続かないお話 キムチ⑦
新会長の号令とともにやっさが動き出し、気持ちと顔のまとまらない久林を無視して今年の祭りが始まった。
久しぶりですね。
久しぶりやね。
話しかけられたのに緊張で横を向けず進行方向だけを向いて答える。なんて感じの悪い奴だ。
久林さんもう出来上がってるじゃないですか 笑
え、いやちゃうねん、弱いからちょっと飲んだだけですぐ赤なんねん。
赤面を指摘されてしまった久林は、会長やおっさんたちに挨拶するたびにすすめられてそしてちゃんと断り続けたお神酒を、一杯だけ飲んだことにした。
神さま嘘をついてごめんなさい。そして本当にありがとうございます。そう心の中で手を合わせて、久林は27年間続けた無神論者から足を洗った。
さっきの、ラッキーの意味を深く受け取りすぎないように深呼吸する。
さくらちゃん俺のこと覚えてるん?と聞こうと肺に空気を詰め込んだところに、
もう来てくれないかと思ってましたよ!元気でしたか?
という福音が届いた。
久林は歴史の教科書や資料集で暗記した知っている限りの神さま全てに祈りを捧げた。
めっちゃ元気。
祭りを待ちわびた若い衆たちからよいさぁ、よいさぁ、の掛け声が始まったので、久しぶりの会話はこの3ラリーで終わってしまったのだが焦る必要はない。
やっさが方向を変える前に一度止まったり、道を曲がる時など掛け声がやむ度に一行二行ずつくらいのキャッチボールなら何度もする事が出来る。
やっさが動いている間は話したりできないが、その間に質問を選りすぐりながらそこに冗談を練りこむことができるので、垢抜けてさらに可愛いくなったさくらちゃんを目の前にしても緊張感を騙しながら喋ることができ、なんなら好都合だった。
2時間くらい歩いては訪れる10分休憩の時には移動中に盛り上がりかけた話題をフり直して花を咲かせた。
久林はここぞとばかりに気合いを入れて、休憩中にさくらちゃんを誘いに来る友だちたちにも最初の数分だけは彼女を引き渡さなかった。
さくらちゃんも休憩が終わるたびに友だちの輪からまた手綱のところに戻ってきてくれた。
ずっと話したくて仕方がなかったので話題には困らなかったし、ほとんど聞き役ではあったが自然に楽しく会話できていると俯瞰して自分を励ました。
さくらちゃんが次の冬休みを利用してフィリピンに留学する予定だというので、久林からもフィジーへ行った話をしたりした。上から目線や自慢っぽくならないように気をつけながら向こうが知りたがったことだけ答えつつ、間に楽しい失敗談をいくつか披露した。
えー、行き先フィジーに変えようかなぁ。
そのリアクションが冗談でも嬉しい。
楽しそうに話す仕草や、大きい笑顔、今一人暮らししている大阪は楽しいけど将来はこっちに帰ってきて働きたいという考え方などに、久林はどんどん惹かれていった。
久林はもうこの数時間のうちにさくらちゃんのことを好きになっているのを自覚していた。
駅前でのやっさの担ぎ上げも無事終わり、隣で一緒に高揚感を分け合いながらほとんど真っ暗闇の久世田に引き返した。
駅からの帰り道ではやっさの最後尾を歩くことになったので、手綱を離してやっさの少し後ろを2人で歩いた。
最初に参加した祭りの時とは違い、さくらちゃんがいると駅からの道もあっという間に感じる。その体感とは違って実際はかるく30分は歩いているので、いろんな話を聞くことができた。
竹田の夜道は本当に暗くて前や横の人ですら表情まではわからない。足下を見ながら暗闇を歩くと、2人きりになったように感じることもできたし、真っ暗な澄んだ空気というのは人を正直にさせてくれる。久林は反応は怖かったが、おそるおそる仕事を辞めて大阪に戻って来ている事を話した。
さくらちゃんは、
そうなんだ。
と笑っていた。
さくらちゃんも自分のことをいろいろと教えてくれた。
理学療法士を目指して学校に通っていることや、人付き合いの社交辞令が苦手で悩んでいること。仲のいい学校の友達たちのこと。その友達の、お菓子を絶対に素手で触らず食べるという変な癖のこと。
初めて竹田を離れての1人暮らしで、楽しいことや寂しいこと。バイト先の居酒屋のこと。
そして最近彼氏が出来たこと。
今日久しぶりに会って話しながら、なんとなくいるんだろうなと感じてはいた。聞きたくないので迷ったが、聞かないわけにはいかなかった。さくらちゃんは、
います。
とだけ答えてくれた。
どれくらい付き合ってるん?
