有するとか」
「質量のないものに真実はない。海を知る老人の手は、総じてたくましいものだろ」
「触れられないからこそ、尊いものだとは思いません?」
 先輩はバカにするように鼻で笑い、再び本へ視線を落とした。
「おまえ、明日どうすんの?」
「一応、出ますよ。エナさんが出たいって言ってたし、水口は参加届出しちゃったし、白石も出るって言ってますからね。僕だけ出ないとか、そんなのはあり得ない」
「でも、おまえ、やりたくないんだろ?」
 さすがは先輩。真実が見えていらっしゃる。
「これからエナさんちで前夜祭あるので、残りはまた今度読んでおきますね」僕は先輩の原稿をリュックにしまった。「先輩も来ますか?」
「俺はいいや」
「伝えときます。それじゃ」
 僕は逃げるようにして、男子トイレを後にした。

 部室に待っていたエナさんと一緒に、僕は彼女の家へと向かった。
 エナさんのアパートは、練馬駅近く、千川通りとは反対側の住宅街にある。
 スーパーでお酒とお菓子を買った僕らは、エナさんの部屋で駄弁りながら、先に二人だけで前夜祭を始めていた。いい匂いがするクッションに僕は腰を沈めていて、エナさんはベッドに横になってた。……悪いけど、先輩が期待するような場面はないかな。ステージ2に移行していた僕に、性欲はとっくになくなっていた。
「水口はワンチャンあるんじゃないかって期待してますよ。白石は、エナさんに殺されるんじゃないかって警戒してる。あるいは自殺して、僕らの保護責任が問われるのではないかって」
 エナさんはポテトチップスを口に運ぶ手を止め、目を細めて僕を見た。
「藤堂って絶対付き合ったことないよね。生物学的に不能のまま死んでいいの?」
「淘汰ですよ。自身のDNAを後世に残せない人間は僕だけじゃない。こうやって人類は今も進化しているんです」
「子供は産んであげられないけど?」
 いとも簡単にそんなことを言ってくるエナさんに、僕は思わず目を見張ったね。しかも冗談じゃなくてさ、結構、本気で言っているみたいだった。
 僕は一瞬だけ迷った。性欲はなくても、エナさんはフツーに可愛いからね。
「……どうして死にたいんですか?」
「こんなところで生きたいって思えるほうが不思議じゃん」
 なるほど。この狭いワンルームは最悪だ。カーペットには髪の毛や埃が押しつけられていて、隅っこにはコードをぐるぐる巻きにしたヘアアイロンが転がっている。開けっ放しのクローゼットからは無数の衣服がだらりと顔を出し、自重を支えられなかったものは床に積もっている。
「私の抱える絶望に比べれば、ニーチェの覗き込んだ深淵なんてくるぶしくらいしかないから。私もゾンビに会いに行こっかなー」
 衝動的にさ、全部片づけちゃおうかなって思った。ちょうど、吸引力が自慢の掃除機が廊下にあったからね。だって、エナさんって、結局、楽したいだけの面倒くさがり屋でしょ? 片づけが億劫だからと自虐に逃げる彼女がさ、僕には妬ましくもあり、そして羨ましくもあったんだ。
 でも、インターホンが鳴って、やって来た白石と水口の顔を見たらさ、そんなことはすぐに忘れてしまった。
 リア充っぽく犯罪自慢──未成年だけど、僕も白石も、そして水口もお酒を飲んだ。
 気がつくと、僕らは全員、床に転がっていた。空き缶や空き瓶、ポテトチップスの空包装の中で、ぐったりと力尽きていた。
 水口がぬっと天井へ手を上げる。そこに握られていたのは、おそらく未開封のコンドーム。
「先輩、俺はデキる男です」
「やめろよ、気持ち悪い」
 白石は水口を殴ったつもりだったんだろうけど、その拳は僕の後頭部に当たった。
 痛かったよ。痛かったけどさ、僕は必死に寝たフリに徹していたんだ。というか、気絶を通り越し、死んだフリに突入していた。そうしなければならなかった。
 最初に気付いたのは、エナさんだった。
「……なんか臭くない?」
「くせーってよ、水口」と、白石。
「俺じゃねーよ。……うわっ、臭っ!!」
 水口は跳ね起き、そして気付いた。
「お、おい、藤堂が漏らしてるぞ!!」
 他人んちでう○こを漏らした時の対処法って、義務教育で教えるべきだと思う。
 ドン引きする水口、絶句する白石、そして叫び声を上げるエナさんを前にして、僕はとにかく目を瞑ってやり過ごそうとした。三人が救急車を呼んでくれるまでの我慢だってさ。
 でも、一向に呼んでくれないんだ。
 三人はまず、お酒の痕跡を消すため部屋の片づけを始めた。僕の命よりも未成年の飲酒という違法行為を隠すことが大切だったんだ。そして僕のリュックを勝手に漁り、クールルノワールの香水を取り出して部屋中に撒いた。続けて、僕が死んでいるかどうかという会議を開き始めた。もし死んでいる場合、自分たちに保護責任は問われるのかどうかとね。
 僕がストレッチャーに乗せられ救急車へと運ばれたのは、それから一時間半後。
 動き始める救急車の中、救急隊員の人が「もう大丈夫だよ」と肩を叩いてくれた時、僕は思わず涙を流してしまったね。

 こうして、僕はしばらく入院することになった。
 ……ああ、白状する。僕の容態は安定していた。ベッドで横になっている日々がこんなにも苦痛なのかと思えるくらい、元気だった。担当医も、自宅療養してもいいよって言っていた。でも、僕はここから一歩も外に出ないと腹を決めていた。
 理由は一つ。
 もちろん、白石、水口、エナさんに恥ずかしくて顔向けできないってことじゃない。道化師を演じて〈う○こマン〉として生きていく術くらい、中・高で培っていたからね。
 僕はただ、時間を無駄にしたくなかっただけだ。
 担当医やAさんの口調からなんとなく悟っていたし、〈ゾンビの会〉の参加者たちの顔ぶれも変わっていたからさ。いくつかの知っていた顔が消え、代わりに新しい顔が増えていく中で、僕もいつかここを卒業する時が来るのだと嫌でも実感した。
 そんな残された時間を、白石、水口、エナさんと一緒に過ごすなんてあり得ない。
 結局、ダンス大会にも参加しなかったしさ、先輩も知っている通り、あんなものに時間を潰すつもりは僕にはなかった。あの三人と余生を過ごしても後悔するだけだ。腐っていくのはこの身体だけでいい。
 僕は焦っていた。生まれてきてよかったと思えるように、残された時間を過ごさなければ、と。〈はなわ祭り〉の前夜祭が、僕に危機感を突きつけたんだ。
 でも、どうやって?
 僕は、なにをすればいい?
 ……そうだよ、先輩。これからちょっとシリアスパートに入るから、トイレ休憩は済ませておいてね。


読んでいただきありがとうございました。
第4回はこちら

『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に』
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