1ヶ月くらいです。
そうなんや。
自分から話を振ったくせに、これ以上のリアクションができなくて大人げない。もう一個くらい答えを聞いてしまっても傷つかなそうな質問とかを追加して、せめて羨ましいとかくらい言えよと自分を叱責してみたが、うまく声にはならなかった。
集会所に帰ってきてからはそれぞれ別の輪で焚き火にあたってお酒を飲んでいた。久林たちは安保さんの家で飲み直すことにして、少し早めに集会所を出ることになったので、さくらちゃんにまた明日と言いにいったら、明日は大阪で用事があるから朝に帰るんです、との事だった。
そうなんや、気つけてね。
はい。
大阪帰ったらまたご飯行こうよ。
行きたいけど彼氏がその辺厳しくてたぶん無理です。
あ、そうなんや。
ほんとに久林さんもう久世田こないと思ってました。
来るよ。来年も来るし。
じゃあまた来年ですね。
うん。おやすみ。
弱いなら飲みすぎないようにね。
今日はむちゃくちゃに飲みそう。
久林は焚き火を後にした。
安保さんが一旦倉庫に荷物を取りに入っていったので、先に森さんと繁岡とで安保さん家に向かった。
集会所を出る前に振り返ったら、さくらちゃんもこっちを向いてくれて、
おやすみー、と口を動かして手を振ってくれた。
さくらちゃんが見えなくなった直後に、森さんと繁岡から直球の質問をいくつか食らった。久林の大学時代には見せなかったアグレッシブさにずっと驚いていたらしい。
彼氏いましたわ。
と苦笑いで答えた。
あらー。まあモテるやろなあれは。
ちょっと久林だけ羨ましすぎたから、正直彼氏おってくれて安心したわ。
いや応援しろや。たまにはこんなんあってもええやろ。
僕もさっきユキちゃんに電話番号聞いたら余裕で断られたよ。
お前もそんなんしてたんかよ。
お前ら何しに祭りに来とんねん!
後ろから追いついた安保さんが久林のケツを蹴りながら言った。
かく言う安保さんの手には手提げの箱がぶら下がっており、歩くたびにジャラジャラ鳴っていた。おそらく麻雀牌が入っている。
そっちこそ麻雀したくて呼んでるでしょ。
まあ寝ん方が明日やっさあげる時気合入るしええやろ。
まじでよくわからないです。
安保さんの謎の根性論も手伝って、その晩はほとんど朝まで麻雀をしながらみんなで話した。最初は明日の心配をしていた久林も、安保さんに彼女ができてその人と結婚するつもりだという嬉しい宣言が聞けたり、森さんが転職していたり、繁岡が相変わらずうるさかったりと話が尽きず、ライトな失恋に酔うことなく済んで助かったなと感謝した。
次の朝は全員ぼろぼろになりながらもなんとか起床し集合した。昨日の手綱は別の誰かがすでに握っていたので、やっさの後方の柱の間に位置をとった。久林は祭りの間終始ぼーっとしながら、久世田のやっさが全く違う地域のもののように感じていた。
この日は休憩中や歩いてる最中にまで何度も寝落ちしそうになった。昨日歩いたりやっさをあげたり、その後の寝不足や麻雀だけではここまでは疲れないはずなので、祭りの間によっぽど頭を使って頑張ったんだなと苦笑いしながら、なんとか意識を保ち続けた。
久林は不調だったが、この日は参加人数も多く、小学校に集合してのかち上げも連続で成功し、久世田のやっさは観客の拍手をよく集めていた。
年に一度しっかり体を動かしたり、拍手をもらったり、安保さんや竹田の人たちと会うのは楽しい。
しかし、ラクティスのエンジンを入れながら久林は祭りに参加するのは来年で最後にしようかなと考えていた。
また来年な!
という安保さんの声に、
お世話になりましたー
となんとなく応えてウィンドウを上げ、繁岡にシートベルトをするようきつめに注意した。
つづく。
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